第3話 『痩せた大地』
三日目の夕暮れ、エリシアはようやく目的地へ辿り着いた。
辺境領――ラグナ村。
王都の地図では小さな点にすぎないその場所は、実際に目にすると、さらに小さく、そして荒れていた。
畑は灰色にくすみ、土はひび割れている。風が吹くたび、乾いた砂が舞い上がった。
麦の穂は短く、まばらだ。
「……ひどい」
思わず漏れた言葉は、風にさらわれた。
村の入り口に立つ木柵は傾き、家々の屋根は傷んでいる。煙突から立ちのぼる煙も少ない。
炊くものが、ないのだ。
数人の村人が、遠巻きに彼女を見ている。
旅装とはいえ、仕立ての違いは隠せない。余所者だとすぐに分かる。
「何の用だ」
やがて、一人の壮年の男が前に出てきた。日に焼けた肌、疲れた目。
「私は……エリシアと申します。この地を治める権利を与えられました」
“追放された”とは言わない。
男は眉をひそめる。
「治める? あんたが?」
「はい」
短く、しかしはっきりと。
男は吐き捨てるように笑った。
「王都のお嬢様が、こんな土地で何を治めるってんだ」
そのとき、後方で小さな悲鳴が上がった。
振り向くと、子供が一人、地面に崩れ落ちている。細い腕。青白い顔。
母親らしき女が抱き起こす。
「しっかりして、サラ!」
エリシアは反射的に駆け寄った。
脈は弱い。唇が乾いている。
「食事は?」
母親は目を逸らす。
「……昨日は、少しだけ」
エリシアは荷物を開き、持参した乾燥パンを取り出す。
王都を出るとき、最低限持ってきた保存食だ。
それをちぎり、水とともに子供の口元へ運ぶ。
ゆっくりと、サラと呼ばれた少女が噛む。
その様子を、村人たちが無言で見守っていた。
やがて、少女の目がうっすらと開く。
「……あまい」
かすれた声。
エリシアの胸が締めつけられる。
母親が何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
その言葉に、村人たちの視線が少しだけ柔らぐ。
壮年の男が言った。
「村長のガイアだ。……中へ」
案内された集会小屋は、隙間風が入り込む粗末な建物だった。
木の机を挟み、エリシアとガイアが向かい合う。
「王都から来たということは、税の取り立てか?」
「いいえ」
「では、何だ」
エリシアは、深く息を吸う。
「この村の収穫量と、借金の状況を教えてください」
ガイアは目を瞬かせた。
「……は?」
「商人との契約内容も」
「そんなもの、今さら知ってどうする」
「知らなければ、何も変えられません」
きっぱりと言うと、ガイアは眉間に皺を寄せた。
「変える? あんたが?」
疑念と嘲り。
当然だ。
エリシアは机の上に小さな手帳を置いた。
「南部全体の降雨量は減少しています。この村だけの問題ではありません。来年、再来年、収穫はさらに落ちます」
「……脅す気か」
「いいえ。備えるのです」
ガイアは黙った。
外から子供の咳が聞こえる。
「借金は、いくらありますか」
しばらくの沈黙の後、ガイアは重く口を開いた。
「……分からん」
「分からない?」
「商人に前借りして、収穫で返す。それを何年も繰り返してる。足りなきゃ、また借りる。それだけだ」
エリシアの指が、ぎゅっと手帳を握る。
「帳簿は?」
「あるわけないだろう」
その言葉に、静かな衝撃が走る。
数字がない。
把握していない。
これでは、どれだけ搾取されているかも分からない。
エリシアは立ち上がった。
「まず、帳簿を作ります」
ガイアが目を見開く。
「帳簿だと?」
「借金、収穫量、労働人数、種籾の量。すべて記録します」
「そんなことをして、腹は膨れん」
鋭い言葉。
エリシアは一瞬、言葉を失う。
確かに、帳簿はパンにはならない。
だが――。
「膨れません。けれど、膨らませる方法は見えます」
真っ直ぐに見つめ返す。
「今日のパンは、私が持っている分だけ配ります。ですが、それは今日で終わりです」
外のざわめきが大きくなる。
「どういう意味だ」
「施しは、続きません」
その瞬間、空気が張りつめた。
ガイアの顔が険しくなる。
「さっき子供にパンをやったじゃないか」
「はい」
「それで終わりだと?」
エリシアはうなずく。
「私は、この村を飢えさせたくありません。ですが、私の持参した食料は数日分です」
外から怒号が飛ぶ。
「やっぱり王都の人間だ!」
「冷たい悪女め!」
悪女。
その言葉が、また胸を刺す。
だが、目は逸らさない。
「種籾は絶対に食べさせません」
きっぱりと言う。
「労働交換制度を作ります。全員で畑を再整備し、共同備蓄を始めます。商人との契約も見直します」
ガイアが机を叩いた。
「簡単に言うな! 今年を乗り越えられなければ、来年などない!」
エリシアの声が、わずかに震える。
「今年だけを救えば、来年が死にます」
外の風が、強く吹き込んだ。
乾いた土が舞い上がる。
エリシアはその匂いを吸い込む。
乾いている。
降らない土の匂い。
「私は、明日も守りたい」
小さく、しかし確かに。
「そのために、今日を削ります」
沈黙。
外の村人たちのざわめきが止まらない。
だが、誰もまだ去らない。
怒りと不安と、わずかな期待が入り混じる空気。
エリシアは分かっている。
ここが、本当の始まりだ。
王都での断罪は、序章にすぎない。
この痩せた大地で、彼女は試される。
悪役令嬢と呼ばれた女が。
本当に冷たいのか、それとも――。
その答えは、まだ誰にも分からない。
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