第十二章 scene1 不穏
昼前の、少し落ち着いた時間。
パンの追加を焼く音。
カップを片づける音。
いつも通りの、安心するリズム。
扉の鈴が鳴った。
「よっ」
入ってきたのは、クルスとテッドだった。
いつもの軽い調子。でも、今日は少し目が忙しい。
「いらっしゃい」
サーヤが声をかける。
「レオン、いるか?」
「奥だぞ」
レオンは作業場から顔を出した。
「珍しいな、昼間に」
クルスは肩をすくめる。
「まあな。ちょっと、話があって」
紙袋を抱えている。
中身は、いつものハンバーガー――ではない。
⸻
男3人はカウンターの端に集まり、サーヤはカウンター内から聞いている。
クルスが言った。
「変な話を聞いた」
レオン
「変な話って、大体ろくでもないぞ」
「そう言うと思った」
テッドが、少し言いづらそうに続ける。
「儲け話だ」
一瞬、空気が止まる。
サーヤは、黙ってカップを置いた。
「……どんな?」
テッドは、紙袋を脇に置き、声を落とす。
「新しい領主になったろ」
「それでさ」
「港の倉庫が整理されるらしい」
「使われてない名義の倉庫を、まとめて買い取る話が出てる」
「安くな」
レオンは、目を細めた。
「名義?」
「前の領主時代のだ」
「管理が甘かったらしい」
クルスが補足する。
「仲介してるやつがいる」
「投資だって言ってる」
「最初に金を出したやつが」
「あとで、権利をまとめて高く売れる、ってな」
⸻
サーヤは、何も言わずに聞いていた。
でも、胸の奥が、じわっと冷えていく。
……ああこの感じ
前の世界で、何度も見た。
「今だけ」
「合法」
「みんなやってる」
「知らないと損」
――そして最後に
「責任は、自己判断で」
そういう言葉の、並び方。
サーヤは、ゆっくり口を開いた。
「……その話」
「誰が勧めてきたの?」
テッドが、少しだけ目を逸らす。
「……知り合いだ」
「最近、羽振りがいい」
「領主代替わりで、動いてるらしい」
レオンが、短く言った。
「アウトだな」
クルスも、苦く笑う。
「だよな」
⸻
サーヤは、静かに続ける。
「それ、たぶん」
「“儲け話”じゃなくてむしろ…」
「詐欺、犯罪、最悪巻き込まれて捕まるわ」
テッドが、息を呑む。
「最初は、何も起きない」
「書類も、それっぽく整ってる」
「合法ギリギリ、もしくは合法に見える」
「でもね」
サーヤは、指を一本、カウンターに置いた。
「途中で、必ず条件が変わる」
「名義が違った」
「規制が変わった」
「責任の所在が曖昧になる」
「最後に残るのは」
「金を出した人間だけ」
レオンが、低く言う。
「……前の世界の匂いだな」
サーヤは、うなずいた。
「うん」
「すごく、知ってる匂い」
クルスが、腕を組む。
「新しい領主になって、街が動く」
「その隙を狙うやつが出る」
「そして」
レオンが続ける。
「“俺は大丈夫”って思ったやつから、やられる」
テッドは、しばらく黙っていた。
「……俺」
「変だと思ったんだ」
「話が、うますぎる」
サーヤは、少しだけ笑った。
「その感覚、正解」
「それがあるなら。まだ、大丈夫」
⸻
テッドは、深く息を吐いた。
「じゃあ」
「手、出さない方がいいな」
レオン
「出すな、絶対に」
クルスも頷く。
「他にも、話が回ってるなら」
「俺も、止める」
テッドは、紙袋を持ち直した。
「……ありがとな」
「こういう話」
「誰に聞けばいいかわからなくて」
サーヤは、カウンター越しに言った。
「変な話を持ち込まれたら」
「ここに来て」
「コーヒー飲んで」
「一回、頭冷やしてからみんな考えよう」
テッドは、少し笑った。
「…やっぱ…頼りになるな」
⸻
2人が帰ったあと。
店内は、また静かになる。
レオンが言った。
「来たな」
サーヤは、カップを拭きながら答える。
「来たね」
レオン
「おそらく、あっち側のヤツがどっかで絡んでるだろうが、どうする?」
サーヤは、少し考えてから言った。
「まずは、広げない」
「次に、気づいた人を守る」
視線が合う。
「……面倒だな」
「うん」
サーヤは、でも笑った。
「でも、放っておけない」
外では、祝賀の飾りが風に揺れている。
華やかな街の裏で、
静かに、別の流れが動き始めていた。
翌朝。
まだ完全に混み合う前の時間。
豆を挽く音。
湯気。
窓から差し込む、やわらかい朝の光。
サーヤは、いつも通りカウンターに立っていた。
顔は穏やか。でも、意識のどこかが張っている。
扉の鈴。
「おはようございます」
入ってきたのは、ルカとガルムだった。
今日は鎧ではない。動きやすい服装。
祝賀会の翌日で、少しだけ疲れが残っている。
「おはよう」
サーヤは、いつも通り返す。
「今日は、早いですね」
「詰め所に戻る前にコーヒー一杯、飲みたくて」
⸻
二人が席につくと、すぐに別の常連が入ってきた。
港で顔をよく見る、年配の男だ。
「おい、サーヤ」
声を落とす。
「ちょっといいか」
サーヤは、手を止めた。
「どうしました?」
「……変な話を聞いた」
その一言で、レオンと視線が合う。
「儲け話だ」
男は言った。
「港の倉庫がどうとか」
一瞬だけ、空気が変わる。
サーヤは、何も言わない。
レオンも、口を挟まない。
男は続ける。
「ここのところ急に、話が回り始めた」
「俺は断ったが」
「若いのが、乗りそうでな」
サーヤは、静かに言った。
「……詳しく、どんな話でした?」
説明は、昨日とよく似ていた。
名義。
投資。
あとで権利が上がる。
聞いていたルカが、ふと顔を上げる。
「……すみません」
男が振り向く。
「今の話」
「もう一度、最初から聞かせてもらえますか」
サーヤとレオンが、同時にルカを見る。
ガルムも、腕を組んだまま言った。
「俺たちも、気になる」
男は、少し驚いたが、頷いた。
「構わんが……」
⸻
話を聞き終えたあと。
ルカは、しばらく黙っていた。
ガルムも同じだ。
やがて、ルカが口を開く。
「……それ、実は騎士団でも、似た噂が出ています」
サーヤの手が、わずかに止まる。
「どの程度?」
「“合法らしい”という形で」
「苦情でも事件でもない」
「だから、正式な調査にはならない」
ガルムが低く言う。
「だが匂うな」
レオンが、短く息を吐いた。
「あぁ」
ルカは、サーヤを見る。
視線は真剣だ。
「同じ話を、他にも聞きましたか」
サーヤは、隠さなかった。
「聞いた」
「それで?」
ガルムが聞く。
「止めて、広げないようにした」
一瞬、沈黙。
そして、ルカが言った。
「……それで、正しいと思います」
視線が鋭くなる。
「騎士団で調査します」
サーヤは、静かに頷いた。
「お願いするわ」
「これは、表で騒ぐ話じゃない」
ガルムが、少しだけ口元を歪める。
「得意分野だ」
⸻
コーヒーが、二人の前に置かれる。
「ありがとうございます」
ルカは、そう言ってから、少しだけ間を置いた。
「……もし」
「また、同じ話が来たら」
「必ず、ここで止めてください」
サーヤは、ふっと笑った。
「ここは、そういう場所だもの」
ガルムが言う。
「情報は、静かに集める」
「派手に捕まえるのは、最後だ」
レオンは、肩をすくめた。
「やっぱり、面倒なことになりそうだな」
外では、人々が行き交い始めていた。
祝賀の名残。
新しい時代への期待。
その足元で、静かに、網が張られ始めている。
―誰にも気づかれないように。




