第十一章 scene3 片想い
それから、毎朝2人は来た。
天気がよくても。
少し雨でも。
市場が騒がしい日でも。
同じ時間。
同じ席。
サーヤは、最初は偶然だと思っていた。
次に、巡回の都合かなと思い。
3日を過ぎたあたりで、さすがに気づいた。
(……毎日だな)
ただし、気づいても深く考えない。
中身が主婦のサーヤは、こういうとき妙に現実的だ。
(なにか事件……では、ないよね?)
騎士が毎日来る=何か起きている、という発想が先に来る。
7日目の朝。
パンを温めながら、サーヤは決めた。
(聞こう)
変に気を回すより、聞いたほうが早い。
⸻
「いらっしゃいませ」
二人が席につき、いつもの注文をし終えたあと。
サーヤは、コーヒーを運びながら、いつもより少しだけ足を止めた。
「あの……」
2人が顔を上げる。
サーヤは、にこやかに、でも探るような視線は一切なく言った。
「最近、よくいらしてくださいますよね」
一瞬。
ソフトの肩が、わずかに跳ねた。
「……えっ」
明らかに、焦っている。
「あ、あの」
「その……」
言葉を探すように、口を開いては閉じる。
サーヤは、少し心配になった。
(……やっぱり何かある?)
「なにかあったのかと思って」
「巡回で、お忙しいのかなって」
そう言うと、ソフトはさらに慌てた。
「い、いえ!」
「そういうわけでは……!」
ハードが、静かに口を開く。
「心配をかけて、すみません」
その声は低く、落ち着いている。
「特別な事情はありません」
「ただ――」
ちらり、とソフトを見る。
「彼が、ここを気に入っているだけです」
「……!」
ソフトの顔が、わかりやすく赤くなった。
「ちょ、ちょっと!」
サーヤは、一瞬きょとんとしてから、ふっと笑った。
「そうだったんですね」
それから、安心したように言う。
「それならよかった」
「事件かと思っちゃいました」
ソフト
「……コーヒーが、本当に、美味しくて」
ようやく絞り出した言葉。
「毎朝、ここで飲むと」
「頭が、ちゃんと冴えるんです」
サーヤ
「あら、それは嬉しい」
心からの声だった。
「朝のコーヒーは、大事ですからね」
⸻
ハードが、少しだけ姿勢を正す。
「失礼しました」
「名乗っていませんでしたね」
「俺は、ガルム」
「彼は、ルカ」
ソフト――ルカは、少し遅れて頭を下げた。
「…あ、…ルカです」
サーヤは、自然に応じる。
「サーヤです」
「こちらは、レオン」
レオンは、軽く頷くだけ。
⸻
そのやりとりを、少し離れた場所で見ていた女性客たちが、ざわつく。
「……名前、言ってる」
「距離、近くない?」
サーヤは、まったく気づかない。
ただ、コーヒーカップを置きながら言う。
「毎朝ありがとうございます」
「ご無理のない範囲で、どうぞ」
それだけ。
⸻
カウンターに戻ると、レオンがぼそっと言った。
「……やっと聞いたのか」
サーヤ
「うん」
「なんか気になっちゃって」
「事件じゃなくて、よかった」
レオンは、何も言わない。
ただ、視線を一瞬だけ、ルカの方にやった。
⸻
席に戻ったルカは、しばらく無言だった。
ガルムが、低く言う。
「……焦りすぎだ」
ルカ
「だって」
「急に話しかけられて……」
「それで?」
「……ちゃんと、名前も言えた」
ガルムは、わずかに口角を上げた。
「進歩だな」
ルカは、カップを見つめる。
毎朝、ここに来たい理由は、はっきりしていた。
穏やかな朝の時間を作っている彼女をもう少し知りたいと思う。
⸻
サーヤは、まだ知らない。
「常連」になった理由が、
コーヒーだけじゃないことを。
そして、
それを一番よく分かっているのが、
カウンターの向こうにいる男だということも。
⸻
それから、会話はほんの少しずつ増えた。
「騎士様はお休みはないんですか?」
