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十二,下調べ

「な、なんだか嫌ですなあ〜…。先生といっしょだと、また幽霊が出てきたりするんじゃないですかあ?」

 怖がる一平社長に

「見たい?」

 と紅倉は悪戯な笑みを浮かべて脅かした。

 ご高齢のオーナー夫妻は心臓麻痺でも起こされたら困るので置いてきて、三人でマンションにやってきて、まず一〇一号室の管理人、平山を訪ねた。五〇五号室への案内を頼んだが、何度も会って顔なじみの一平社長がひどくおっかなびっくりした愛想笑いを作っていかにも不審に思われてしまった。平山はバスケット選手のような背の高い男で額がはげ上がりちょっとアメリカの性格俳優のような風貌をしている。芙蓉も例のごとく警戒して常に紅倉との間に立つようにした。

 上に止まっていたエレベーターを呼び出して乗り込んだ。容易に想像の付くとおり紅倉はエレベーターが苦手であるが、五階まで階段を上がる体力にも乏しいのであきらめて乗った。

 このエレベーターは何故か乗り降りの際にたっぷり時間を置いてドアが閉まる。

 平山がパネルの前に立って操作し、ようやくドアが閉まると芙蓉は何故か圧迫感を感じて紅倉にぴったりくっついた。紅倉は

「狭いわねえ。遠慮してくれればいいのに」

 と文句を言った。

 五階に着いてドアが開いたが、お互い遠慮しているのか誰も下りようとせず、顔を窺いながら一平社長が

「お先失礼」

 と下り、芙蓉も紅倉といっしょに下り、平山がまたやけにゆっくり下りてきた。

「う〜、頭イタ…」

 紅倉は顔をしかめて文句を言い、芙蓉は鼻血を出さなかっただけよかったと思ったが、自分自身何故かムカムカ胸が気持ち悪く感じた。

 平山が鍵を開けて五〇五号室に入った。

 部屋はすっかり荷物が運び出されがらんとしていた。

「はい、お仕事させてちょうだいね」

 紅倉が先に入ろうとし、一平社長が

「ああ先生、靴は……そのままでけっこうです」

 と、紅倉のスニーカーを見て言った。床はフローリングとプラスチックだ。

「お二人はそこでお待ちを。美貴ちゃん、行くわよ」

 紅倉に呼ばれて芙蓉も自分もかまわないわねとそのまま上がった。芙蓉もゴム底のスニーカーだ。背を高く足を細く見せる必要もないのでハイヒールなどほとんど履かない。外の通路で待たされる一平社長はまた平山に愛想笑いを向け、平山もお返しに「にやっ」と笑い、お互い顔を背けてゾッとした。

 紅倉は玄関から廊下に上がると、そのまま進み、左の壁を向いた。ドアを開けっ放しで様子を見ている平山が

「そこにひどいかびが湧いて、わたしが除去したんですよ。その夜でしたねえ、ご一家が幽霊が出たと大慌てで飛び出してきたのは。ご主人なんか素っ裸でびしょ濡れのままで、よっぽど慌てたようですねえ。他の部屋の皆さんも何ごとかと心配して見ていたんですが、ご一家はすっかり怯えきって、車で逃げていきました」

 と説明した。

 芙蓉が見たところ白い壁にかびは見当たらないが、広い範囲で水気が染みていた薄く黒ずんだ跡が残っていた。紅倉は

「はい、美貴ちゃんはこっち」

 と、芙蓉をベランダの窓側に少し移動させた。

「しばらくそこを動かないように」

 紅倉は注意して、自分もベランダ側の出入り口から壁の裏側の居間を覗いた。がらんと長方形の部屋を眺めて、右指を立て、ベランダの戸から洗面所と風呂場の壁を差しながら、カーブして、覗いている隣の壁を差した。

