第十一章 scene6 無事
しばらくして。
店の前に、もう一台の馬車が止まった。
先ほどよりも、明らかに格式の違うものだった。
御者が飛び降り、扉を開く。
中から現れたのは、年配の男性と女性。
落ち着いた身なりだが、表情は険しい。
ライラの母セレイアだった。
「……ライラ」
その声に、ライラの肩がびくりと震える。
「お母さま……」
母は、まず娘を抱き寄せた。
強くもなく、弱くもなく。
無事を確かめる、静かな仕草。
「怪我は?」
「……ありません」
それを確認してから、ようやく視線が動く。
サーヤ、リオ、そして騎士たちへ。
ルカとガルムは、一歩前に出て、簡潔に報告した。
「未遂です」
「被害はありません」
「周囲の安全も確保しました」
母は、短く頷く。
「……ご苦労さまでした」
そのあと、サーヤの前に立った。
サーヤは、一歩進み出る。深く、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「店の前で、このようなことが起きて……」
リオも、慌てて頭を下げる。
「私がライラ様をお守りできず、不安にさせてしまいました」
「……ご迷惑を――」
「いいえ」
遮ったのは、母の声だった。
低く、しかしはっきりと。
「違います」
二人の顔が、上がる。
母は、ライラの肩に手を置いた。
「この子が、わがままを言ったのでしょう」
ライラが、ぎゅっと唇を噛む。
「朝のカフェに行きたい」
「一度でいいから、騎士たちを近くで見たい」
「騒がしくしないから」
――言葉はなくても、全部わかっている、という目だった。
「護衛をつけるほどの用事ではないと」
「私が判断を誤りました」
母は、サーヤに向き直る。
「ご迷惑をおかけしたのはこちらです」
「……申し訳ありませんでした」
その場にいた誰よりも、深く頭を下げた。
サーヤは、慌てて首を振る。
「そんな……」
「怪我がなくて、本当によかったです」
それ以上、言うことはなかった。
リオが、ライラの手をそっと握る。
ライラは、小さく頷いた。
「……帰りましょう」
騎士たちが、自然に左右に立つ。
護衛としてではなく、道を作るように。
ルカは、馬車に乗る前、ほんの一瞬だけ振り返った。
サーヤと、目が合う。
何も言わない。
ただ、確かめるような視線。
サーヤは、軽く会釈した。
馬車は、静かに去っていった。
⸻
その日の昼過ぎ。
サーヤは、騎士団の詰め所にいた。
石造りの建物。
空気は張りつめているが、威圧はない。
事情聴取、と言っても、形式ばったものではなかった。
「当時の状況を、順を追って」
問われる声は、冷静だった。
サーヤは、落ち着いて話す。
音。
馬車。
騎士たちが動いたタイミング。
自分がしたこと。
誇張せず、隠さず。
「……あなたは、外に出ましたね」
「はい」
「水を持って行きました」
「危険だと思いませんでしたか」
一瞬、考えてから答える。
「……正直に言えば、怖かったです」
「でもライラたちだったので、中にいるより
「外にいたほうが、役に立つと思いました」
詰め所の空気が、わずかに変わる。
質問していた騎士が、筆を止めた。
「……そうですか」
しばらくして。
「ご協力、感謝します」
「あなたの対応が、混乱を広げなかった」
それだけ言われた。
外に出ると、夕方の光が差していた。
詰め所の前。
ルカが、壁にもたれて立っている。
「……終わりましたか」
「はい」
「大丈夫でした」
それだけの会話。
レオンが迎えにきていた。
レオンに向かって走っていくサーヤの背中を、
ルカは、その場から動かずに見ていた。
軽やかな足取り。
安堵したような声。
名前を呼ぶ、その距離感。
(……迎えに来る人がいる)
それは当たり前のことだった。
店主なのだから。
信頼している相手がいるのも、当然だ。
それでも。
詰め所で剣を握るより、巡回で夜を越えるより、
今のほうが、胸の奥が静かに痛んだ。
(守れたし、ちゃんと間に合った)
それだけで、十分なはずなのに。
サーヤが、誰かに向かって安心した顔を見せるたび、
自分の中の何かが、少しずつ形を持ち始めているのを、
ルカは否定できなかった。
⸻
詰め所の門は、思ったよりも静かだった。
石造りの壁。
出入りする騎士たちの足音。
誰も、こちらを気に留めない。
レオンは、門の外で待っていた。
腕を組み、壁にもたれて。
(……長ぇな)
中で何がどう聞かれているのかは、わからない。
聞こうとも思わない。
聞いたところで、代われるわけでもない。
ただ――
無事に出てくるかどうかだけを考えていた。
⸻
扉が開いた。
出てきたのは、サーヤだった。
顔色は、いつも通り。
歩き方も、崩れていない。
(……大丈夫そうだな)
それだけで、胸の奥が少し緩む。
「おつかれ」
「うん」
「事情は聞かれたけど、問題なかった」
余計なことは言わない。
詰められたとか、怖かったとか、そういう言葉もない。
(聞かれても、ちゃんと答えた顔だ)
「……帰るか」
「うん」
それだけ言って、並んで歩き出す。
後ろで、見送っているルカの姿は見えていた。
⸻
夕方の道。
人通りは少なく、石畳に靴音が響く。
「……怒られたか?」
レオンが、ぽつりと聞く。
サーヤは、少し考えてから首を振った。
「怒られてはないかな」
「むしろ、対応は落ち着いてたって」
「だろうな」
レオンは、それ以上言わない。
(ああいう場で)
(取り繕わずに話せるやつだ)
守られてる立場に、甘えない。
だからこそ、目をつけられる。
(……面倒だ)
でも、誇らしくもある。
⸻
カフェに戻ると、灯りはついていた。
「おかえりなさい!」
カウンターの向こうから、カイが顔を出す。
「留守番、ありがとう」
「いえ特に何も……」
それが一番いい。
⸻
サーヤは、手を洗い、いつもの位置に戻る。
「……一杯、淹れようか」
言われなくても、そうなる。
豆を量る音。
ミルを回す音。
(戻ってきた)
詰め所だろうと、騒ぎの中心だろうと、
ちゃんとここに戻る。
カップが、差し出される。
「どうぞ」
レオンは、一口飲んだ。
(……変わらねぇ)
それが、何よりだ。
サーヤが、ふっと息を吐く。
「……ちょっと疲れたかも」
「そりゃ、そうだ」
それ以上、慰めもしない。
大丈夫だと、知っているから。
⸻
「カイ」
レオンは言う。
「今日は、もう上がれ」
「え?」
「いいんですか?」
サーヤが、にこっと笑う。
「ありがとう。今日はもう大丈夫」
カイは、ほっとした顔で奥に下がる。
⸻
店内は、静かになる。
夕方の光。
2人分のコーヒー。
レオンは、カップを置いて思う。
(迎えに行って、正解だったな)
外で何があっても。
誰が、何を見ていても。
この店に戻って、この一杯を飲めるなら。
今は――
それで、いい。




