第十一章 scene14 しんみり
翌朝。
店は、いつも通りだった。
パンの焼ける匂い。
コーヒーの湯気。
常連たちの「おはよう」。
サーヤは、いつもの場所に立っていた。
(……よし)
気持ちは、もう決まっている。
昼前。
カウンター越しに、ルカがいるのが見えた。
いつもと同じ席。
いつもと同じ静かな佇まい。
でも、目が合ったとき――
彼は、何かを察したように、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。
サーヤは、コーヒーを置いてから、声をかける。
「……ルカさん」
「はい」
「昨日のことなんですけど」
「きちんと、お返事をしたくて」
一瞬、店内の空気が止まる。
「閉店後に、少し時間もらえますか?」
「来られる日……」
「今夜で、大丈夫です」
即答だった。
サーヤは、少し笑った。
「……わかりました」
⸻
夜。
閉店後の店内は、昼とは別の顔をしている。
ランプの灯り。
静かな空気。
外の通りも、落ち着いていた。
扉の鈴が鳴る。
「こんばんは」
ルカだった。
「いらっしゃい」
サーヤは、すぐにコーヒーを淹れた。
言葉は、少なめでいい。
カップを差し出す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
二人は、向かい合って座る。
奥の作業場では、
レオンが、わざとらしく音を立てながら片付けをしている。ドアは、開いたまま。
(……聞こえる距離ね)
(気遣い、雑すぎる)
サーヤは、深く息を吸った。
「昨日は……」
「……本当に、ありがとう」
ルカは、黙って聞いている。
急かさない。
「大切に思ってくれたこと」
「真剣に考えてくれたこと」
「その全部が、嬉しかったです」
言葉を選ぶ。
正直に。
「でも、今の私は」
「誰かの隣に立つ前に」
「ここに、ちゃんと立っていたい」
ルカの目が、揺れない。
もう、分かっている顔だった。
「ここで生きること」
「この店で、働くこと」
「自分で選んで、進むこと」
「それを、今は手放したくないんです」
少し、間。
「……だから」
「ごめんなさい」
「お答えは、あなたと結婚できません」
ルカは、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうですか」
声は、静かだった。
「でも」
サーヤは、続ける。
「あなたがくれた時間は」
「ちゃんと、大切にします」
「考えるきっかけをくれて」
「……ありがとうございました」
ルカは、カップを置き、
ほんの少しだけ、微笑んだ。
「こちらこそ」
「考えてくれて、ありがとうございます」
そして、少し間を置いて。
「……明日も」
「コーヒー、飲みに来てもいいですか?」
サーヤは、思わず笑った。
「もちろん」
「いつもの席、空けておきます」
その笑顔で、
この話は、きれいに終わった。
⸻
外。
いつの間にか、レオンが入り口に立っている。
腕を組んで、夜風に当たりながら、
ルカが出てくるのを待っていた。
扉が開く。
「……」
一瞬、目が合う。
レオンが、軽く顎を上げた。
「よぅ、兄弟」
ルカは、少し驚いてから、苦笑する。
「……兄弟、ですか」
「今夜はな」
レオンは、肩をすくめた。
「酒でも、付き合わねぇか?」
「言葉、いらねぇやつな」
ルカは、少しだけ考えて――
小さく、頷いた。
「……お願いします」
二人は、並んで歩き出す。
それぞれ、少しだけ違う夜を抱えながら。
店の中では、
サーヤが、空になったカップを洗っていた。
静かな音。
彼女は、ふっと息を吐く。




