第四章 scene6 全面降伏
昼の仕込みがひと段落した頃。
屋敷の大きな厨房には、煮込みの余熱と、焼きあがったパンの匂いがまだ残っていた。
銅鍋は磨かれて光り、包丁はきっちりと揃えられている。その真ん中で、白いコック服の男――料理長カインが、腕を組んで待っていた。
厳つい体つきなのに、目元は穏やかで、リリアを見るときだけ少し柔らかくなる人。
「……それで、お嬢様」
カインが静かに口を開く。
「初めてのガーデンパーティーのメニューをお考えになられたのですね。」
リリアは、少しだけ緊張した面持ちでうなずいた。
「はい。
いつもの“お客様のための形式的な宴”じゃなくて……
わたしの、わたしらしいパーティーにしたいんです」
その隣で、サーヤも姿勢を正す。
「それで、メニューの案をまとめてきました。
屋敷の格を守りつつ、“リリアの最初の一歩”になるパーティーにしたくて」
カインは、テーブルに広げられた紙を見下ろした。
乱雑ではなく、でもどこか“家庭的なメモ”の匂いのするメニュー案。
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サーヤは指で順番に示しながら、テンポよく説明していく。
① ウェルカムの一皿(立っても座っても食べられる)
•一口カルツォーネ
→ 屋台カルツォーネの“貴族仕様ミニサイズ版”
•ハーブ香るミニキッシュ
•小さなミートパイ
•彩りカナッペ(野菜ペーストやスモーク魚など)
「最初の一皿は“あ、今日は楽しい日なんだ”って心が緩むものにしたいんです。
たくさんじゃなくて、ちょっとずつ“かわいい盛り”で」
カインは、ふむ、と頷く。
「手で持てて、ドレスでもこぼれにくい大きさ……ですね」
② メインの“遊べるスイーツ”
レオン発案 “飾れるクレープ”ステーション
•事前に薄焼きの生地を用意
•中身・トッピングを【選べる】形式にする
(カスタード、ベリー、果物、ナッツ、少しビターなチョコソースなど)
サーヤ:
「パーティーの主役は“料理”じゃなくて“女の子たち”だと思うんです。みんなが“自分で完成させる一皿”を作れたら、『これはわたしのクレープ!』って、きっと忘れられない思い出になります」
カインは、そこで初めて少し目を見開いた。
「……“参加するデザート”、ですか」
リリアが、わくわくを隠しきれない顔でうなずく。
「想像しただけで、胸がいっぱいになるの」
③ 小さな仕上げの甘やかし
•一口サイズのチョコレート菓子
•小さなフルーツタルト
•焼き菓子を少し
「クレープを“遊び”として、そのあとは落ち着いて話しながらつまめる甘いものを少しだけ。
“今日は終わってほしくないな”って思う、余韻の部分です」
カインは、紙から目を上げる。
「……バランスがいいですね。
食べ疲れない。けれど、心には残る」
④ 乾杯ドリンク(ノンアル・シャンパン風)
サーヤが、少しだけ照れたように言う。
「それから――乾杯はシャンパンじゃなくて、“泡のジュースカクテル”を提案したいです」
•ベース:スパークリングぶどうジュース or アップルシード
•+フレッシュハーブ(ミントなど)
•+少しの果実(ベリーや桃)
•+ほんのり蜂蜜
「見た目はシャンパンタワーみたいに華やかで、
でも中身は“甘くてやさしいジュース”。
みんな同じグラスで乾杯できる、“最初の一口”にしたいんです」
リリアの目がきらきらする。
説明がひと通り終わったあとも、厨房にはしばし静寂が落ちた。
カインは紙から視線を外し、まずリリアを見つめる。
「……お嬢様」
穏やかな声。
「これは、“誰のための宴”ですか?」
リリアは、少し考えて――まっすぐ答えた。
「……わたしのため。
でも、“わたしが好きになりたい世界を見てもらう”のための宴です」
カインの目が、やわらかく細くなる。
「――よろしいです。」
その一言で、空気が変わった。
カインはサーヤの方を向く。
「サーヤ殿」
「屋敷の格式も、客筋も、厨房の事情も考えたうえで“遊び”と“品”のバランスを取ろうとしているのが分かります」
銅鍋を軽く指で弾きながら、続ける。
「カルツォーネの生地配合、焼き菓子の仕込み、
クレープの生地は前日から寝かせた方がいい。
乾杯ドリンクは、グラスの数と氷の管理を考える必要がある」
一つひとつ、段取りを頭の中で組み立てている顔だ。
それから――ふっと笑った。
「これは……“勝負”にする意味は、ありませんね」
サーヤとリリアが、同時に顔を上げる。
カインは静かに首を振る。
「旦那様はきっと、“試す”つもりでおっしゃったのでしょう。ですが――少なくとも、この厨房にとっては」
胸に手を当てる。
「これは“お嬢様の初めての一歩を支える仕事”です。
敵ではなく、仲間でいたい」
その言葉に、他の料理人たちも次々にうなずき始める。
「お嬢様が、あんなに楽しそうに話してるの、久しぶりだしなぁ」
「クレープ、面白そうだよな!」
「カルツォーネの一口サイズ、やってみてぇ」
カインは、みんなを一度見渡してから言う。
「――というわけで」
サーヤとリリアに向き直る。
「この厨房は、全力でお二人の案を支えます。
段取りの調整と、仕込みの分担は、こちらに任せていただけますか」
サーヤの胸が、じん、と熱くなる。
「……いいんですか?」
カインは、きっぱりとうなずいた。
「ええ。
お嬢様の“最初のガーデンパーティー”。
その料理を任せてもらえるのは、料理人として光栄です」
リリアの目に、うるっと涙がにじむ。
「カイン……!」
カインは頭をかきながら、少し照れたように笑う。
「ただし――」
キリッと表情を引き締める。
「本番まで、何度か試作をしていただきます。
カルツォーネ生地の火加減、クレープ台のオペレーション、乾杯ドリンクのグラス数と注ぎ速度――
“楽しい”だけでは回らない部分も、ちゃんと詰めましょう」
サーヤは、きゅっと口元を引き締めてうなずいた。
「はい。
“夢”だけじゃなくて、“仕事としてちゃんと回るパーティー”にしたいです」
カイン:
「その心があれば十分です」




