第十章 scene5 新しい扉
朝のカフェは、まだ半分眠っていた。
床を掃く音と、湯気の立つケトルの音だけが、ゆっくりと流れている。
サーヤがカウンターで豆を量っていると、
扉の外で、軽い足音が止まった。
「おはようございます」
差し出されたのは、厚手の紙に包まれた一通の封。
封蝋はきちんと押され、淡い色のリボンが添えられている。
(……早いな)
サーヤは受け取り、ひとりで封を切った。
⸻
先日は、素敵なひとときをありがとうございました。
ぜひ改めて、サロンにてお話を。
ささやかな集まりではありますが、
お気軽にいらしてくださいませ。
—— セレイア
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サーヤは、手紙を読み終えて、ふぅっと息を吐いた。
「……ほんとに来た」
そのとき。
背後から、少し控えめな声。
「……どうかしました?」
振り向くと、リオが立っていた。
エプロンを結びながら、こちらを見ている。
サーヤは、招待状を軽く振ってみせる。
「サロンに招待されたのよ」
「……サロン?」
「うん」
「貴族の奥様たちの集まり」
「この間の、あれの続き」
リオは一瞬きょとんとしてから、少し目を輝かせた。
「……行くんですか?」
「うん、行く」
「それに、リリアにも会いたいし」
それから、少し間を置いて。
「でね」
「ひとりで行くのも、なんか違うなって思って」
リオは、はっとする。
「……え?」
サーヤは、にやっと笑った。
「ドレスアップして、一緒にどう?」
「来る?」
「わ、わたしですか!?」
「他に誰がいるの」
リオは、思わず自分の服を見る。
いつもの、動きやすい仕事着。
「……あの」
「わたし、ちゃんとした服、持ってなくて……」
「大丈夫」
「ドレスは、なんとかする」
サーヤは、さらっと言った。
リオは、少し迷ってから、それでも小さく頷く。
「……ちょっと緊張しますけど」
「ドレス、着てみたいです」
「よかった」
「私も心強いよ。ありがとう」
サーヤは、カウンターに招待状を置きながら言った。
リオは、胸の前で手をぎゅっと握る。
「……でも」
「ちょっと、楽しみです」
サーヤは、それを聞いて、少しだけ驚いた顔をしてから、
やわらかく笑った。
朝の光が、窓から差し込む。
サーヤは、紙にペンを走らせる。
少しだけ、言葉を選びながら。
⸻
セレイア様
このたびは、サロンへのご招待、ありがとうございます。ぜひ、お伺いさせてください。
ひとつだけ、お願いがございます。
このたび、私と共に一人、連れ添って参りたいと考えております。
ただ、私たちは庶民ゆえ、ふさわしいドレスを持ち合わせておりません。
もし差し支えなければ、当日、ライラ様とリリア様の髪結いをお手伝いする代わりに、
ドレスをお貸しいただくことは可能でしょうか。
連れは歳も体型は、ライラ様と同じくらいです。
ご無理であれば、どうか遠慮なくお断りください。
お会いできる日を、楽しみにしております。
—— サーヤ
書き終えたサーヤは、ふっと肩の力を抜いた。
「……よし」
カフェの奥から、レオンの声。
「なんだ、その顔」
「また、面白いこと思いついたな?」
サーヤは、返事をせずに笑った。
(……さて)
(ドレス問題、どう転ぶかな)
その日の昼前。
カフェが一番落ち着く時間帯。
焼き菓子の甘い匂いが、店内にゆっくり広がっていた。
サーヤがカウンターの奥で仕込みをしていると、
また扉の前で馬車が止まる。
「失礼します」
今度は、はっきりとした声だった。
振り向くと、朝よりもずっと立派な封を持った使いの人が立っている。
(……早すぎない?)
サーヤが受け取ると、封蝋はまだ、ほんのり温かい気がした。
⸻
サーヤ様
まあ、なんて素敵なご提案でしょう!
もちろん、喜んで。
ドレスのことは、どうぞご心配なく。
あなたの分も、きちんとご用意いたします。
それから——
サロンの前に、ぜひ一度、
そのお連れの方とご一緒にお越しくださいませ。
リオさん、でしたね?
お会いできるのを楽しみにしています。
—— セレイア
⸻
サーヤは、最後の一行を読み返した。
「……名前、もう覚えられてる」
そのとき。
「……あの」
背後から、恐る恐る声。
リオだった。
「もしかして」
「……返事、来ました?」
サーヤは、手紙をひらひらさせる。
「即返事」
「しかも」
「ドレス、用意してくれるって」
リオの目が、ぱちっと見開く。
「……え?」
「ええっ!?」
「それだけじゃない」
サーヤは、少し楽しそうに続ける。
「サロンの前に」
「一回、リオと一緒に来て、だって」
「わ、わたしも!?」
「うん、名指し」
リオは、思わず胸元を押さえた。
「……そんな」
「わたし、ちゃんと話せるかな」
サーヤは、肩をすくめる。
「大丈夫」
「貴族の奥様たち、意外と話すの好きだし」
「……それ、余計緊張します」
二人で顔を見合わせて、くすっと笑う。
⸻
ちょうどそのとき。
カウンターの向こうで、レオンが鼻で笑った。
「……お前ら」
「今、ろくでもない扉、開けたな?」
サーヤ
「失礼ね」
レオン
「いや、経験談だ」
リオは、恐る恐る聞く。
「……怒られますか?」
レオン
「怒られはしないさ、巻き込まれるだけで」
サーヤ
「言い方!」
レオンは、カップを拭きながら言った。
「ま、でも行ってこいよ」
サーヤ
「え?」
「見てくればいいさ」
「どういう世界があるかを」
リオは、少し驚いた顔をする。
サーヤは、少しだけ真面目な顔になって、頷いた。
「……うん」
リオは、ぎゅっと拳を握る。
「……はい」