「もちろんありますよ。
巡回は交代制なので、朝だけ顔を出せる日が多いんです」
「甘いものは、お好きですか?」
一瞬、間が空いて。
ルカは少し困ったように答えた。
「……嫌いでは、ないです」
「得意では、ないですけど」
サーヤは、くすっと笑う。
「じゃあ、甘すぎないのがいいですね」
それだけの会話。
ガルムは、あまり口を挟まない。
ルカのために2人の空気を、少し後ろから見守るような位置にいる。
⸻
そして、ある日。
午後。
昼の客が落ち着いたころ。
市場は静かで、風の音だけが聞こえる。
扉の鈴が鳴る。
チリン。
サーヤが顔を上げると、
そこにいたのは、ルカだった。
一人。
騎士の装いではない。
動きやすそうな服。
剣もない。
マントもない。
(……あれ)
一瞬、見慣れなくて、誰かわからなかった。
「……いらっしゃいませ」
ルカは、少し照れたように頭を下げる。
「こんにちは」
声が、いつもより近い。
サーヤは、ようやく気づいて、目を瞬いた。
「……あ、ルカさん。今日は、お一人なんですね」
「はい」
「今日は休みで」
「……その」
少し言い淀んでから。
「コーヒーが飲みたくなって」
サーヤは、何の疑いもなく言う。
「どうぞ」
「カウンター、空いてますよ」
⸻
ルカは、一瞬だけ戸惑った。
(あれ、誰もいない…)
奥の席。
いつもそこに行く癖が、体に残っている。
でも、今日は。
「……では」
カウンターへ。
椅子に座ると、思ったよりも距離が近い。
サーヤの手元。
豆を量る音。
湯を注ぐ音。
(……こんなに近かったのか)
ルカは、背筋を正した。
「お休みの日は」
サーヤが、自然に話しかける。
「普段着なんですね」
「はい」
「その方が、落ち着くので」
「わかります」
「制服って、気が抜けないですよね」
ルカは、少し驚いた顔をした。
「……そうなんです」
⸻
コーヒーを出す。
「今日は、少し軽めです」
「午後なので」
「ありがとうございます」
カップを受け取る指先が、少しだけ震えた。
サーヤは、気づかない。
「ちょっとだけ甘いもの、少し試してみます?」
「苦手なら、無理しなくていいですけど」
「……少しなら」
出されたのは、小さな胡桃の焼き菓子。
ルカは、一口だけかじる。
「……美味しいです」
間を置いて、正直に言う。
「思っていたより」
サーヤは、嬉しそうに笑った。
「それなら、よかった」
⸻
しばらく、静かな時間。
コーヒーの湯気。
木のカウンター。
外の風。
「……」
ルカは、何度か口を開きかけて、閉じた。
「……」
サーヤが、ふと顔を上げる。
「この時間は静かでしょう?」
「今日は、レオンが仕入れの買い物と、クルテッド、あ、港のハンバーガー屋に行ってて夕方まで戻らないかな」
それを聞いて、ルカの胸が、少しだけ強く鳴った。
「……そうなんですね」
「はい」
「朝とはまた違うでしょう?」
「……はい」
静かすぎて、言葉が、よく聞こえる。
⸻
ルカは、カップを見つめたまま言った。
「……この店」
「朝も、昼も」
「落ち着きます」
サーヤは、少し考えてから言う。
「それは、よかった」
「たぶん」
「あなたのファンも多いのでしょうね」
「……え?いや、そんなことはないでしょう。ここのコーヒーとスイーツが美味しいと言ってくださる方は多いですけれど」
「あぁ、きっとそうでしょうね」
「コーヒーも、食べるものも美味しいですし」
「ここの雰囲気と時間のファンがきっとたくさんいるのでしょう」
(そして、俺はあなたのファン!)
ルカは、ゆっくり息を吐いた。
サーヤは、まだ知らない。
この午後が、ルカにとって、
「特別な時間」になったことを。
そして。
扉の鈴が鳴るまで、
その距離のまま、
ゆっくりとコーヒーを飲み続けた。




