表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/83

第二章 scene11 パン屋の日常

朝は、パンの匂いで始まる。まだ薄暗い工房に、火を入れる音。粉を計る音。木の台に生地が打ち付けられる、リズムみたいな音。


サーヤは、すっかりその中に混じっていた。


「――ほら、もっと優しく。殴るんじゃなくて、こねるんだ」


「言われなくても分かってるわよ!」


弟子に文句を言いながら、生地をぽんぽん叩く。

その横で、親方は無言で腕を組んでいたが……


ふ、と口元が緩む。


「……手つきが、もう職人だな」


「聞こえてるわよ親方!?」

「褒めただけだ!」


工房に笑いが広がる。


サーヤは瓶を抱え、真剣な顔で弟子たちを並ばせていた。


「いい?酵母はね、勢いじゃないの」


「へ、へい!」


「優しく撫でるの。温度、湿度、空気――“生きてるんだから”」


弟子が恐る恐る瓶を撫でる。


「……なんで撫でる必要あるんです?」

「気持ちの問題よ!」


 親方「理屈は後で教えてやれぇぇぇ!」


 

でも、酵母は、確かに応えた。

ぷく……ぷく……

泡が静かに踊り始める。


弟子たちは目を丸くし、親方は無言で身を乗り出し、

店にいる猫まで近づいてくる(※勝手に来た)


サーヤは瓶を抱いて、にっこり笑った。


「――ね、生きてる」


その瞬間、「この街に“新しいパン”が生まれる予感」が、工房いっぱいに満ちた。


試作が始まると、戦場になる。


粉まみれ。

試食まみれ。

失敗まみれ。


 

「これ甘すぎ!」

「いや、もっとバターだ!」

「いやいや、軽さ命だろ!」

 

全員、即座に口論。


「静かにしなさぁい!!」


――サーヤの声が、一番強かった。

「“毎日食べたいパン”がテーマ!

ケーキじゃないの!主食!」

 

親方、目を細める。

「……それだな」


数回の試作の末、外は薄くさく、中はやわふわ、

ほんのりミルクの甘み。


食べた瞬間、「……幸せになる」

弟子がぽつりと言った。


親方も黙って頷いた。


 

「……名前は?」


サーヤは少し考え、笑った。

「“朝のパン”」


派手じゃない。でも、毎日食卓に置きたくなるパン。


――翌日、爆売れした。


午前の来店ピーク。

客がずらっと並ぶ。


「丸パン4つ!」

「新作ちょうだい!」

「今日もあれある?」

 

てんやわんや。


親方「おいサーヤ!お釣り!」

サーヤ「弟子!袋!」

弟子「はい姐さ――やべっ!」

 

気づけば、サーヤの掛け声が一番通っていた。

「ありがとう!焼きたてだからね!食べると幸せになるやつよ!」


客が笑い、子どもが「幸せパン!」と叫び、店は活気でいっぱいだった。


扉の外で行列ができ、近所の奥様がひそひそ言う。


「あの子が来てから、雰囲気変わったわね」

「いい子ねえ」

「ちょっと面倒見たくなる顔してるのよ」


 

――そして。

昼の落ち着いた時間。

奥から、ゆったり歩く女性が出てきた。


穏やかな目。柔らかな雰囲気。

でも、芯がありそうな人。


「あなたが……サーヤちゃんね?」


サーヤ。背筋が伸びる。

「はい!お世話になってます!」

優しく笑う。

「そんなに力まなくていいのよ。

あなた――少し、やつれてるわね」


まっすぐ、核心を刺す人。


「ご飯、ちゃんと食べてる?」

 

「……まぁ、そこそこ……」


 「そこそこはダメ。“女は栄養が命よ”」

 

そう言って、エプロンを結び――

無言でキッチンに立った。


出てきたのは、温かいスープと、焼き立てパンと、

甘すぎないジャム。


「食べなさい」


 

サーヤ。

一口食べて、目を見開く。

 

優しい。

沁みる。

なんか、泣きたくなる味。

 

奥さんは笑う。


「……娘がいたらね、こんな感じなのかなって、思ってたの」


サーヤは視線を落とす。


胸の奥が、少し痛くて、少し、温かい。

 

「……ありがとうございます。

もう少し、ここにいさせてください」

 

奥さんは、軽く頷いた。

 

「好きなだけいなさい。

うちの子になりなさい――なんて言わない。

でも、“帰れる場所のひとつ”にはなりたいの」


サーヤは、ゆっくり笑った。

 

「……はい」


パンの匂い。賑やかな店。からかう弟子。

照れくさい親方。そして、優しい奥さん。


サーヤの胸の奥に、“居場所”と呼べるものが、またひとつ増えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