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第九章 scene14 チャレンジ

朝。

いつものルーティンが、静かに終わる。


床は拭かれ、椅子は揃ったが、看板はまだ裏返しのまま。湯気だけが、店の奥でゆっくり立っている。

サーヤは、エプロンの紐を整えながら言った。


「よし」

「じゃあ、今日は――」


リオの方を見る。

「ドリンク開発、やってみよっか」


リオの目が、ぱっと輝く。

「ほんとに!?」


サーヤ

「うん、お試しだから、失敗してもいいやつ」


リオ

「失敗しても……?」


サーヤ

「むしろ、失敗の方が大事」


リオは、少し考えてから、にやっと笑った。

「じゃあ……変なの作ってもいい?」


サーヤ

「大歓迎」



カウンターの一角。

小さなグラスが、いくつか並ぶ。

氷。

シロップ。

果実水。

牛乳。

炭酸。


リオは、真剣な顔で考え込む。


「えっと……」

「甘すぎると、すぐ飽きるよね」


サーヤ

「うん」


「でも、ちょっと酸っぱいと」

「もう一口、ってなる」


サーヤ

「……いいとこ突くね」


リオ

「あとね」

「色も大事」


サーヤ

「味より?」


リオ

「味の前に、見ちゃうから」


サーヤは、少しだけ感心した顔になる。

「じゃあ今日は“見た目から入る飲み物”ね」






一方。店の中央。


カイは、トレーを持って立っていた。

その前に、レオン。

トレーの上には、水を入れたコーヒーカップが三つ。


レオン

「……歩け」


カイ

「はい」


一歩。

カタ。


二歩目。

カタ……。


カイの肩が、びくっとする。

「……揺れる」


レオン

「止まるな。揺れたら、揺れたまま進め」


カイ

「え?」


レオン

「止まると余計に手が震える」


カイは、言われた通り、ゆっくり歩く。

音は、まだ小さい。


カタ……カタ……。


レオン

「目線を、前」


カイ

「……はい」


少しずつ、音が減る。



カウンター側。


リオは、グラスに白い液体を注いだ。

そこに、ほんの少しだけ透明な炭酸。


泡が、細かく立つ。


「……これ」

「“甘酸っぱい白いソーダ”、第2号」


サーヤ

「飲んでみよ」


二人で、一口。


リオ

「……あ、昨日より、好き」


サーヤ

「私も」


リオは、嬉しそうにメモを取る。

字は、まだ少し丸い。


《酸っぱすぎない》

《白い》

《冷たい》

《なんか、落ち着く》


サーヤ

「名前は?」


リオ

「……まだ決められない」


サーヤ

「じゃあ」

「決まるまで、番号でいこ」


リオ

「うん!」



そのとき。


カイが、トレーを持ったまま戻ってくる。

今度は、音がしない。


レオン

「……よし」


カイの顔が、少しだけ緩む。


サーヤ

「お、上達してるじゃん」


カイ

「……はい」

「落とさなかった」


リオが、ぱっと顔を上げる。

「見て!」

「新しいの!」


カイ

「……飲んでいい?」


サーヤ

「まだダメ。仕事のあと」


カイ

「……ですよね」


レオンが、ぽつり。

「……じゃあ、俺が味見する」


リオ

「え、いいの?」


レオン

「失敗作係だ」


一口。

「……悪くない」


リオ

「ほんと!?」


レオン

「……ちゃんと“飲み物”だ」


サーヤ

「最高の褒め言葉だね、それ」


外で、看板を返す音。

そろそろ、開店。






カウンターの内側で、

カイはトレーを持って立っていた。


その上には――

コーヒーカップ、ひとつ。


中身は、なみなみ。


レオンが、低く言う。

「……行けるか」


カイ

「……はい」


声は小さいけど、逃げない。


サーヤは、あえて何も言わない。

リオは、手を止めて見ている。


そして――

店の空気が、なぜか静かになる。


常連の一人が気づいて、ひそっと言う。

「……お?」

「来るぞ」


別の客が、新聞を下げる。

「お、今日のチャレンジか」


カイは、一歩踏み出す。


ゆっくり。

本当に、ゆっくり。


トレーが揺れないように、体ごと運ぶみたいに。


カタ……

音は、しない。


でも、遅い。

あまりに遅くて。

常連の誰かが、冗談半分に言う。

「おーい、冷めちまうぞー」


笑いが起きる。

でも、誰も急かさない。


カイは、前だけを見る。


一歩。

もう一歩。


席に着いた客が、にやっと笑う。

「落とすなよ」

「俺、見てるからな」


カイ

「……はい」


そして――


コト。


カップが、テーブルに置かれる。


液面、無傷。

一瞬の静寂。

次の瞬間。


「おぉーーー!!」

拍手。


誰かが手を叩き、それにつられて、店じゅうが。


「やったな!」

「初コーヒー成功!」

「今日は記念日だな!」


カイは、目を丸くする。

「……え?」


サーヤ

「大成功」


レオンは、腕を組んだまま、短く言う。

「……合格だ」


カイは、顔が赤くなって、小さく頭を下げた。



その少しあと。

厨房の奥。

今度は、リオの番。


鍋の中で、卵が、静かに揺れている。


サーヤ

「これはね、失敗しても、取り返せる」


リオ

「……うん」

「だから、ちょっと緊張します」


時計を見る。

リオの目は、真剣そのもの。


「……今」


火を止める。

冷水。

コン、と殻を割る。

指先で、そっと。


つるん。

殻が、気持ちよく剥ける。


もう一つ。

また、つるん。


白くて、

ひびひとつない。


サーヤ

「……完璧」


リオは、少し驚いた顔で卵を見る。

「……できた」


レオン

「……きれいだな」


モーニングの皿に乗せられる、リオのゆで卵。


客のひとりが、割って言う。

「お!今日の、いいな」

黄身は、ちょうどいい。


「やるじゃねぇか」

リオは、照れたように笑った。



カウンターの内側で。


カイは、まだ少し興奮した顔。

リオは、達成感で胸を張っている。


レオンが、コーヒーを淹れながら付け足す。

「……一気にできなくていい」

「一個ずつだ」


二人は、同時に頷いた。


カフェは、今日も変わらず回っている。



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