第十一章 scene13 心の内
店の扉をくぐった瞬間、空気が――違った。
(……あ)
視線。
明らかに、視線。
サーヤは一歩、二歩と進みかけて、
すぐに方向を変えた。
「……ちょっと、裏、行きます!」
ほぼ逃走だった。
カウンターの横をすり抜け、
常連たちの「え?」「今の?」という空気を背中に受けながら、厨房へ滑り込む。
ガチャン、と扉を閉めて、
背中を預けた。
「……はぁぁ……」
(無理)
(無理無理)
(今日これ以上、表に出るの無理)
そのまま、ずるっと腰を落とす。
「今日はもう……」
「今日はもう店に出ない」
「ここにいる!」
宣言したところで、
すぐ後ろから声がした。
「はいはい」
振り返ると、レオンが腕を組んで立っていた。
「逃げ足だけは一人前だな」
「うるさい!」
サーヤは、顔を覆う。
「ちょっと……」
「ちょっと頭が追いつかないだけだから!」
レオンは肩をすくめた。
「分かってる」
「顔に書いてある」
(書いてない!)
レオンは、棚からカップを取り出し、
何事もなかったようにコーヒーを淹れ始める。
その背中を見ながら、
サーヤは、息を整えた。
(……考えよう)
ここで生きていくこと。
この世界で、
この店で、
この人たちと。
もしかしたら、この先――
本気で恋をする日が来るかもしれない。
誰かと並んで、
人生を選ぶことがあるかもしれない。
でも。
(今じゃない)
今は、
「誰かに選ばれる」より前に、
「自分で立ってる時間」がほしい。
ここに来て、
ここで働いて、
ここを守って、
自分の足で生きてる、この感覚。
(たぶん)
(今のわたし、幸せだ)
忙しくて、
騒がしくて、
心配も多くて。
でも、ちゃんと笑ってて。
この先も、
そうでありたい。
結婚のいいところも、
しんどいところも、
もう、全部知ってる。
だからこそ。
(選ぶなら)
(自分のタイミングで)
(自分の言葉で)
サーヤは、ふっと笑った。
「……ほんと」
「人生って、いきなり問いかけてくるよね」
レオンが、コーヒーを差し出す。
「だから面白いんだろ」
サーヤは受け取って、
一口飲んだ。
あたたかい。
「……ありがとう」
「はいはい」
厨房の外では、
まだ少しざわざわしている。
でも今日は、いい。
今日はここで、
少し静かに、自分に戻る。
サーヤは、カップを両手で包んだ。
(今は、ここに立っていたい)
それだけは、
はっきりしていた。




