第十章 scene8 卒業
今日のカフェは、少しだけ違っていた。
看板はいつも通り。
椅子の並びも、豆の量も同じ。
でも、みんながどこか落ち着かない。
リオは、いつもより早く出勤していた。
エプロンを結び、深呼吸をひとつ。
「……今日で、最後です」
サーヤは、あえて軽く言う。
「そうだね。でも“終わり”って感じじゃないでしょ」
リオは、少し笑った。
「はい」
⸻
昼過ぎ。
店を早めに閉めると、扉の向こうから声がした。
「よーっし!」
「間に合ったな!」
クルスとテッド、そしてカイが、
紙袋を両手いっぱいに抱えて入ってくる。
テッド
「卒業式には、やっぱ主食が必要だろ?」
袋の中から現れたのは、焼きたてのハンバーガー。
カイが、少し照れながら言う。
「……今日は」
「ちゃんと、全部一人で焼きました」
リオ
「ほんとに?」
カイ
「……ほんと」
二人、顔を見合わせて笑う。
⸻
キッチンでは、サーヤとリオが並ぶ。
卵を割って、
砂糖を量って、
最後に、そっと火を弱める。
「焦らない」
「待つ」
サーヤの言葉を、リオはもう繰り返さない。
体が、覚えている。
出来上がったのは、プリンと、焼き菓子。
「……これ」
リオが言う。
「最初に作ったのより、ちゃんとできてます」
サーヤ
「当たり前!プロに近づいてるんだから」
リオは、照れたようにうつむいた。
⸻
レオンは、カウンターでグラスを並べている。
白いソーダ。
コーラ。
メロンソーダ。
少しだけ、特別なフルーツ入りの水。
「今日は飲みたいもの、全部出すぞ」
クルス
「太っ腹だな」
レオン
「……最終日だからな」
カイ
「メロンクリームソーダがいいです!」
⸻
テーブルをつなげて、皿を並べて、グラスを置く。
小さな卒業パーティー。
誰も立派な挨拶はしない。
テッド
「じゃあ……」
「食うか!」
「それかよ!」
笑いが起きる。
⸻
リオは、ひとつずつ、みんなの顔を見る。
サーヤ。
レオン。
クルス。
テッド。
カイ。
「……ありがとうございました」
声は、震えていない。
「ここで」
「初めて」
「自分が役に立つって、思えました」
「失敗しても大丈夫で、戻ってこれる場所があって」
「それが」
「すごく、救いでした」
サーヤは、皿を置きながら言う。
「それ、こっちの台詞」
レオン
「……また、来い」
「客でも、手伝いでも」
クルス
「港にも顔出せよ!」
テッド
「プリン、卸してくれてもいいぞ!」
カイは、少し黙ってから言った。
「……俺は、姉さんがここにいなくても役に立つように頑張るから、まだここにいてもいい?」
リオは、にっこり笑った。
「うん、もちろん!」
⸻
リオのカフェ最終日。
それは、別れじゃなくて、
ちゃんとした「卒業」だった。
⸻
馬車が止まり、重厚な門をくぐる。
屋敷の中は静かで、
足音さえ少し遠慮がちになるような空気だった。
リオは、胸の前で手を握りしめる。
(……ここが、今日からの場所)
案内された部屋で、一式の服が用意されていた。
「こちらを」
差し出されたのは、落ち着いた色合いのメイド服。
飾りは控えめで、動きやすそうだ。
リオ
「……ありがとうございます」
着替え終え、姿見の前に立つ。
少し背筋が伸びた自分が、そこにいた。
(大丈夫)
(ちゃんと、やれる)
⸻
応接の一角で待っていたのは、
年配の女性だった。
無駄のない所作。
静かな視線。
メイド長だった。
「あなたが、リオさんですね」
「はい」
「まずは、どの程度できるか、見せてください」
声は淡々としているが、冷たくはない。
⸻
最初は、読み書き。
手紙を一通、渡される。
内容を読み、要点をまとめる。
次は、計算。
日々の食材費と使用量を示した簡単な帳面。
リオは、落ち着いてペンを動かす。
カフェで覚えた、あの感覚。
(急がない)
(確認する)
「……問題ありません」
メイド長は、静かに頷いた。
⸻
次は、掃除。
部屋の隅。
窓枠。
床。
「……丁寧ですね」
「癖です」
そう答えて、リオは少しだけ笑った。
⸻
最後は、料理。
簡単な下ごしらえと盛り付け。
火加減を見ながら、手を止める。
(焦らない)
(待つ)
サーヤの声が、頭の奥でよみがえる。
出来上がった皿を差し出すと、
メイド長は一口だけ味を確かめた。
「……十分です」
⸻
一連が終わったあと。
少し離れたところで様子を見ていたセレイアが、
ゆっくりと歩み寄ってきた。
「どう?」
メイド長は、短く答える。
「基礎がしっかりしています」
「教えられたことを、きちんと自分のものにする人ですね。細やかな配慮が行き届いてます。」
セレイアは、嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり!素晴らしい人材だわ」
リオは、思わず背筋を正す。
「無理をさせるつもりはありません」
セレイアは、穏やかに続けた。
「まずは一通り、仕事を覚えて」
「あなたがいちばん力を発揮できる場所に、配置しましょう。ここは、学ぶ場所でもあるのよ」
リオは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……はい」
「よろしくお願いします」
深く、丁寧に頭を下げる。
「じゃ、次はお給金とお休みについてね…」
丁寧な説明が続く。
⸻
その日の終わり。
屋敷の廊下を歩きながら、リオは思った。
(ここからちゃんと、始まるんだ)
カフェで過ごした日々は、終わったわけじゃない。
背中に、ちゃんとついている。




