第十一章 scene13 演技
人の波が一段落した時間。
カフェの中は、いつも通りだ。
扉の鈴が鳴った。
チリン。
「……いいですか」
入ってきた男は、一人だった。
年齢は30代半ば。
服は地味だが、安物ではない。
背筋は伸びているが、どこか“疲れた”立ち方。
「いらっしゃいませ」
サーヤは、いつも通り応じる。
男は、少し迷ってから席に座った。
カウンターに近すぎず、遠すぎない位置。
「コーヒーを一つ」
声は落ち着いている。
だが、目の奥だけが――落ち着いていない。
(……この人)
サーヤは、気づいた。
⸻
コーヒーを置く。
「どうぞ」
男は、礼を言ってから、すぐには口をつけなかった。
カップの縁を見つめる。
「……ここは」
ぽつりと、独り言のように言う。
「話を聞いてもらえる場所だと、聞きました」
サーヤは、表情を変えない。
「そういうことも、ありますね」
男は、少し笑った。
「聞いてもらえたら、助かります」
「……正直」
「どこから話せばいいか、分からなくて」
サーヤは、促さない。
沈黙を、置く。
男は、それを受け入れと勘違いした。
⸻
「俺」
男は、指を組んだ。
「前に、すごく……違う場所にいた気がするんです」
一瞬。
サーヤの内側で、何かがひやりとする。
男は続ける。
「ここじゃない」
「価値観も、常識も、速さも違う」
「……上手く言えないけど」
「全部、ズレてる感じがして」
(匂わせてきたな)
サーヤは、コーヒーポットを置く。
声は穏やかだ。
「それで?」
「今、困っているんですね」
男は、ほっとしたように息を吐いた。
「ええ」
「俺、少し……急ぎすぎた」
「うまくやれると思ったんです」
「でも」
目が、かすかに揺れる。
「最近、話が止まる」
「人が、引く」
「理由も言わずに」
(演技が、うまいなぁ)
サーヤは思う。
弱っている自分を、的確に差し出している。
⸻
男は、視線を上げた。
「あなたなら」
「分かる気がして」
「……ここに来れば」
「同じ側の人が、いるかもしれないと」
(同じ側)
レオンが奥にいないのを、男は確認している。
カイも、今はいない。
サーヤ、一人。
男は、静かに距離を詰める。
「もし」
「少しでも、話ができたら」
「俺は」
「一人じゃないって、思える」
サーヤは、カップを拭く手を止めない。
「……それは」
「重たい期待ですね」
男は、笑った。
「そうでしょうか」
⸻
サーヤは、ゆっくりと顔を上げた。
「……違います」
男の眉が、わずかに動く。
「私は」
「美味しいコーヒーをご提供したいだけですよ。
楽しい話題と一緒に。
時に、常連さんが悩みごとを伺うこともあります
けどね。」
男は、一瞬だけ黙った。
(想定と、違う)
サーヤは、続ける。
「あなたが困っているなら」
「話は聞きます」
「でも」
「そのあなたの言う同じ側?仲間?になってほしい、って話ならそれは、お断り」
空気が、きしむ。
男の目が、細くなる。
だが、すぐに笑顔を作る。
「……早いですね」
「ええ」
サーヤも、笑う。
「私、決断だけは早いんです」
⸻
男は、カップに口をつけた。
冷めかけのコーヒー。
「……なるほど」
立ち上がる。
椅子を引く音は、静か。
「今日は勉強になりました」
「また、来てもいいですか」
サーヤは、頷く。
「コーヒーをお求めならいつでも」
鈴が鳴る。
チリン。
⸻
扉が閉まったあと。
サーヤは、深く息を吐いた。
(……正面から来たな)
(しかも“同じ世界”を、餌に)
カウンターの下で、指先が少しだけ震える。
(だめだったら、どうするつもりだったんだろ)
答えは、分かっている。
壊すだけ。
それでも。
(ここは、渡さない)




