第九章 scene13 初出勤
朝。
まだ客の来ない時間のカフェは、音が少ない。
床板のきしむ音。
窓を拭く布の、かすれる音。
奥で、レオンが湯を沸かす音。
サーヤは、エプロンを結び直して言った。
「さ、じゃあ」
「まずは自己紹介からいこっか」
姉は、少し背筋を伸ばす。
「……わたし、リオです」
「年は……まぁ、それなりです」
「料理は、家で少しだけ」
弟は、横で小さく頷いてから。
「……カイです」
「力仕事なら、たぶん大丈夫です」
サーヤは、にこっと笑った。
「よろしくね、わたしはサーヤ」
「歳は、、今は、近く見えるわね」
「ここでは、名前で呼ぶから」
レオンは、カウンター越しに軽く手を上げる。
「俺はレオン」
「基本、口数少ない」
「でも怒ってるわけじゃない」
カイが、小さく安心したように息を吐いた。
⸻
最初の仕事は、掃除。
ほうきの持ち方。机の拭き方。
椅子を引く順番。
サーヤは、あえて細かく言わない。
リオは、真剣な顔で頷く。
「……はい」
次は、皿洗い。
サーヤが、手本を見せる。
「お皿はね」
「割らないことより急がないこと」
奥から、レオンの声。
「……その順番、大事」
サーヤ
「でしょ?」
リオが、泡だらけの手で言う。
「……意外と、重いですね」
サーヤ
「業務用だからね」
「慣れるまでは、無理しないでね」
⸻
開店前。
ひと息つく時間。
サーヤは、カウンターにカップを並べる。
「リオは、カフェオレ」
「カイは……」
カイが、少しだけ言いにくそうに。
「……ココアで」
サーヤ
「了解」
湯気が立ち、甘い香り。
カイは、カップを両手で持ちながら言った。
「……本当は」
「メロンクリームソーダがよかったんですけど」
リオが、すぐに口を挟む。
「だめ」
「仕事のあとって、約束でしょ」
カイ
「……うん」
サーヤは、そのやりとりを見て、少しだけ目を細めた。
「そっか、えらいね」
「ちゃんと約束してきたんだ」
カイは、照れたようにココアを一口飲む。
リオは、カフェオレを飲みながら、ぽつり。
「……ここ」
「静かですね」
サーヤ
「朝は、特にね」
レオンが、カウンターを拭きながら言う。
「開くと一気に変わるけどな」
外で、看板が揺れる。
そろそろ、開店。
サーヤは、二人を見る。
「じゃあ今日は、ここまでが準備」
「客が来たら、無理しない」
「困ったら、すぐ呼ぶ」
リオとカイ、同時に頷く。
「はい」
カフェの扉に、手がかかる音。
今日も、少しずつ、日常が始まる。
開店。
扉の鈴が、立て続けに鳴る。
「おはよう」
「今日も早いな」
「いつもの」
常連たちが、どやどやと入ってくる。
コーヒーだけの客。
モーニングを頼む客。
新聞を広げる人。
立ったまま一杯飲んでいく人。
一気に、店が動き出した。
「いらっしゃいませ!」
リオとカイも、少し遅れて声を揃える。
「いらっしゃいませ……!」
⸻
常連のひとりが、リオとカイを見てにやっと笑う。
「お、新入りか?」
リオ
「はい、今日からです」
「ほぉ」
「若いのが入ると、店も元気になるな」
カイは、ぺこっと頭を下げる。
「頑張れよ」
その一言に、カイの肩が少しだけ緩んだ。
別の常連が、カウンター越しに言う。
「サーヤちゃん」
「教育係、大変だな」
サーヤ
「もう、私が一番手のかかる生徒ですよ」
「知ってる」
笑いが起きる。
奥から、レオンの低い声。
「……仕事しろ」
「はいはい、ボス」
⸻
昼に近づくにつれて、さらに忙しくなるが、
リオは、意外なほど落ち着いていた。
注文を聞く。
復唱する。
料理を運ぶ。
「モーニング、ひとつですね」
「少々お待ちください」
足取りも安定している。
サーヤが、小声で言う。
「……慣れてるね」
リオ
「家で、ずっとやってたので」
その一言に、サーヤは何も言わなかった。
⸻
一方、カイ。
トレーを持つ手が、震える。
コーヒーは、特に難しい。
液面が揺れる。
カタカタと音がする。
カイは、一度立ち止まって考えた。
(……無理だ)
そのまま、トレーを戻す。
サーヤが、何も言わずに受け取った。
代わりに、モーニングの皿。
両手で、慎重に。一歩ずつ。
「……お待たせしました」
皿を置いた瞬間、ほっと息を吐く。
客が帰ったあと、皿を下げる。
洗い場へ運ぶ。泡を立てる。
それなら、できる。
⸻
そのとき。
——カチャン。
小さく、でもはっきりとした音。
カイの手元から、グラスが滑り落ちた。
床に当たって、砕ける。
一瞬、店の空気が止まる。
カイの顔が、真っ白になる。
「……ご、ごめんなさい」
言葉が、震える。
次の瞬間。レオンが、すっと前に出た。
「下がっとけ」
低い声。
レオンは、何も言わずにほうきを取る。
破片を集めて、濡れ布巾で床を拭く。
動きは、淡々としている。
「怪我、ないか」
カイ
「……はい」
レオン
「なら、いい」
それだけ。
サーヤが、横から言う。
「割るの、初日あるあるだから」
「私、最初の週で三回やった」
「え?」
「しかも全部、同じグラス」
常連が、くくっと笑う。
「それ覚えてるぞ」
「レオンが無言で拾ってたやつだ」
「レオンはなぁ、昔もっとひどくてな」
レオン
「……余計なこと言うな」
店の空気が、ふっと緩む。
カイは、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
レオンは、もう洗い場に戻っている。
⸻
昼過ぎ。
ようやく、客足が落ち着く。
椅子が静かになる。
カウンターに、使い終わったカップ。
リオは、少し汗を拭いた。
「……終わったの?」
サーヤ
「うん」
「第一ラウンド、ね」
カイは、ぐったりと椅子に座る。
「……疲れました」
サーヤ
「でしょ?」
サーヤが、にやっとする。
「じゃあ」
「約束、覚えてる?」
カイの顔が、ぱっと明るくなる。
「……!」
店の奥で、炭酸の音が鳴った。
緑のグラスが、ゆっくりと運ばれてくる。
初日のご褒美。
メロンクリームソーダが、ちゃんと、そこにあった。
サーヤ
「リオは?飲みたいものある?
作れるものは作るよ」
リオはちょっと考えて
「…えっと、じゃあ……あの甘酸っぱい白いソーダ!」
ガタっ!
カウンターの奥から、レオンが立ち上がった。
「あれか!そうかー、その手があったかぁ、
思いつかなかったわぁ」と
またカウンターの奥に沈んでいく。
サーヤは笑って
「ごめん、リオ。その甘酸っぱい白いソーダは今日できなくて、
今度作ってみるから、他のでもいい?」
リオ
「えっ!作るんですか?1から?」
レオンがまた出てくる
「そうだ、常に新しいものを開発するんだ」
サーヤ
「そういうこと。1から?0からね」
リオ
「わたしも!わたしも一緒に作りたいです」
サーヤ
「うん、じゃあ一緒につくろ。で、とりあえず今日はどうする?メロンソーダ?コーラ?」
リオ「!コーラお願いします!」




