第十一章 scene12 葛藤
店の外に出た瞬間、空気が少し冷たかった。
朝の光。
石畳。
通りの向こうから、馬の足音。
――で。
サーヤは、立ち止まった。
正面に、ルカが立っている。
背筋が、いつもよりまっすぐだ。
剣もマントも、きちんと整えられている。
(……なに、この空気)
「……サーヤさん」
名前を呼ばれただけで、
胸の奥が、どん、と鳴った。
(あ、これ“話がある”やつだ)
「……なにか、ありました?」
思わず、現実的な方へ逃げる。
「事件とか」
「お店のことで……」
違う。
顔が、はっきりそう言っている。
ルカは、一度だけ、深く息を吸った。
そして――
「結婚してください」
⸻
……は?
声にはならない。
頭の中でだけ、大きな音がした。
(え)
(今、なんて)
沈黙。
風の音。
遠くの話し声。
思考が、いっせいに暴走する。
(待って、情報量が多すぎる)
ルカは、続けた。
声は震えていない。
決めてきた人の声だ。
「軽い気持ちではありません」
「あなたが倒れたと聞いたとき……怖かった」
「守りたいと思いました」
「一緒に、時間を重ねたいと」
(守る?)
(一緒?)
頭の奥で、別の声が割り込む。
(相手、イケメン騎士)
(こっち、中身アラフォー主婦)
(釣り合い、という言葉を)
(この世界は、知ってる?)
「……」
ルカは、少しだけ表情を和らげた。
「父から、縁談の話がありました」
(縁談!?)
「それを断るなら」
「自分の意思を、示す必要があった」
「あなたが、浮かびました」
(そんな理由で浮かばれるの、困る!)
サーヤは、ようやく声を出した。
「……ちょっと待って」
両手を上げる。
完全に混乱したまま。
「頭が、追いついてません」
ルカは、すぐに頷いた。
「はい」
その反応が、妙に落ち着いていて、逆に困る。
サーヤは、額を押さえた。
(ああ)
(自分の番が来るなんて、思ってなかった)
(ここでの見た目は、ちゃんと若いんだもんね)
(そりゃ、そういうこともあるか)
顔を上げる。
ルカは、逃げない。
視線を逸らさない。
それが、少し怖い。
「……あのね」
ゆっくり言葉を選ぶ。
「わたし、守られる前提の人じゃないの」
ルカは、即答した。
「知っています」
(……え)
「それでもです」
胸の奥が、また鳴った。
サーヤは、深く息を吸う。
「……今すぐ、答えは出せない」
正直な言葉だった。
「正直、“は?”って思ってるし」
「全然、整理できてない」
ルカは、少しだけ安心したように微笑った。
「それで、構いません」
「考えてください」
「逃げなくていいです」
(逃げる前提だったのね、わたし)
サーヤは、苦笑した。
「……騎士って」
「怖いわね」
ルカも、困ったように笑う。
「よく、言われます」
⸻
店の扉の向こう。
気配。
視線。
絶対、聞き耳立ててる。
サーヤは、頭を抱えた。
(今日は、平穏な朝だったはずなのに)
でも。
胸の奥が、じんわりと熱い。
(……困る)
(でも)
(嫌じゃない、のが)
(一番、困る)
サーヤは、視線を落とした。
⸻
前世。
キッチンとリビングの間。
夜。
洗い物の途中。
シンクに泡が残り、
換気扇の音が、ずっと鳴っていた。
「なあ」
背中越しの声。
「そろそろさ」
「一緒に暮らさないか」
振り返ると、
彼はソファの横に立っていた。
指輪もない。
膝もつかない。
ただ、照れた顔で。
でも、逃げない目で。
「結婚、しよう」
重くも、軽くもない。
生活の延長みたいな言葉。
「……急じゃない?」
そう言うと、肩をすくめて。
「でもさ」
「一緒に飯食って」
「一緒に老けていくなら」
「いいだろ」
サーヤは、笑った。
(この人は)
(派手なことは言わないけど)
(続ける気なんだ)
「……うん」
胸が高鳴ったわけじゃない。
でも、不安が減った。
「この人となら」
「まあ、なんとかなるか」
そう思えた。
⸻
今。
石畳の上。
異世界。
若い身体。
目の前には、剣を持つ騎士。
全然、違う。
でも。
ルカは、答えを迫らなかった。
考える時間を、置いた。
前は、
「一緒に生活できるか」。
今は――
(この世界で)
(この人と)
(並んで歩く覚悟があるか)
それを、問われている。
サーヤは、ゆっくり息を吐いた。
(すぐに答えなくていい)
(でも)
(向き合わなきゃ)
顔を上げる。
ルカは、まだ待っている。
逃げずに。
押しつけずに。
サーヤは、思った。
(前世のわたしは、生活を選んだ)
(今のわたしは――)
(ここでの、人生を、選ぼうとしてる)




