第三章 scene8 伝承
港は朝の光で染まっていた。
サーヤの足が止まる。
目の前に並ぶ――
タイ
ブリ
サバ
カレイ
ホッケ
アジ
カツオ
タラ
スズキ
名前も知らない白身の魚たち。
胸の奥が“ピン”と鳴った。
「……これね!」
サーヤは笑わない。
目が完全に仕事の目だ。
「そんなに種類いらねぇだろ。
煮付けと照り焼きの何個かで――」
サーヤ、首を横に振る。
「違うんです」
振り返る。
「“昼に来る理由”が必要なんです」
「今日はカレイがうまい」
「明日ならタラの煮付け」
「今だけ脂の乗ったブリ照り」
親父の胸に、その言葉が刺さる。
(毎日、理由のある店……)
レオンが笑う。
「つまり――“今日の魚が楽しみな店”だな」
サーヤ
「そういうこと!」
⸻
魚をどさっと広げる。
親父
「おいおいおい!!
何匹買ってんだよ!!?」
サーヤ
「練習用です!」
レオン
「(地獄の合宿始まった……)」
⸻
サーヤは包丁を一本親父に渡す。
「まず、“触る”」
捌く前に指で撫でる。
骨格を見る。
身の張り。
油の重さ。
親父は真剣だった。一度だって逃げない。
「タイの煮付けは火を入れすぎない!」
「サバは甘くしない、締める味!」
「ブリ照りは――“艶が命”!」
親父
「艶艶言うな!!」
サーヤ笑う。
「いやほんとに艶なんですよ!」
親父に食べさせる。
何度も。
何皿も。
「覚え方は一個。“胸に残る味かどうか”」
親父は――笑いだした。
「お前……すっかり師匠だな」
✔ タイの上品煮付け
✔ ブリの艶照り
✔ サバの濃いめ生姜煮
✔ カレイの優しい甘煮
✔ タラの白だし煮込み
✔ ホッケの香ばし焼き
✔ アジの照り焼き
✔ スズキの塩焼き
✔ 白身魚の酒蒸し
✔ その日の“港の一本勝負”
そして――
あら汁。
親父は、一口飲んで……
「うまいなぁ……これ食ったら……これだけで
“また昼に帰ってくる理由”できちまうじゃねぇか」
「そうなってほしかったんです」
包丁を置くサーヤ
「これは“レシピ”じゃない。この店の“役割”です」
親父は深く息を吸い、ただ一言。
「任せろ」
昼営業の暖簾が、昼の風に揺れる。
表の看板。
大きく書かれた文字。
昼の膳
魚定食
・煮付け
・焼き
小鉢三種
あら汁付き
最初の客は意外にもすぐ来た。
港帰りの親子。
荷を降ろしたばかりの若者。
それから、祭りの片付けで疲れ切った職人。
みんな、
少しだけ“お腹じゃなくて胸が疲れてる顔”。
親父が厨房に立つ。
「……よし。出すぞ」
最初の一膳の湯気が立ち昇る。
香ばしい照り焼き。
優しい煮付け。
湯気を抱いたあら汁。
かわいく並ぶ小鉢。
「お待ち!」
親父の声が、どこか誇らしかった。
客は無言で箸を取った。
一口。
二口。
――止まらない。
港帰りの男が、膝に手を置き、ふっと笑った。
「……なんだこれ。
すんげえうまい……」
親子の少年が、あら汁を飲みながら言う。
「海の味だ」
そして。
「……あー、帰ってきたって感じするな」
親父が、一瞬だけ包丁を止めた。
サーヤとレオンも、息を呑んだ。
レオン、笑う。
「“ただいま”だな」
サーヤ
「……うん」
胸の奥が温かい。
苦しくて、
嬉しくて、
泣きたくなるほど。
昼営業、終わって
静かな午後。
食器を洗う音だけが響く。
親父が、まっすぐサーヤを見る。
「ありがとうなんて言わねぇ」
少し笑い。
「言ったら、終わっちまうからな。
これは“今日だけ助けてもらった味”じゃねぇ」
「これから、ここが守る味だ」
レオンが肩を叩く。
「いいじゃねぇか、親父。
昼の居酒屋、悪くねぇぞ」
サーヤも笑う。
(――そうだ。“居場所は、ひとつじゃない”)
(ここも、きっと誰かの“生きる場所”になる)




