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第十一章 scene11 突然の

朝のカフェは、いつも通りだった。


パンの焼ける匂い。

コーヒーの湯気。

常連たちの、遠慮のない挨拶。


サーヤはカウンターの内側で、レモンケーキを試食用に切り分けている。


「今日は、ちょっと軽めにしてみたの」

「酸味、どうかな?」


カイが頷き、レオンは黙って一切れ取る。


――そこへ。


チリン。

扉が鳴る。


ルカとガルム。


いつも通りの時間。

いつも通りの席。


……のはずだった。


ルカは、席に着かず、そのまま、カウンターの前に立った。


店内が、わずかに静まる。


(……ん?)


サーヤは、首をかしげる。


「ルカさん?」

「今日は、モーニング――」


「……サーヤさん」

ルカの声は、はっきりしていた。


「お話が、あります」


一瞬。


空気が止まる。


ガルムの眉が、わずかに上がる。

レオンは、ケーキを持ったまま動かない。

常連たちが、息を潜める。


(おぉ!)

(ついに)

(やっと言うのか)


——全員、察している。

ただ一人を除いて。


サーヤだけが、完全にきょとんとしていた。


「……え?」

「私に?」


「はい」


「……なにか、忘れ物?」


ガルムが、思わず咳払いをした。


ルカは、ほんの一瞬だけ呼吸を整える。


「ここでは……」

「その」

「少し、外で時間をいただけますか」


店内の空気が、ざわっと揺れる。


(外!?)

(外って言った!?)


サーヤは、しばし考えたあと、あっさり言った。


「あ、はい」

「じゃあ、今日の午後でも?」


(午後!?)

(今じゃなく!?)


レオンが、額に手を当てる。


「……今、行け」


小声。


サーヤ

「え?」


「……いや、なんでもない」


ルカは、頷いた。

「……今でも、大丈夫ですか」



二人で、外に出る。


朝の光。

まだ人通りは多くない。


カフェの前の道。


サーヤは、いつも通りの歩幅で歩く。

まるで、仕入れに行くみたいに。


「それで?」

「お話って、なんですか?」


ルカは、立ち止まった。

サーヤも、止まる。


向き合う。


少し、風が吹く。


「……」


一瞬の沈黙。


ルカは、視線を逸らさずに言った。


「結婚してください」


……。


………。


サーヤは、瞬きを一回。


二回。


三回。


「……は?」


完全に、素。


「……え?」

「……誰が?」


ルカは、真っ直ぐに答える。


「……俺が」


「……誰と?」


「……あなたと」


サーヤの思考が、完全に止まる。


「…………は?」


(結婚?)

(誰と誰が?)

(今?ここで?)


頭の中で、情報が一切、つながらない。


「……えっと」

「ルカさん?」


「はい」


「それって……」

「えっと……」


言葉を探して、見つからない。


「……プロポーズ、ですか?」


ルカは、ゆっくり頷いた。


「はい」


サーヤは、しばらく彼を見つめてから、


もう一度、言った。


「……は?」






扉が閉まった店内。

チリン、という鈴の音が、やけに大きく響いた。


その瞬間。ざわっと。


「……え?」

誰かが、小さく声を漏らした。


「今の……」

「外、行ったよね?」


「行ったな」

「しかも二人で」


店内の空気が、じわじわと動き出す。


ガルムは、席に残ったまま、深く息を吐いた。

(……あいつ、本当に急だな)


レオンは、カウンターの内側で、腕を組む。

「……やっとか」


ぽつり。


カイが、目を丸くしている。

「え?」

「今の……何が起きてます?」


常連のひとりが、耐えきれずに言った。


「……告白?」

「いや、あれは……」


「告白通り越してない?」

「騎士さま、顔、覚悟の顔だったよ」


別の常連が、ひそひそ声で続ける。

「朝だよ?」

「朝から、人生の分岐点じゃない?」


「ねぇ、サーヤちゃん……」

「鈍すぎない?」


誰かが、笑いをこらえながら言う。

「いや、あれは鈍いっていうか……」

「発想にないんだよ、たぶん」


レオンが、低く言った。


「……発想どころか」

「自分が“対象”だって、これっぽっちも思ってない」


「だよねぇ……」


「だってさ」

「サーヤちゃん、人の恋は大好物なのに」

「自分のは全部、棚の奥にしまってるタイプだもん」


ガルムが、肩をすくめる。


「……俺は」

「いつかは、こうなると思ってた」


「ですよね」


「うん」


「でもさ」

別の客が、少し真面目な声で言う。

「……あの騎士」

「本気だよ」


店内が、ほんの一瞬、静かになる。

レオンは、カウンターに置いていた布巾を、たたんだ。

「……本気だな」


それだけ。


誰も、否定しない。


カイが、恐る恐る聞く。

「……サーヤさん」

「大丈夫、ですかね?」


レオンは、少し考えてから言った。


「……混乱はするだろ」


カウンターの向こう、閉まった扉を見る。


「おそらく“は?”って言ってるはずだ」


その言い方に、なぜか皆が笑った。


「確かに」

「“は?”は言うね」


「絶対言う」


「今ごろ言ってる」


ガルムは、外の気配を感じ取りながら、ぽつり。


「……あいつ」

「今、人生で一番、緊張してるぞ」

レオンは、鼻で小さく笑った。


「……だろうな」


店内は、ざわざわしながらも、

誰ひとりとして席を立たなかった。


コーヒーは冷めかけ。

パンも、もう食べ終わっている。


それでも。


「……戻ってくるまで」

「帰れないよね」


「無理」


「結果、知りたい」


朝のカフェは、

いつもより少しだけ、騒がしく、

そして、異様にあたたかかった。


扉の向こうで起きていることを、

全員が、固唾を飲んで待っていた。


——ただひとり、

一番大事な当人だけが、

まだ何も分かっていないまま。



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