「と、こう流れているわけね」

 と、独りごち、部屋を覗いていた顔を引っ込めて芙蓉を向いた。

「準備が必要ね。いったん帰って、明日から作業に掛かりましょうか」

 芙蓉の手を握り、

「せーの、ジャンプ!」

 と壁の下の床を飛び越え、玄関に戻ってきた。

「先生、もうよろしいですか? 今日のところはお帰りになられます?」

 一平社長がほっとしたように言い、平山は不安そうに

「あのお、何がどうなってるんでしょうか?」

 と訊いた。紅倉の霊視によればこの管理人にも霊が取り憑いているはずで、紅倉が質問にどう答えるか芙蓉は注目した。

「実はこの部屋、トワイライトゾーンになってるのよ。えーと、向こうの方に大きなお寺があるでしょう?」

 紅倉は平山たちがいる通路側、北を、指さした。平山と一平社長は釣られるように外を振り向き、

「古町のお寺街ですな。はい、あっちに大きなお寺が集まった地域がありますです」

 と社長が説明した。紅倉はうなずき、部屋を振り返り。

「あっちに湖があるでしょう?」

「鳥里乃湖(とりのこ)ですなあ」

「あの方面の死者たちが、あの世に上るための門としてその大きなお寺を頼ってくるのね。地形だの建物だのの関係で、その通り道が、ここ、になっているわけ」

「ここ、ですかあ?」

 一平社長と平山は死者たちの列が通っていることを思って玄関入り口から左右に分かれた。

「ところがねえー…」

 紅倉はあごに指を当て、困ったものだと顔をしかめて斜めに倒した。

「ここにたちの悪いカップルが住み着いちゃったのね。DVで夫から逃げ出した女性と、それを隠れ家へ追ってきて包丁で刺し殺し、自分も手首を切って自殺した暴力夫」

 ひ、ひ、ひ、ひええ〜〜〜、と、二人はのけぞった。

「いいい、いやいや先生、そそそそ、そんな事件、この部屋では起きていませんがな。ねえ?」

「そ、そうですよ。わたしはもう二十年もこのマンションに住んでいますが、絶対この部屋でそんな恐ろしい事件は起きていません」

 と、二人とも紅倉の霊視を否定した。紅倉、慌てず騒がず。

「事件が起きたのはここじゃないわよ? 連れてきたのは……えーと、菊池さん?の旦那さんね。ここに決める前にいくつか物件を回ったんでしょう? その一つにその夫婦がいて、奥さんが頼っちゃったのね。で、旦那も追いかけてきて、夫婦めでたくこちらにお引っ越し」

 言われて一平社長も平山も、ああ、と心当たりを思い出した。

「そういえば数年前にそんな事件がありましたっけねえ。怖いもんだ、うちの物件じゃなくてよかったなと思ったもんですが……。菊池さんが連れてきちゃったんですかあ? あ、あの、それじゃ今はもう?」

「菊池さんが次の引っ越し先へ連れていった? 残念でした。もう当てにならないと分かったから奥さんはここにとどまって、旦那もここにいます」

「そんなあ〜。ええい、なんて迷惑な奴だ」

 一平社長は地団駄踏んで悔しがり、はたと気づいて言った。

「じゃあ、今回の幽霊騒ぎはその夫婦の霊のせいだということですな? それじゃあ、それ以前からこの部屋に住人が居着かないのは?」

「それは霊道のせいね。霊道はここにマンションが建った当初から変わらずここを通っているようですから。ここを通る人たちは別に悪霊じゃないですからねえ、特に霊感の強い人でなければ幽霊の姿を見たりもしなかったでしょうし、かといって生きている人が死者の魂と触れ合うのはやっぱり体や霊体によくないですからね、健康や精神を害するのも当然です」

 ぐう、と紅倉のお腹が鳴った。

「はい、説明はこんなものね。歩いてきてお腹が空きました。社長さん、美味しいお店に連れていってね?」

 まだ説明不足も否めないがとりあえず物騒な場所から離れたいので社長も平山も仰せに従った。

 歩きながら芙蓉が言った。

「別のマンションから引っ越してきたんですね? わたしはてっきり先生がうちから追い出した男女の霊(※現在二人の住んでいる借家は元々有名なお化け屋敷だった)がここに来ちゃったんじゃないかと心配してしまいました」

