第二章 scene1 話し合い
営業を終えた店の扉が閉じられ、通りのざわめきが遠ざかる。
テーブルを挟んで――
ハルト。
ミナ。
そして、サーヤ。
ハルトは、しばらく言葉を探すように黙ってから、ぽつりと言った。
「……戻ってきたい気持ちは、嬉しい。
……家族でいたい気持ちも、嘘じゃないって、分かる」
ミナは目を伏せる。
涙をこぼしながら、必死に言葉を紡ぐ。
「――ごめんなさい。怖かったの。
母親になれる自信がなくて……この家に“もう一度向き合う勇気”が出るまで……時間が……」
ハルトは、拳をぎゅっと握って息を吐く。
「……許すかどうかは、すぐには決められない。
でも、もう逃げるな。それだけでいい」
ミナは震える声で――
「逃げない。今度は、ちゃんと側にいる」
そして。
サーヤに視線が、向けられた。
「サーヤ……」
その瞬間、空気が変わった。
サーヤは笑わない。
泣かない。
静かな声で、言った。
「――無理」
ハルトが目を見開く。
サーヤは母を見たまま、言葉を続けた。
「母親として帰ってきた顔しないで。“いなかった時間”だけ、なかったことみたいにしないで。
あたしたちは、その間ずっとここで生きてきたの」
喉が詰まりそうなのに、声は震えなかった。
「家族って、“戻る”だけでなれるものじゃないよ」
ミナは、なにも言えなかった。
ハルトの胸が苦しそうに上下する。
サーヤは立ち上がる。
「……店の仕事はする。ここは、あたしの居場所だから。でも、今すぐ“母”は無理」
そう言って、部屋を出た。
話し合いは終わっていないのに――
それ以上、もう誰も言葉を出せなかった。
それでも、ミナは家に泊まり、
翌日も――
その翌日も――
帰らなかった。
最初は遠慮がちに隅で皿を拭いていた。
それがいつの間にか、料理を手伝い、客に笑顔を向け、「懐かしいなぁ」と泣く常連と抱き合い、
気づけば――
スプーン亭に“母ミナ”が戻る速度の方が早かった。
客は言う。
「やっぱり奥さんがいると違うなぁ!」
「ほら、スプーン亭は夫婦の店じゃなきゃな!」
街は、嬉しそうだった。
ハルトも笑ってしまっていた。
“手が増える現実”は、正義だった。
そしてサーヤは気づく。
厨房で動く位置が、いつの間にかズレてる。
テーブルを回るとき、母と動線が重なる。
客が母の昔話を喜んでいる間、サーヤはただ皿を持って立っているだけの瞬間が増えた。
私、邪魔?
そんなはず、ない。
誰もそんなこと言わない。
でも――
母が笑うほど、
父が笑うほど、
サーヤの居場所が、静かに、静かに――薄れていく。
店が賑やかになるたび、胸の奥が、少しずつ冷たくなっていく。
(ここは、私と父さんで立て直した店、だったはずなのに)
なのに――
今、笑ってる人たちはみんな“昔からスプーン亭を知ってる人たち”。
その輪の中に、サーヤだけがいない。
ランタンの灯りが、揺れる。
その影で、サーヤは静かに丸めた背中を誰にも気づかれないように――
キュッと抱きしめるように、拳を握った。




