第一章 scene3 状況把握
スープの器を片づけ、サーヤ(みのり)は、そっと席を立った。
(まずは、状況把握よね)
(見て、知って、整理して、それから動く)
それは、現代日本で何百回も繰り返した行動。
職場で。
家で。
学校行事で。
もう、習いすぎた癖。
静かに扉を開けて、厨房を覗く。
そこは戦場だった。
包丁の音。鍋の蒸気。
火加減を見ながら、ハルトがひとり動き続けている。
大鍋のスープ。
肉の下ごしらえ。
刻まれる野菜。
手際は悪くない。
むしろ速い。
でもダメだ。動線が悪すぎる。1人であっちにいったりこっちにいったり。
道具が散らかってる。
調味料は出しっぱなし。
洗い物はシンクに積まれたまま。
効率より「今日を回すこと」で必死。
完全に、いっぱいいっぱいだ。
サーヤは厨房を見回す。
棚。
欠けた皿。
調味料の減り方。
片隅に積まれた古い帳面。
そして――扉の向こうの客席。
椅子は減っている。
以前はもっと席数があったのだろう。
壁のメニュー板は色褪せていた。
(昔は賑わってた店……なのかな)
胸が少しだけ締めつけられる。
(なんとかしたいなぁ……これ)
自然に、思ってしまった。
ため息をついてから――
サーヤはキッチンの片隅に腰を下ろす。
(はい、では会議を始めます)
心の中で、ひとり会議。
現状
・父ひとり
・娘ひとり
・母不在
・店は傾き気味
・常連はまだいるっぽい
・料理はきっと悪くない
・でも整ってないから弱い店
・…なによりダサい
わたしができることは――
自然と、手が動く。
テーブルの端から紙と炭筆を引っ張り出し、
「やることリスト」と書こうとして――
止まった。
「…………」
紙に、ぐちゃっと、奇妙な線が残っている。
(え?)
もう一度、ゆっくり書こうとした。
頭の中では、ちゃんと文字が浮かんでいる。
だけど――
手が、それを形にできない。
炭筆の先を見つめる。
(まって――)
今度は違う言葉を思い出す。
「買い物」「家計」「手順表」
書こうとするが、書けない。
曲がる。
崩れる。
形にならない。
なるほど。サーヤは文字が書けないのね。
嫌な汗が背中をつたう。
恐る恐る、紙を見た。
あ、…そうか
サーヤの体。
サーヤの手。
サーヤの学習。
あたしの“経験”はある。でも、この子の“能力”が土台。
つまり現代の文字はもちろん、
この世界の文字すらまともに書けない。
息がひとつ抜けた。
でも――
しばらく黙って、サーヤは笑った。
「……まあ、いいか」
言葉には出さず、心の中でだけ。
紙に文字が書けないなら――
頭の中でリスト化すればいい。
主婦の脳内家事スケジュールなめるなよ。
よし。気持ちを切り替えよう。
(店を回すのに必要なのは、手、目、なにより段取りよね。それなら、子どもでも出来ることはいくらでもある)
腰を軽く叩いて――立ち上がる。
まずは、ひとつ。
「この家の女の子」として、できること。
サーヤは、ぐっと拳を握った。




