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第九章 scene15 来客

それから、数日。

朝のカフェは、もう慌ただしさよりもリズムが勝っていた。リオは、すっかり台所側の人間になっている。


スクランブルエッグ。

火を入れすぎない。

ふわっと。


ハムエッグ。

黄身の位置を気にしながら、白身だけを先に。


サンドイッチ。

パンの端を揃える癖が、いつの間にか身についている。


ワッフル。

焼き色を確認してから、必ず一拍置く。


サーヤは、ほとんど口を出さない。

常連のひとりが言う。

「もう、すっかり戦力だな」


リオは、少し誇らしそうに笑った。



カイも成長している。

コーヒーはもう怖くない。

トレーの動きが、体に馴染んでいる。


ソフトドリンク担当も始めた。


炭酸。

シロップ。

氷。


メロンクリームソーダを作りながら、

サーヤが横から言う。

「カイ……アイスが多いよ」


カイ

「……あっ」


慌てて、少し減らす。

「ごめんなさい」


レオンが、奥から低く言う。

「……溶けると、味変わるからな」


カイ

「……はい」


それでも、客は笑って言う。

「多めなの、嫌いじゃないぞ」


カイは、困ったように笑った。



そんな、平和な昼下がり。

扉の鈴が鳴った。

チリン。

いつもより、少し重たい音。


サーヤ

「……いらっしゃいませ」


顔を上げた瞬間、リオの手が、止まる。

立っていたのは、ひとりの女性。


少し疲れた顔。

でも、身なりはきちんとしている。

視線が、落ち着かない。


一歩、店内に入って――

そして、リオと目が合った。


一瞬。

空気が、張る。

リオの声が、かすれる。

「……母さん」


その一言で、

カイも、凍りついた。


女性は、ゆっくりと息を吸ってから、

小さく、名前を呼ぶ。


「……リオ」


サーヤは、すぐには動かない。

レオンも、何も言わない。


常連たちは、何も聞かないふりで、視線を外す。


リオは、エプロンの端を握りしめる。

声が、震えないように。


「……どうして、ここに」


女性は、少しだけ目を伏せて言った。


「探したの。帰ったら、家にいないから」


沈黙。

カイが、一歩、リオの後ろに立つ。


レオンが、低く言う。

「……席、案内するか」


サーヤは、頷いた。

「奥、空いてます」


母と呼ばれた女性は、一瞬だけ迷ってから、頷く。

「……お願いします」


テーブルに向かう背中を見送りながら、

サーヤは、静かに言った。


「……大丈夫」

「ここは、逃げ場じゃない」


リオは、まだ答えない。

でも、エプロンを外さなかった。



奥の席に、母が座る。


カップに手を伸ばしかけて、止める。

何を頼めばいいのか、わからない顔。


サーヤは、少し距離を保ったまま、リオを見る。


「……リオ」

「話す?」


声は、あくまで選択肢として。


リオは、少しだけ迷ってから、

小さく、でもはっきり言った。


「……一緒に、いてほしい」


その一言で、サーヤはもう動いていた。


「うん」


短く、迷いのない返事。


サーヤは、リオの隣に立つ。

肩が触れない、でも離れすぎない位置。


「……カイは?」


サーヤが、そっと視線を向ける。


カイは、母の方を一度だけ見て、

ゆっくり首を振った。


「……ここで、いい」


レオンは、その仕草を見て、すぐに察する。


「……カイ」


低い声。


「洗い物、頼めるか」


カイ

「……はい」


その声は、いつもより少しだけ強かった。


カイは、何も言わずに洗い場へ向かう。

水の音が、少し大きくなる。



奥の席。


サーヤが、母に水を置く。

「……何か、飲まれますか」


母は、首を振る。

「……いいえ。少し、話せれば」


視線が、リオに戻る。


リオは、エプロンの端を握ったまま、深く息を吸う。

「……母さん」

「ここ、わたしとカイの働いてる店」


言葉を選びながら。

「……ちゃんと、やってる」


母は、それを聞いて、初めて、少しだけ目を潤ませた。

「……そう」

「よかった」

でも、その声は、どこか遠い。


サーヤは、そこで口を挟まない。

ただ、そこにいる。

沈黙が、少しだけ続く。


母が、ぽつりと言う。


「……あなたたちを」

「置いていったつもりは、なかったの」


その言葉に、リオの指先が、きゅっと縮む。

サーヤは、リオを見る。


外では、風鈴が鳴る。


洗い場から、

カイがグラスを置く音が、一定のリズムで聞こえる。



サーヤは、静かに言った。


「……今日は」

「ここまででいいです」


母は、顔を上げる。

「……え?」


サーヤは、微笑む。


「無理に、全部話さなくていい」

「また、来てください」

「話したくなったら」


リオは、サーヤを見た。

サーヤは、何も言わずに頷く。


リオは、母に向き直る。


「……今日はこれだけで、いい」


母は、しばらく黙ってから、小さく、頷いた。

「……ありがとう」


その言葉は、

誰に向けたものか、わからなかった。



母が帰ったあと。


カフェの空気は、

ゆっくり、元に戻っていく。

洗い場で、カイが、最後のグラスを拭く。

リオは、エプロンを外しながら、サーヤに言った。


「……ごめんなさい、お店の空気壊しちゃった」


サーヤは、即座に首を振る。

「いいのよ、わたしも途中で切り上げてごめんね」


少し、間を置いて。

「……放っておけなかった」


リオは、何も言わない。

でも、その目は、少しだけ楽になっていた。


レオンが、カウンター越しに言う。

「……今日の閉店、早めるか」


サーヤ

「そうしよっか」


外の光が、ゆっくり傾く。

この店は、今日も「答え」を出さなかった。



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