わが少年の日々のかがやき my bririant boys days (夏休み編)
全ては遠い思い出の彼方に過ぎ去っている。
名もなき少年の思い出、
それはこうして書きとめなければ誰も知られず消え去るだけだろう。
昭和38年、私は小学校5年生だった。毎年夏休み前になると、学校では、魚釣りの鑑札を販売する。
地元漁業組合の入漁券である。
これは夏休みに我々が近くの川に雑魚つりに行くためにあらかじめ。学校で斡旋して雑魚券、夏場用を少年達に販売するのである。確か50円とか100円とか言う単位の額だったと記憶している。
1学期終業式も終わり、毎日夏休みである。あの頃とにかく暑かったという記憶しかないのはなぜだろうか?かた田舎だから、そりゃあもう、せみはわんさといて朝からみんみんうるさいことうるさいこと。
そのせみの声に誘われるように、目覚めて、朝食は庭畑で取れたキュウリもみとなすいため、そして割り飯である。
我が家は典型的な四反部百姓であるから、当時何処の農家もそうであったようにほぼ自給自足生活であった。
ひととおり食事が済むと、つりの準備である。そんな立派な釣り道具などない時代だ。
竿は裏の竹林から切ってきた竹を火であぶって調整したものだ、
そしてさすがに釣り針とてぐすは近くの商店で買ってくる。えさは庭を掘り返してミミズである。
釣った魚を入れるのはビニール袋、
さて早速川支流の小川に出かける。川本流も勿論あるのだが、何しろ流れが急で、少年には危険なので学校でも遊泳禁止だったのだ。事実私も川で泳いで急流に流されてあとすこしで溺れ死ぬところだったこともある。当時勿論プールなんてものはなかったから子供はみんな小川で泳いでいた。
小川がプールである。とはいえ、こんな支流でも大雨の次ぐ日はとんでもない濁流がとうとうとながれているのであるから、川というのは恐ろしいものである。小川といえど侮れない。
田舎道をたどっていくと村の招魂社があり、そこを曲がると、雑木林に出る。その中の細いけものみちをたどるとやがて川に下りる地点にたどり着く。
急峻な山道を下ると川岸に出る。
途中大きな山胡桃の木がありこれは良くその実を拾っては川原石でかち割って食べたものだ。
その大きな幹にナイフで切り込んで落書きがしてあった。
川に下る誰も通る小道の途中の大きな幹は格好の落書きポイントであったろう。
そこにはあることないこと卑猥なことやその絵がびっしりと刻まれていたっけ。
あのくるみの巨木いまでもあるんだろうか?
今ふるさとを離れて40年。私は年に数回帰るがそれも施餓鬼であったり、姉の家に寄ったりで
こんな川の小道へは少年時代以来一回も行ったこともない。
ああ、あのこみちにもしいけば、あのころの子供たちの笑い声が今でもこだましているのかもしれないなんて、ふと、妄想するのである。
そこは当時も薄暗くて、鬱蒼と繁った雑木林で、小路が川まで降ってっていたところだったから、
神秘的なところだった。
さて当時の私の夏休みは毎日が小川通いだった。他の子供もほぼ同様だった。
朝食を済ますと釣り道具を調え、水泳パンツに穿きかえて早速川へと向かうのである。
川の途中のあのくるみの幹の落書きを確認する、新しいことが刻んでないかどうか。
川へ降るともう気の早い連中はせせらぎに立ってジーコン釣りをしている。
ジーコン釣りとは、川の中に立って竿を水平に保って前後に動かし釣るという方法である。
これで結構ウグイ(ザコ)やオイカワ(ニガッパ)が釣れるのである。
私も早速、川の中へ、暫くすると手元にググッと当たりが引き上げるとザコがj掛かっている。
つれた魚は川岸に砂を掘って生簀を作りそこへ放しておく。
他にも釣り方はいくらでもあった。カゴ釣り、カゴに烏賊のはらわたを入れて呼び餌として釣る。
うなぎはうなぎ針を仕掛けておく。流し釣り、瀬を浮きえで流す釣り方。
水中眼鏡でヤスで突くという漁法もある。投網は子供には不可能、大人がよくやってたね。
禁止漁法としては石灰流し、淵に石灰を流して魚を殺す方法。
後は石打ち、鉄のハンマーで川の石を思い切りたたく、すると振動で石の下の魚が気絶して浮いてくる。
追いたて漁というのもあるがこれは大人向き、子供には無理。
そうして日が高くなると、じりじり照りつける太陽に、川遊びタイムである。
つりを止めて淵にもぐったり、流れに乗って降ったり、崖から飛び込みしたり、
水中眼鏡で潜水したりそれはもう幾らも楽しみ方はあった。
川石を掘り返してニギリ漁もしたね。
大きな石の下には、フナが隠れていた。
あるいはカジュウ(カジカ魚)もいる。
これは顔がなまずに似ていて、大きさは10センチぐらいの黒い魚。
川底を這い回っている。
それを手探りで素早く握って掴み捕るのである。
御昼近くにもなれば川はもう、集団娯楽場状態、
子供たちがたくさん来襲して占拠していたのである。
でも、いつも、なぜか見たこともない子が独り楽しそうに遊んでいたのは
あれは一体誰だったんだろう。
村の子ではない、見かけない子。
あれから40年。私も夏ふるさとへ行くがその河の上に掛かる橋を渡っても、
下の川に子供の姿など全くない。
子供たちはどこへいってしまったのか?
川から子供の姿が消えてしまって久しいと聞く。
釣り人らしい中年のおじさんがつりをしている姿が時たま見かけられるくらいだ。
あんなに暑かった夏の日々、
昼時も、自宅に帰らず川で過ごす、川魚を焼いて食べたり、胡桃を割って食べたり、
野いちごをつんで食べたり、まさに野生暮らし。
午後は今度は、トラックチューブの大きな浮き袋に乗って川くだりをする。
自動車修理工場にトラックの古チューブを買いに行くのである。
今のように浮き袋が何処でも買えた時代ではない。
川の合流地点まで降ってまた、河原を歩いて帰ってくるのである。
この川くだりは爽快だったね。もう一度できるものであればしてみたいほどだ。
やがて日も傾くと、もう、3時過ぎ、
生簀の小魚を死んだのは笹の枝に鰓を刺して束ね、生きているのは、ビニール袋に入れて持ち帰る。
疲れきって、家路に着く。
仲間達も、それぞれ家路に着くのだ。
こうして毎日川暮し、の夏休みである。
夏休みの友(宿題)もあるがそれはやる子なんていなかった。
毎日男の子は川暮しである。
もう少年達の体はまっくろけである。
川以外では、山に行くのである。
雑木林の探検、それはまた別に書きたいと思う。
夏休みはなんといいっても川である。
さて家に帰ると、川魚を油で唐げする。これが一番美味い。
ちょっと苦味があり、特にニガッパは苦い。
だからニガッパと言う。
正式名称はおいかわであろうか?
うぐいは苦味もなく結構味は淡白で美味い。
生きているのは池に放つ。
当時あの田舎の何処の家にも池があってそこに川魚や金魚が放してあったものだった。
それが唯一の趣味?だったのだろうか。
私に家の庭にも手作りのイケがあった。
フナやウグイ、ドジョウ金魚などが放してあった。
かくして夏休みはあっという間に終わった。
川で過ごした一ヶ月。
それはまさに真夏のワンダーランドだった。
今ふるさとの川に夏といえど子供の群れ遊ぶ姿なぞはない。
夏の川から子供の姿が消えて久しい。
学校にも立派なプールが出来てそこで子供は楽しんでいる。
しかしそこに川魚はいないし、流れもないし、くるみの大木もない。
自然の川遊び、、人工のプール遊び。
私はあの昭和38年の野生の夏を一生忘れることが出来なのである。
あの澄み切ったあくまでもきれいな小川の流れの中を覗くと川魚がすいすいと気持ち良さそうに泳いでいたっけ。
あの透明な川の流れ、冷たくって気持ちよかったなあ、
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