「あんなの大したことないわよお。包丁でグサッて、こっちの方がずっと凶悪じゃない?」

 背中で聞いていた一平社長が振り返り、

「大したことない霊だったんですかあ〜〜?」

 とお化けみたいに恨めしそうに言い、紅倉は

「そうそう、DV男は奥さんを刺し殺してバスタブに運び、水を張って、自分も包丁で手首を切って、傷口が塞がらないように奥さんを沈めた浴槽に手を突っ込んで死んだのね。だからバスルームが一番悪い霊波が溜まっていて、元々霊道は居間のバスルーム側の出入り口を通っていたんだけれど、悪い磁場を嫌って手前でカーブしちゃったのね。今は壁を通り抜けているわ。そこにかびが発生しちゃったのねえ」

 と、社長の恨み節を知らんぷりして言った。社長はもうあきらめてため息をつきつつ、

「しかし今はかびは出てなかったみたいですなあ?」

 と、危険でもなさそうな平山と顔を見合わせて尋ねた。

「それは、住人がお引っ越しして、生活の熱気がなくなったからでしょう?」

「ああ、なるほど、さいですか。一々ごもっともなことで」

 エレベーターの前で、一階に下りていた箱が上ってくるのを待っている。チーンとチャイムが鳴り、ドアが開いた。平山が「下」のボタンと開いたドアを押さえながら

「どうぞ」

 とお客さん三人を先に促した。三人が箱の奥に入って、平山が乗り込もうとすると、

「えいっ!」

 紅倉が開いた右手を突き出し、平山向けて気合いを発した。平山はびっくりした顔をして、ポカンとした顔からハッと気が付いたように目を瞬かせ、

「な、なんですか?」

 と訊いた。

「あなたに憑いていた霊を外しました。ついでにエレベーターに乗ってこようとしていた霊たちも」

「なっ、なんですって!?」

「ああ、いいからいいから、ちゃっちゃと乗って。またぞろぞろやってくる」

 平山は慌てて乗り込み、「1」を押すと待ちきれずドアの「閉」を押した。ドアはガコンと音を立てて閉まり、箱は一階に下り始めた。

「んぐう〜〜…」

 紅倉はエレベーター独特のフワリという浮遊感にうめいた。

「あ〜、魂が抜けるう〜」

 紅倉の場合あながち冗談とも言えず、芙蓉は紅倉の頭に手を載せて蓋をした。

 一階に着いて紅倉芙蓉、一平社長が下り、平山が下りると、ドアはすんなり閉まった。

「そういえばいつもこのドアは閉まるのが一拍遅れていたような……」

 ドアを見て不思議がる平山に紅倉が教えてやった。

「このマンションは霊道を通る霊たちのこの世での最後の休憩所みたいになっているんだけど、中には成仏するのを忘れてそのまま建物に居着いてしまう困った人たちもいるのよ。で、今やマンションの全室にそういうはぐれ幽霊たちが住み着いちゃってて、部屋の住民たちはみ〜〜んな、彼らに取り憑かれちゃってるの」

「そんな、まさか……」

「まさかも何も、ついさっきまであなたにも取り憑いていたのよ? ほら、なんだか数年ぶりに肩がすっきりしたような気がしない?」

「そういえば、確かに…………」

 平山は両肘を曲げて肩をグルグル回し、快適さに目を丸くした。

「ね?」

「はい……」

 半信半疑ながら平山はさっぱりした顔でうなずいた。

「背後霊なんかが外れるとこんなに楽になるって分かったでしょう? 明日から全住民の除霊をスタートするから、住民説明の御協力、よろしくね?」

 平山は今度は首を回しながら、

「はい。承知しました」

 と、不思議な女性紅倉に好意的に微笑んだ。

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