第25話 『王都への道』
出立の朝は、異様なほど静かだった。
ラグナ村の入り口に、小さな荷馬車が一台。
王都まで三日の道のり。
エリシアは簡素な外套を羽織り、村を見渡した。
南区画は、まだ泥のまま。
中央と北は、ぎりぎり踏みとどまっている。
レオンは、まだ寝台に伏している。
「嬢」
ナディアが腕を組む。
「戻ってこいよ」
「戻ります」
「約束だ」
「はい」
ガイアがゆっくり歩み寄る。
「王都は甘くない」
「知っています」
「商人は、もっと甘くない」
「分かっています」
そのとき、リリアナが小さな包みを差し出した。
「干しパンです」
「……備蓄から?」
「いいえ、教会から」
微笑み。
「あなたが倒れないように」
エリシアは受け取り、深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
ミレイアは馬にまたがる。
「王都までは同行します」
「監査ですか」
「監査です」
だが、その瞳は以前よりも冷たくない。
荷馬車が動き出す。
村人たちが見送る。
小さな村。
それでも、背負うには十分すぎる重さ。
道中、乾いた風が吹く。
遠くの畑は、すでに黄色く変色している。
「周辺も厳しい」
ミレイアが言う。
「はい」
「王都は南部全体を支える余力はありません」
「だからこそ、交渉します」
「何を差し出すのですか」
エリシアは少し考える。
「制度です」
「……制度?」
「ラグナ村のモデルを」
ミレイアは目を細める。
「成功例として売ると?」
「例外ではなく、再現可能な仕組みとして」
「まだ成功していません」
「だからこそ、今です」
沈黙。
王都の城壁が、遠くに見え始める。
高い石壁。
塔。
煙突から立ち上る煙。
人口密度、物資、力。
ラグナ村とは、別世界だ。
城門前は混雑していた。
商人の荷車。
兵士。
物乞い。
干ばつの影は、ここにもある。
「南部からの流民が増えています」
ミレイアが低く言う。
門の脇で、痩せた子供が座り込んでいる。
エリシアの胸が締めつけられる。
「王都は、守れますか」
「守るために、切り捨てます」
冷たい現実。
城門をくぐる。
石畳。
人の喧騒。
市場の声。
そして――。
「ようこそ、王都へ」
低く、滑らかな声。
振り向くと、一人の男が立っていた。
整った身なり。
鋭い目。
無駄のない微笑み。
「エリシア・ヴァルドール嬢」
名を呼ばれる。
「商人ギルド理事、カイル・レンフォードと申します」
その名に、ミレイアの眉がわずかに動く。
「あなたの話は聞いています」
カイルは軽く会釈する。
「干ばつを、止めたいとか」
エリシアは真っ直ぐに彼を見る。
「止められません」
「ほう」
「ですが、乗り越えます」
カイルの口元が、わずかに歪む。
「面白い」
周囲の喧騒が遠のく。
王都は、村とは違う。
感情では動かない。
数字と利害。
ここで、制度は試される。
「交渉を希望します」
エリシアは言う。
「もちろん」
カイルは微笑む。
「ただし、無償ではありません」
当然だ。
「何を差し出せますか?」
その問いが、重く落ちる。
エリシアは答える。
「未来です」
カイルは一瞬、黙る。
そして、ゆっくり笑った。
「未来は、担保になりませんよ」
王都の空は、村よりも遠い。
干ばつは広がりつつある。
そして、戦いは次の段階へ入る。
数字だけでは足りない。
制度だけでも足りない。
ここからは、政治だ。
ラグナ村の運命は、王都の石畳の上に乗せられた。




