第十一章 scene3 広がる
夜。
祝賀会の喧騒が、ようやく街から引いていく時間。
灯りの残る屋敷の一室で、男は書類を揃えていた。
高価すぎない服。
派手な指輪もない。
新領主の「側近」としては、控えめなくらいだ。
「――それで?」
向かいの男が言う。
港で商いをしている、顔の利く男だ。
慎重だが、金の匂いには弱い。
「話は簡単です」
側近は、にこやかに言った。
机の上に、一枚の紙を置く。
「倉庫の名義整理」
「いま、全部洗い出してます」
「あなたには、その“最初の一部”をお願いしたい」
商人は、紙を見る。
難しい言葉。
だが、致命的に分からないわけじゃない。
「……危ない話ではないんだな?」
「ええ、もちろん」
⸻
側近は、続ける。
「まずはお試しで少額でも」
「名前を貸すだけでも構いません」
「こちらで管理します」
「面倒なことは一切ありません」
「3ヶ月」
「何も起きなければ、配当が出る」
「その時点で、降りる判断をしても構いません」
商人は、喉を鳴らした。
「……で?」
「儲けは?」
側近は、指を二本立てる。
「最低でも、倍」
「運がよければ、三倍」
即答しない。
間を置く。
「でも」
「あなたは、賢い人だ」
「だから」
「全財産を突っ込め、なんて言いませんよ」
商人は、思わず苦笑する。
「……信用できそうな言い方だな」
「最初から、信用しなくていい」
側近は、軽く肩をすくめた。
「“確認”をしてください」
「書類も」
「役所の判も」
「すべて、表に出せるものですよ」
(逃げ道があるように見える)
(断れる余地がある)
それが、一番危ない。
⸻
側近の男は、表情を崩さない。
(この段階で疑うやつは、最後まで残らない)
(残るのは――)
(「俺は大丈夫」と思うやつ)
倍、3倍。
それ自体は、どうでもいい。
本命は、途中で降りられなくなる構造。
名義。
連帯。
「あなたの署名が必要です」という一文。
(逃げられない形にしてから)
(規制が変わる)
(あとは)
(“想定外でした”で終わりだ)
⸻
もう一人、落ちる
「……ひとり、紹介してもいいか?」
商人が言う。
「若いやつだ」
「最近、儲けが減っててな」
側近は、ゆっくり頷いた。
「ぜひ」
(増えるな)
(広がるな)
(いい流れだ)
⸻
屋敷を出たあと。
側近は、夜風に当たりながら小さく息を吐く。
(さて)
(どこまでいけるかな)
街は、静かだ。
人々は、まだ祝っている。
誰も気づいていない。
この「おいしい話」が――
もう、牙を剥いていることに。




