第八章 scene10 観測点
サーヤは、木箱の前に膝をついた。
古い。でも、雑に扱われた痕跡はない。
留め具に触れると、カチ、と乾いた音。
蓋が開く。
⸻
最初に見えたのは、分厚い手帳だった。
革表紙。
角はすり切れているのに、背は丈夫。
何度も開かれ、何度も閉じられた跡。
レオンが息をのむ。
「……それだ」
サーヤが手帳を開く。
中は、文字と図で埋め尽くされていた。
•見たことのある英語
•この世界の言語
•数式のような記号
•魔法陣に似た図形
•そして――写真
サーヤの指が、止まる。
「……これ」
それは、前世の世界の写真だった。
街角。
病院。
そして――戦場。
クルス
「……これ、絵じゃないな」
サーヤ
「写真……」
「しかも、わたしがいた街」
テッドが低く言う。
「冗談じゃねぇ……」
ページをめくる。
そこには、はっきりとした一文。
《転生者は、単独では不安定か》
《“錨”が必要》
サーヤの胸が、ひくりと鳴る。
⸻
次のページ。
一枚の写真が、丁寧に貼られていた。
戦場で、負傷者に手当てをする女。
白衣。血。必死な横顔。
サーヤは、息を止めた。レオンを見る。
「……この人」
レオンが、静かに言う。
「…知らない…」
「見たことない女だし、俺が戻ったとき」
「そんな女はいなかった」
指で、写真の端をなぞる。
手帳の余白に、走り書き。
《彼女は“残留者”》
《完全に転生しなかった》
《世界の狭間に、引っかかった》
クルス
「……引っかかった?」
サーヤ
「……死んだはずなのに」
「次の世界に、ちゃんと行けなかった」
テッド
「じゃあ、その女は……」
サーヤは、喉を鳴らす。
「前世の記憶を持ったまま」
「この世界の“外側”にいる」
ページをめくる。
最後の方に、はっきりした文字。
《彼女は“minori”を知っている》
《そして、戻そうとしている》
空気が、凍る。
レオン
「仕組んだのは、その女だ」
サーヤ
「じゃあ……」
「旅芸人を雇った依頼主は」
答えは、もう一つしかなかった。
サーヤは、静かに言った。
「あの女は――
わたしを“連れ戻そう”としてる」
テッド
「……どこに?」
サーヤは、写真を見つめたまま答える。
「前の世界」
「もしくは――」
一拍。
「その途中」
懐中時計が、かすかに震えた。
針が、今まで見たことのない速さで動き出す。
レオンが言う。
「……だから“鍵”なんだ」
クルス
「じゃあ、次は?」
サーヤは、手帳の最後のページを開いた。
そこに書かれていたのは、短い一行。
《五段目は入口。次は“港町の下水門”》
サーヤは、顔を上げる。
「……行くしかないね」
テッドが苦笑する。
「逃げる旅、ではないな」
クルス
「探索に昇格だ」
サーヤは、懐中時計を胸に戻した。
もう、“安心グッズ”じゃない。
これは――選択の道具だ。
そして、あの女はきっと、
次の場所で待っている。
レオンは、サーヤの視線に気づいて、ゆっくりと口を開いた。
「……俺が受け取った手帳にはな」
レオンは、外套のポケットから手帳を取り出した。
薄い。
でも、異様に“重い”手帳。
表紙には、文字はない。
ただ、カメラの絞りみたいな円が刻まれている。
サーヤは息をのむ。
「……それ」
レオン
「中、見たときは正直、正気を疑った」
ページを開く。
そこにあったのは――
写真?
“ズレ”ている写真
同じ場所を撮ったはずなのに、写っている建物が違う
時が合わない
影の向きが現実と逆
本来いるはずの人物が、写っていない
クルス
「……バグだろ、それ」
レオン
「俺も最初はそう思った」
でも、ページの端に、はっきりとした注釈。
《これは失敗ではない》
《世界が“重なった瞬間”だ》
サーヤ
「……境目」
⸻
ページをめくるわ。
手帳の半分あたりから、文字が増える。
《転生者:Type A》
記憶を保持し、世界に適応する者→ 安定
《転生者:Type B》
記憶が断片的→ 不安定だが危険性低
《残留者:Type C》
死亡後、転生に失敗→ 世界の外縁に滞留?
サーヤの喉が鳴る。
レオン
「……そのType Cの欄に」
「赤字で何度も書かれてた」
《彼女は“観測者”になったのか》
《戻りたいのではないのか》
《“やり直したい”?》
テッド
「……戻るのと、違うのか?」
サーヤは首を振り、静かに、でも確信を持って言った。
「やり直すのは――書き換えること、じゃない?」
レオン
「そういうことだ、な」
⸻
最後の方のページ。
そこだけ、異様に丁寧な字。
《minori》
《彼女は“錨”になり得る》
《時計は鍵であり、制限装置》
《彼女が選ばなければ、扉は開かない》
サーヤは、息を止めた。
「……選ぶ?」
レオン
「そう」
「お前が“どちらに進むか”で」
「世界のズレは、広がるか、閉じる」
クルス
「……つまり?」
レオンは、はっきり言った。
「連れ戻される側じゃない」
一拍。
「選ばされる側だ」
⸻
レオンは、手帳を閉じる。
「だから俺は戻った」
「爺さんは写真を撮る旅をおしたわけじゃない。一回離れて、外側から見ろと言ったんだ。」
サーヤを見る。
「それが、予想外にお前がいなくなって」
「この交差点、“観測点”が崩れかけた」
テッド
「……重すぎだろ」
サーヤは、しばらく黙っていた。
懐中時計を、そっと握る。
(だから、ボルト爺さんは)
(“預ける”って言ったんだ)
ただ守れ、じゃない。選べと。
サーヤは顔を上げる。
テッド
「で?」
「次はどどうするんだ?お2人さん」
サーヤは、二冊の手帳を見比べてから言った。
「港町の下水門」
「――“次の観測点”」
物語はもう、偶然じゃ進まない。
ここから先は、選択でしか進めない旅だった。




