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『間借り酒場 たごや ~昼下がりの小鉢と定食~』  作者: ユタカ
『間借り酒場 たごや ~昼下がりの小鉢と定食~』

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2/3

ごまさば丼

交番勤務の若い巡査は、パトロールの合間の昼休憩に、最近管轄内にできたという奇妙な店の噂を思い出していた。

「昼間から酒類を提供する、バーを間借りした定食屋」

 風営法的にどうこうという話ではないが、一応管内の様子は把握しておきたい。丁度昼時だし、覗いてみるか。そう思いながら店の前に立つと、歩道にぽつんと木製の立て看板が置かれている。

『たごや

 一品、定食、昼酒あり。

 本日の飯:ごまさば丼、がめ煮定食、アジフライ。

 料理しか取り柄がありません。 店主』

「……ごまさば丼か。腹も減ったし、悪くないな」

 小さく鳴った胃袋の主張に後押しされるように、巡査は制服の帽子を直し、不釣り合いな飾り気のない白のれんをかき分けると、重厚なバーの扉をゆっくりと押し開けた。

 カランカラン。

「……いらっしゃい」

 カウンターの奥で、店主の原田勝治が淡々と声をかけた。

 店内は確かにバーの造りだが、漂ってくるのは醤油と出汁の暴力的な香りだ。巡査が店内を見渡した瞬間、その足がピタリと止まった。

 カウンターの中央。丸椅子に腰掛けた男が、小さな猪口で美味そうに酒を煽っていた。

 季節外れの半袖シャツから覗く、両腕にびっしりと彫られた極彩色の刺青。筋骨隆々の体躯に、鋭い眼光。どう見てもカタギではない。

(……いきなり厄介な客がいるな)

 巡査は職業柄、瞬時に警戒レベルを引き上げた。トラブルを避けるため、カウンターには近づかず、ぽつんと置かれた二人掛けの木のテーブル席へと逃げるように腰を下ろす。

 すると、厨房の勝治が手を拭きながら低い声で言った。

「お客さん、今日少ないんでカウンターにどうぞ」

「えっ、いや、私はここで……」

「そのテーブル、ガタつくんで。こっちの方が落ち着いて食えますよ」

 有無を言わさない勝治の言葉に、巡査は渋々立ち上がり、刺青の男から少し距離を取ってカウンターの端に座った。

「……ご注文は」

「あ、えっと……表の看板にあった、ごまさば丼を」

「あいよ」

 勝治が冷蔵庫から取り出したのは、朝採れの新鮮な真鯖だった。

 丸々と太り、皮目が銀色に輝いている。

 巡査が警戒心を解けずに刺青の男を横目で窺っていると、男は「すいません大将、熱燗おかわり」と、見た目に似合わない弾んだ声を出した。

「……少し待ってな、安田」

 勝治が短く答え、鯖に包丁を入れる。

 スッ、スッ……。

 一切の迷いがない、滑らかな柳刃包丁の動き。角がピンと立った美しい鯖の切り身が、次々とボウルに放り込まれていく。

 隣に座る刺青の男――安田銀次は、その手元を食い入るように見つめ、ほう、と熱い吐息を漏らした。

(なんだ、この男……?)

 巡査が不審に思っている間にも、勝治の調理は進む。

 トントントントン!

 大葉を軽快なリズムで細切りにし、すり鉢でごまを当てるゴリゴリという香ばしい音が店内に響く。

 自家製の醤油ダレに、たっぷりのおろし生姜、ツンと鼻を抜けるわさび、そしてたっぷりのごまと大葉。そこに切り立ての鯖を投入し、手早く和える。

 チャッ、チャッ。

 身が崩れないよう、しかしタレがしっかりと絡むように絶妙な力加減で混ぜ合わされる音。

 熱々のご飯の上に、琥珀色のタレをまとった鯖が敷き詰められていく。

「お待ち。……『たごや』のごまさば丼だ」

「熱燗も上がったぞ」

 巡査の前にごまさば丼と小鉢が、安田の前に湯気を立てる徳利が置かれた。

「いただきます……」

 巡査はまず、小鉢のほうれん草の胡麻和えに箸を伸ばす。

「……ッ」

 茹で加減が絶妙で、シャキッとした歯ごたえが残っている。そこに、濃厚で甘みのある胡麻の風味がしっかりと絡み、交番勤務の緊張感がフッと解けていく心地がした。もう一つの小鉢、厚切りの沢庵も自家製らしく、市販品にはない素朴な酸味が嬉しい。

 そして、メインのごまさば丼。

 箸で鯖を一切れ、ご飯とともに口に運ぶ。

「……美味い!」

 思わず声が出た。朝採れの鯖は臭みが一切なく、ブリッとした凄まじい弾力がある。そこに、甘辛い醤油ダレ、ごまのコク、生姜とわさびの爽やかな刺激が絡み合い、最後に大葉の香りがすっきりと鼻を抜けていく。

 脂の乗った鯖とタレの旨味が、熱いご飯の熱で溶け合い、箸が止まらない。

「……原田さん。相変わらず、恐ろしい包丁だ。切り口の角が立ってるから、舌触りが段違いだ。それにこの自家製ダレの塩梅……一流ホテルの厨房でも、これだけのものはそうそう出せませんよ」

 不意に、隣の安田が熱燗をぐいっと飲み干しながら、感嘆の声を漏らした。

「……大げさだな。ただの鯖の切り身だろ」

 勝治は照れることもなく、淡々と夜の仕込みのレモンを切り始めている。

 巡査は驚いて安田を見た。

「あの……失礼ですが、料理人の方ですか?」

 安田は厳つい顔をほころばせ、豪快に笑った。

「ああ! 俺は駅前のホテルの厨房でフレンチのシェフやってんだ。ここの大将の腕に惚れ込んじまってな。休みの日には、こうして大将の飯で熱燗をキュッとやるのが一番の贅沢なのさ!」

 腕の刺青は、若気の至りというやつでね、と安田は頭を掻いた。

(……なんだ、ただの熱狂的な同業者ファンじゃないか)

 巡査は心の底から安堵の息を吐き、再びごまさば丼に向き直った。

 ワシワシと米をかきこみ、時折沢庵をポリッと齧る。極上の鯖に満たされ、気づけばどんぶりは空になっていた。

「ごちそうさまでした。……本当に、美味しかったです」

 会計を済ませた巡査の顔は、入店時の強張りが嘘のように緩んでいた。

「ああ。……またパトロールのついでに寄ってくれ」

 勝治が短く答える。

 カランカラン。

 扉を開けて外に出ると、午後特有の生ぬるい風が吹いていた。

「……酒類を提供する怪しい定食屋、か。こりゃあ、管轄内最高の『安全地帯』だな」

 巡査は満足げに腹をさすり、軽やかな足取りで交番への帰路についた。

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