第八章 scene7 再会
夜が、ようやく薄くほどけはじめる頃。
簡易宿の裏口を出た瞬間、
冷たい空気が肺に刺さった。
まだ太陽は出ていないが、街はもう起きている。
荷車のきしむ音。
桶を下ろす音。
パンが焼ける匂い。
早朝の市場は観光の顔じゃない。
サーヤは、その場で立ち止まる。
サーヤ
「……ちょ、ちょっと待って」
テッド
「ん?」
サーヤ
「もう……無理」
「昨日から何回走ってると思ってんの」
クルスが、当然みたいに言う。
「お前が言ったんだろ」
サーヤ
「……そうでした」
深くため息。
でも、止まらない。
止まれない。
⸻
市場の端。
木箱が積まれ、帳簿を抱えた商人が怒鳴っている。
「おい!野菜便まだか!」
「港じゃなくて街中だって言ったろ!」
テッドが、小声で言う。
「……配送業者っぽくするって言ってたよな」
サーヤ
「うん」
クルス
「業者ってなんだ?」
サーヤは市場を見回す。
荷を運ぶ人。
札を受け取る人。
手押し車。
馬車。
サーヤの目が、働く人たちをなぞる。
「働く人たちよ。仕事してる人の顔ってあるでしょ」
テッド
「あるな……」
「疲れてて、でも迷いがないやつ」
サーヤ
「そういう顔を真似するの」
⸻
即席の変装。
頭巾を深めに、外套は地味な色に
荷布で体の線を隠して、表情は“忙しい人”
サーヤは、自分の頬を軽く叩く。
「観光客の顔、封印」
クルス
「……お前、慣れてるな」
サーヤ
「…まぁね」
テッド
「重いな」
でも、笑えない。
⸻
商会の裏手。
食材便の荷車が、ちょうど動き出すところだった。
クルスが低く言う。
「今だ」
3人、自然に混ざる。
誰も声をかけない。
誰も顔を覚えない。
“ちゃんと働いてる風”は、最強の隠れ蓑だった。
⸻
進むにつれて、空気が、変わる。
サーヤは、視線に気づく。
直接じゃない。でも、確かにある。
角を曲がり、荷を下ろすふりをした瞬間。
誰かが、こちらを“数えてる”。
(大丈夫、私たちはただの配送の人)
でも、胸の奥はざわつく。
テッドが、ぼそっと言う。
「……来てるな」
クルス
「ああ」
サーヤ
「……やっぱり」
カフェが、見えてくる。
ボルト爺さんのカフェ。
朝の仕込みで、裏口は開いている。
帰りたい場所が、
いまは一番緊張する場所だった。
サーヤは、荷布の中で、懐中時計をぎゅっと握る。
(もう少し)
(あと少しで――)
そのとき。
遠くの方で、騒ぎがあったようで、視線が消えた。
その一瞬。カフェの裏口から、ひとりの男が顔を出した。
サーヤの視界に入った瞬間、心臓が跳ねた。
(……え?)
「――おい、こっち」
低い声。
名前を呼ばれたわけじゃない。
でも、その声は――知っている。
「こっちだ」
「……レオン?」
一歩踏み出すサーヤをテッドとクルスが引き戻そうとする。
「おい、はやく。いいからお前らも来いって」
カフェの裏を抜け、すぐ近くの住宅に走る。
外のざわめきが、壁一枚で切り取られる。
扉が閉まった瞬間。
レオンが、サーヤを見下ろして言った。
「無事だったか……正直、最悪の想定してた」
「……お前、今、かなりヤバいとこにいるぞ」
サーヤ
「……どういう意味?」
レオンは、ため息をひとつ。
「その時計」
「それ、もう嗅ぎつけられてる」
空気が、ぴんと張る。
テッドが、半歩前に出る。
「なあ」
「アンタ、何者だ」
レオンは、ちらりと二人を見る。
初めて“評価する目”になる。
「…サーヤに…巻き込まれたな」
クルス
「質問に答えろ」
レオンは、もう一度サーヤを見る。
「無事だったのか、って言っただろ」
「それが本音だ」
一拍。
そして、低く言う。
「お前を探してるやつがいる」
「しかも、街の中だけじゃない」
サーヤの背中を、冷たいものが走る。
(……やっぱり)
サーヤ
「……依頼主?」
レオンは、わずかに眉を動かした。
「そこまで知ってるのか」
沈黙。
レオンは、観念したように言う。
「いいか」
「ここは安全じゃない」
「この家も、長くはもたない」
テッド
「……おいおい」
クルス
「じゃあ、どこなら安全なんだ」
レオンは、少しだけ考えてから。
「――カフェの中」
「正確には、“奥”だな」
サーヤの胸が、ぎゅっと締まる。
引き出し。
五段目。
(……ここで、繋がる)
レオンは、サーヤの目を見て言った。
「ボルトさんが、カメラに残してた」
「“お前が来たら開けろ”ってな」
サーヤ
「……レオン」
声が、少しだけ震える。
「あなた……どこまで知ってるの?」
レオンは、答えなかった。
ただ、短く言う。
「今は、信じろ」
「疑うなら――引き出しを見てからだ」
外で、誰かが走る音。
市場の喧騒が、また近づいてくる。
レオンが、扉に手をかける。
「時間がない」
「来るぞ」
サーヤは、懐中時計を握りしめた。




