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第七章 scene1 交代

彼女は、カウンターに座り直して、話をしようか考えている様子だった。


視線は落ち着いているのに、瞳だけは まだ何かを探している。


サーヤ置いた写真に視線を移す。

それは――まるで世界の鍵束を置いたみたいに、

彼女の呼吸を止めた。


女性の瞳が、強く吸い寄せられる。


指が、震えて伸びる。

でも、触れない。


ただ、見ている。

長い、長い沈黙。


そして、声がやっと出た。


「…………あの」


掠れた声。


「これ……

 だれが撮ったの?」


サーヤは、きょとんとする。

その問いの“温度”が、ただ事じゃないとすぐわかる。


サーヤ

「……友達。

 ――ずっと一緒に旅をして、今はひとり」


女性、

その答えを聞いて、

“ほっとした顔”でも、

“驚いた顔”でもなかった。


女性は、ひとつ息を吸い直して、

ほんの少しだけ笑った。


弱くて、

でも救われたみたいな笑い。


「……そう。」


サーヤの心臓が跳ねる。


(知ってる……?)


サーヤ

「――あなた、レオンを知ってるの?」


女性は少し俯いた。

カップの影で唇が震える。


「……彼、

“まだ”生きているのね」


サーヤの胸がぎゅっと鳴る。


その言い方は――

「生きていて安心した」じゃない。


まるで、


“死んだと思っていた人が、

まだ旅を続けていると知らされた人”


の声。


サーヤ

「あなた……

本当に、知ってるんだね。レオンを」


女性は、小さく笑った。


「レオン、っていうのね」


深く息を吸って、

彼女はやっと言葉を落とした。


「――“あの人”は……戦場の救護室で死んだの。」


店内の温度が一瞬だけ静まる。


常連たちは何も知らないまま、

ただ湯気の音だけが残る。


サーヤの喉がきゅっと締まる。


「でも――」


そのあと、女性は少しだけ笑った。

強くて、

優しい人だけが持てる笑い方で。


「最後まで……

あの人らしい顔で、逝ったわ」


目が伏せられる。

まぶたの裏で、

きっと別の世界の光景が燃えている。



女の視界――

暗い天幕。

血の匂い。

遠くで鳴る爆音。


布の上に横たえられた男。


彼は息が浅く、でも笑っていた。


「……よかった……」


「何が“よかった”のよ……!」


怒鳴る。

泣きたくなる。

手が震える。


男は、

静かに目を閉じたまま言った。


「――顔を見れたから……」

息が、細く、ほどける。


女はその手を握ったまま、

涙の落ちる音だけを聞いていた。


…でも。


ほんの一瞬だけ。

彼の瞳が開いた。


“未来を見るみたいに”

静かな光で。


そして言った。


「……ああ」


「――まだ……

 旅、残ってたな……」


微笑んだまま。

光が、消えた。


救えなかった。

でも――


“絶望では終わらなかった人間”の最期だった。



女性はラテを見つめる。


「だから、

彼を“ちゃんと死んだ”って思ってた」


息を吐く。


「でも……

この写真で、わかったの」


指先で優しくレオンの写った景色をなぞる。


「――あの人、

あれで“終わらなかった”のね」


サーヤは笑う。


強くて、

少し泣きそうで、

誇らしい笑顔で。


女性の目が潤む。

でも涙は落とさない。


ただ、

小さく笑って言う。


「……よかった」


「好き、だったの?」

そう聞くのは意地悪だと思った。


だからサーヤは違う言い方をする。

「……忘れられなかった?」


女性は、

静かに頷いた。


「“恋”だったのかどうかは、わからない」


「でも――」

胸に手を置く。


「私の中で、“命に触れた人”だった。

忘れられるはず、なかった」


沈黙。

でも、それはあたたかい沈黙。


女性

「ねぇ。

あなた、“交差点”って言ったでしょう?」


サーヤ

「うん」


女性は笑う。


「交差点ってさ。

人がすれ違う場所だって思ってたけど――」


視線が写真へ。


「――『未来と過去が、同じ方向を見る場所』

なのかもしれないわね」


サーヤは、胸の奥で、その言葉を抱く。


(レオン……)




閉店の準備。

静かなカフェ。

湯気は消え、匂いだけが残ってる時間。


サーヤはレジを締め、

片付けをしながらチラ、チラ、と

カウンターの女性を見る。


女性は、

カップを両手で包んだまま、

ふっと空気と一緒に呼吸していた。


サーヤ

「……ねぇ」


女性

「なに?」


サーヤ

「あなた、料理……できる?」


唐突すぎて、一瞬だけ静寂。


女性、瞬き。

「……え、ええ。一応は。」


「じゃあ、スイーツは?」


「食べるのも、作るのも好きよ」


ちょっとだけ冗談。

ちょっとだけ本気。


サーヤ、ふっと笑う。

胸の奥が、何かに押されたみたいに暖かい。


「じゃあさ――」


言葉が、勝手に進む。


「――ここで、待っててくれる?」


女性

「……え?」


サーヤ

「ここで。

コーヒー淹れて、冬を越して、

春が来て……

それでも、まだ帰って来なかったら」


カウンター越しに、

そっと手を伸ばすような声。


「――いや、帰ってこないかもだけど、あとは好きにしていいから」


女性の瞳に光が揺れる。


「あなたがここで待ってる。

それがレオンの帰る理由だったらいいなって」


サーヤ、肩で息をするみたいに笑う。


「……ダメかな?

すごく勝手な言い分なんだけど」


女性は――


しばらく黙って、

ゆっくり、息を吐く。


そして。


「……ずるいわ」

微笑んだ。


「そんな誘い方されたら、

『嫌だ』なんて言えないじゃない」


それは

戦場を知る人間の顔じゃなかった。


ただ、彼と会いたいと願った人の顔。


女性

「いいわ。私、ここにいる」


視線が揺れない。

言葉が、芯を持ってる。


「コーヒーを守るくらいなら、なんとかできる。

……命は何度も守れなかった私でも」


微笑んで、言う。


「繋がった命を、待ってみたい」


サーヤの喉がきゅっとなる。


「……ありがとう」

それしか言えなかった。


店の灯りが落ちる。

でも、不思議と暗くない夜。


ボルドが残した場所が、

ほんの少しだけ、

また違う意味で灯った。



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