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第十一章 scene8 不調

翌朝。


石畳に朝の光が落ちる頃、ルカとガルムは、いつも通りの時間にカフェの扉を開けた。


チリン。


――静かだ。


パンの匂いはある。

コーヒーの香りも、ある。


「いらっしゃいませ!」

声をかけてきたのは、サーヤではなかった。


カウンターの向こうに立っているのは、少年。

少し背伸びをして、必死に店を回している。


「……あれ?」

ガルムが、小さく言う。


ルカは、店内を見回した。

奥の調理場。

カウンター。

どこにも、彼女はいない。


少年――カイが、メモを持って近づいてくる。

「ご注文、お決まりですか?」


ルカは、ほんの一瞬、言葉を探した。

それから、いつも通りの声を出す。


「……あ、えっと」

「モーニングと、コーヒーを2つ、頼むよ」


「はい!」


カイは、ほっとしたように笑って、カウンターへ戻る。


その後、

コト、とカップが置かれる音。


顔を上げると、

コーヒーを運んできたのは――レオンだった。


「……昨日はどうも」

低く、落ち着いた声。


ルカは、背筋を正した。

「……いえ」


レオンは、カップを置きながら続ける

「サーヤはな」

「熱出して、今日は休みだ」


ルカの指が、わずかに止まる。

「朝から無理させるわけにもいかなくてな、

 今は寝てる」


そして、付け足すように言った。

「あんたたちが心配するだろうから」

「ただの風邪だって、伝えてくれってさ」


ルカは、ゆっくりと息を吐いた。


「……そうですか」

声は、落ち着いていた。

でも、胸の奥が、少しだけ冷える。


(……無事、なんだな)


それだけで、十分だと思う反面、

会えない朝が、こんなに引っかかるとは思っていなかった。


「……あの」


気づけば、口が先に動いていた。


レオンが、視線を向ける。


「あなたは……」

「えっと、サーヤさんの……」

言葉にする前に、

自分が何を聞こうとしているのか、わかってしまう。


レオンは、少し考えるような間を置いて、

ふっと笑った。


「んー……」


「兄貴みたいなもんだな」

「……いや、弟か?」


肩をすくめる。

「どっちでもいい」


ルカは、言葉を失った。


血のつながりでも、

恋人でも、

明確な関係でもない。


でも。


(…やはり…一番、近そうだ)


ガルムが、隣でコーヒーを一口飲む。

何も言わないが、すべて察している顔だ。


レオンは、淡々と続ける。


「この店と、この生活を」

「一緒に守ってるだけだ」


「特別なことは、してない」


その言葉が、逆に、重く響いた。

(……特別じゃない、からこそ)


ルカは、カップを手に取る。

コーヒーは、いつもと同じ味だ。


でも。

(……今日は、少し苦い)


「……」


ルカは、静かに言った。


「……お大事に、と」

「伝えていただけますか」


レオンは、短く頷いた。

「ああ」


それだけ。


それ以上の言葉は、なかった。


でも、ルカの中では、

昨日までなかった感情が、

はっきりと形を持ち始めていた。


守る。

隣に立つ。

日常を共有する。


そのどれもが、簡単に手に入るものじゃないと。


ルカは、カップを置いた。



ーーー-


昼前。


朝のピークを越えて、店内は少し落ち着いていた。

カウンターの中で、カイがカップを拭きながら、ちらちらと奥の部屋を気にしている。


「……」

拭いているのは同じ場所ばかり。


レオンは、それに気づいていたが、あえて声をかけなかった。


しばらくして、カイがぽつりと口を開く。


「……レオン」


「ん?」


「サーヤ、だいじょうぶかな」


レオンは、手元の豆を計りながら答える。

「風邪だ。寝りゃ治る」


「……でも」


カイは、カップを置く。

「昨日、ちょっと無理してたよね」


レオンの手が、一瞬だけ止まった。

「……そうだな」


カイは、少し考えてから言う。

「なにか、元気になるもの、持っていってあげたい」


「……食べられるかな」

「のど、痛いかもだし」


子どもらしいけれど、

ちゃんと相手を思っている言葉だった。


レオンは、腕を組んで天井を見る。

(元気になるもの、ねぇ)


肉は重い。

酒は論外。

コーヒーは刺激が強い。


「……」

しばらく黙ってから、ぽん、と手を打った。


「あ」


カイが顔を上げる。

「なに?」


「ハチミツレモン、とかどうだ」

「喉にもいいし」

「甘すぎなきゃ、飲めるだろ」


カイの目が、ぱっと明るくなる。

「いい!それ!」


「温かいやつね」

「サーヤ、すっぱいの苦手じゃないし」


レオンは、鼻で小さく笑った。

「よく知ってんな」


「よく見てるもん」


それは、誇らしげでもあり、少し照れた言い方だった。


「じゃあ作ろうぜ」

レオンが言う。

「お前は、レモン切れ」


「はい!」

カイは、すぐに動き出す。

包丁を持つ手が、いつもより丁寧だ。


(……俺たち、いつの間にか)


店を守っているつもりで、サーヤを守る側にもなっていた。それは、誰かに命じられたわけでも、約束したわけでもない。ただ、ここが“生活”だからだ。


「レオン」


「ん?」


「ルカたちにも、ちょっと分ける?」


一瞬、間があった。


レオンは、すぐに答えなかった。

でも、やがて肩をすくめる。


「……まあ」

「明日の朝もサーヤが休みだったら出してやるか」


カイは、にっと笑った。

「優しい」


「うるせ」


でも、否定はしなかった。


鍋の中で、レモンの皮が、ふわりと香る。


その匂いは、この店が“戦場”じゃなく、

ちゃんとした居場所だという証みたいだった。


レオンは、鍋を火にかけながら思う。


(……あいつ)


目を覚ましたら、これ飲ませてやるか。


「お前は、結構守られてるよ」


声には出さず、

湯気の向こうにいるサーヤに、

そう言った気がした。



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