第1話 『断罪の夜会』
これは、ざまぁの物語ではありません。
王子に断罪され、
社交界から追放され、
辺境へ送られた悪役令嬢。
普通なら、復讐か恋愛が始まるのでしょう。
けれど彼女が向き合ったのは、
干上がる大地と、飢えゆく村人たちでした。
「全員は救えません。だから、選びます」
施しではなく制度で。
感情ではなく数字で。
それでも、人を守れるのか。
これは、
戦わずに国家を動かそうとする
実務特化型悪役令嬢の物語です。
少し重たいですが、
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
煌びやかな燭台が、まるで星空を閉じ込めたかのように大広間を照らしていた。
王都最大の夜会。収穫祭を祝うこの場で、王子が壇上に立つことの意味を、エリシア・ヴァルドールは理解していた。
理解していたが――覚悟は、していなかったのかもしれない。
「エリシア・ヴァルドール。其方の数々の不正、もはや看過できぬ」
ざわり、と空気が揺れる。
楽団の音が止まり、貴族たちの扇が静止し、無数の視線が彼女へと突き刺さった。
王太子レオンハルトは、いつもと変わらぬ穏やかな表情をしている。だがその瞳は、ひどく冷えていた。
「穀物市場への不当介入。教会施し制度への妨害。商人との癒着疑惑。そして――民衆を恐怖で支配しようとする虚偽の干ばつ予測」
最後の言葉に、笑い声が起こった。
「干ばつだと? 三年以内に来る、などと」
「不安を煽り、権限を握ろうとしたのだろう」
エリシアは、ゆっくりと息を吸った。
豪奢なドレスの裾を整え、背筋を伸ばす。逃げも、弁解もしない。ただ王子を見つめた。
「虚偽ではありません」
声は震えていない。
「南部の降雨量は五年連続で減少。地下水位は過去最低。北方からの冷気流入が増え、収穫量は年々不安定になっています。三年以内に大規模干ばつが発生する確率は、六割を超えます」
ざわめきが広がる。
「数字遊びだ」
「机上の空論だ」
王子は静かに首を振った。
「エリシア。民は恐怖ではなく、希望を求めている」
「希望とは、施しですか?」
思わず問い返した瞬間、空気が凍る。
王子の眉がわずかに動く。
「施しは慈悲だ。飢えた者に今日のパンを与える。それが王の務めだ」
「今日のパンを与えれば、明日の種を食べます」
広間が静まり返った。
「備蓄を整えなければ、商人の買い占めを規制しなければ、三年後、王都で餓死者が出ます」
「恐怖で支配するつもりか」
低い声。
エリシアは一瞬、言葉を失った。
支配――。
違う。自分は、ただ。
「いいえ。支配ではなく、備えです」
視線がぶつかる。
王子の瞳の奥に、ほんのわずかな揺らぎを見た気がした。
だが、それは一瞬だった。
「エリシア・ヴァルドール。其方との婚約を破棄する」
扇が落ちる音。
「併せて、穀物制度改革官の地位を剥奪。王都より追放とする」
その瞬間、歓声とざわめきが入り混じった音が広間を満たした。
「悪役令嬢め」
「やはり傲慢だったのだ」
“悪役令嬢”。
誰かが囁いたその言葉が、ひどく遠くに聞こえる。
エリシアは、膝を折らなかった。
頭も下げなかった。
ただ、王子へ最後に言葉を投げる。
「三年以内に干ばつが来ます」
何度でも言う。
「そのとき、備えがなければ、王都は崩れます」
王子は答えなかった。
衛兵が近づく。
ドレスの裾が引かれ、彼女は壇上から降ろされた。
音楽は再開しない。
笑い声と、冷たい視線だけが降り注ぐ。
大広間の扉が閉まる直前、彼女は一度だけ振り返った。
王子は、こちらを見ていなかった。
いや――見られなかったのかもしれない。
夜風が頬を打つ。
王都の塔が、星明かりに照らされていた。
幼い頃から見慣れた景色。
穀倉地帯の収穫量を計算し、雨量を記録し、農民の嘆きを聞き、帳簿とにらみ合った日々。
すべてが、今、遠くなる。
それでも。
胸の奥に、奇妙な静けさがあった。
怒りでも、悔しさでもない。
ただ一つの確信。
――干ばつは来る。
馬車が待っている。
豪奢な王宮の裏門。荷物は小さな箱ひとつ。
侍女も、護衛もいない。
「本当に、よろしいのですか」
老執事が震える声で問う。
「はい」
エリシアは微笑んだ。
「帳簿は持ち出せませんでしたが、数字は覚えています」
老執事は涙をこらえ、深く頭を下げた。
「どうか、ご無事で」
馬車が動き出す。
石畳の振動が、体を揺らす。
王都の門が遠ざかる。
人々の灯りが小さくなる。
エリシアは窓から夜空を見上げた。
雲が、薄く広がっている。
星が、少ない。
「……降らない」
小さく呟く。
南部から届いた報告書。乾いた土壌。枯れかけた麦。
自分は間違っていない。
だが――。
「今日のパンを奪ったのは、私かもしれない」
胸が痛む。
施しを縮小し、備蓄へ回す案。
反発は当然だった。
王子は、民の声を選んだ。
自分は、未来を選んだ。
どちらが正しいのか。
馬車は闇の中を進む。
王都の灯りが、完全に見えなくなったとき。
遠くの空で、かすかに稲妻が走った。
音は届かない。
ただ、赤い光が一瞬だけ雲を裂く。
エリシアは、それを見つめた。
「始まる」
追放は、終わりではない。
備えがなければ、人は死ぬ。
施しだけでは、守れない。
――ならば。
彼女は静かに目を閉じた。
「私は、明日を作る」
悪役令嬢と呼ばれた女の、本当の物語が。
今、始まる。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
当面の間は、1日に3話を投稿予定です。
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