第20話 『選ばれなかった施し』
南区画の放棄から三日。
中央と北の畑に人手を集中させたことで、作業効率は目に見えて上がった。
倒伏していない麦は、かろうじて持ち直している。
だが、村の空気は重いままだった。
南区画を担当していた者たちは、口数が減った。
あの線――板に引かれた一本の線が、心にも引かれている。
エリシアは、毎朝その板を見つめる。
南――停止。
消せない。
消してはいけない。
その日の午後、教会からの使いがやってきた。
白い封蝋の手紙。
リリアナが受け取り、静かに目を通す。
「中央教会より」
広場に集まった村人たちへ向けて、穏やかに告げる。
「ラグナ村の状況を鑑み、施しの拡大を承認するとのことです」
ざわ、と空気が揺れる。
「拡大……?」
「今後一月、無償の食糧支援を増量します」
歓声が上がる。
疲れた心に、甘い響き。
ナディアがエリシアを横目で見る。
来たぞ、と。
エリシアは、静かに息を吸う。
「条件は?」
リリアナが、少しだけ視線を落とす。
「条件はありません」
その言葉に、村人たちの顔が明るくなる。
条件なし。
働かなくても、食べられる。
中央教会の力は、村の制度より大きい。
エリシアは板を見つめる。
不足は拡大している。
来年倍返済の壁は高い。
この施しがあれば、今年は楽になる。
確実に。
だが――。
「……一つ、お願いがあります」
エリシアは言う。
全員の視線が集まる。
「施しを、共同備蓄とは別にしてください」
ざわ、と空気が変わる。
「別?」
「はい。即日分配のみ。備蓄には組み込みません」
リリアナが静かに問う。
「なぜですか」
「依存を防ぐためです」
「依存?」
「来月、教会の支援が止まったらどうなりますか」
村人たちの顔が曇る。
「止まりません」
リリアナは言う。
「主の慈悲は尽きません」
「ですが、教会の備蓄は有限です」
エリシアは静かに返す。
リリアナは一瞬、言葉を失う。
ミレイアが口を開く。
「中央教会の備蓄量は、公表されていません」
村人たちがざわめく。
「……止まる可能性がある、ということですか」
ガイアが低く問う。
「可能性はあります」
ミレイアは淡々と答える。
「王都も、南部全体を支える余力はありません」
重い現実。
リリアナは静かに言う。
「それでも、今救える命があります」
「救います」
エリシアは即答する。
「ですが、制度は崩しません」
村人たちの視線が揺れる。
「楽になる道があるのに……」
若者が呟く。
「楽な道は、続きません」
エリシアは、はっきりと言う。
「施しを拒否するのですか」
リリアナの声は、穏やかだが緊張を孕む。
「いいえ」
エリシアは首を振る。
「選びます」
「選ぶ?」
「制度を続けながら、施しを受けます」
リリアナは微笑む。
「矛盾しています」
「承知しています」
エリシアは村人たちを見渡す。
「施しは、救いです」
リリアナの瞳が柔らぐ。
「ですが、未来ではありません」
静寂。
「未来を作るのは、私たちです」
その言葉は、重い。
誰も即答できない。
そのとき、サラが手を挙げた。
「パン、なくなっちゃうの?」
小さな声。
エリシアは膝をつく。
「なくならないように、頑張る」
「神さまがくれるんでしょ?」
無邪気な問い。
エリシアは微笑む。
「神さまも、私たちも」
サラは首を傾げ、やがて笑った。
その笑顔が、広場の空気を少し和らげる。
ガイアが口を開く。
「……制度は続ける」
低いが、確かな声。
「施しも受ける。ただし、備蓄は崩さない」
ナディアが笑う。
「欲張りだな」
「生き残るためだ」
リリアナは静かに頷く。
「分かりました」
その微笑みは、以前より少しだけ寂しい。
「あなたの制度を、見届けましょう」
エリシアは深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
ミレイアが小さく呟く。
「感情と制度の、危うい均衡……」
雨は止み、空は再び白い。
干ばつの本番は、まだ来ていない。
だが、村は一つの選択をした。
楽な道を、全面的には選ばなかった。
選ばれなかった施し。
それは、拒絶ではない。
依存しない、という決意。
エリシアは板の前に立つ。
南――停止。
中央――集中。
備蓄――維持。
施し――補助。
未来は、まだ不確定だ。
だが。
選択は、確定した。
干ばつの影が、ゆっくりと村を覆い始めている。




