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第八章 プロローグ

夜の灯りが静かに宿を包む頃。


仕事を終えたサーヤは、

やっと一息つける小部屋へ戻ってきた。


靴を脱ぎ、壁にもたれ、ふぅ、と息を吐く。

(今日もよく働いたなぁ……)


胸元へ無意識に手が伸びる。


指が――

いつもの固い感触、を探す。

ボルト爺さんにもらったネックレス型の懐中時計。いまや、触ると安心グッズになっている。


それが……ない。


(ん?)


少しだけ、指先が泳ぐ。


衣の布を探る。

内側のポケットに触る。


……違う。

(あれ? 付け忘れた?)


そんなはずない。

サーヤはそれだけは絶対に外さない。


冷たい予感。

ゆっくり、呼吸が浅くなる。


――

机の上。

荷物袋。

畳の端。


一度、落ち着くためにゆっくり探す。

(落ち着け、こういうのはだいたい見つかる……はず……)


どこにも、ない。


(………………っ)

次の瞬間、ほぼ反射で動き出す。


荷物をひっくり返す。布をめくる。

ポケットを裏返す。


音が荒くなる。息も、荒くなる。


(嘘だよね……?)


――頭の中で、声が蘇る。


『困ったら、これを見ろ』

『それから、自分の人生を歩け』


優しく笑ったボルト爺さんの顔。


その手にあった――

奥さんの形見の時計。


それをわたしに「預ける」

と言ってくれたあの重み。


それを、(なくした……?)

「………やだ」


次に探したのは――

今日、自分が立ち寄ったであろう

布団を整えた部屋。

廊下。

洗い場。

湯上がり処。

裏口。


途中で誰かに声をかけられても、止まれなかった。

「サーヤ!どうしたんだい!?」

「おい、走るな!」


全部、耳に入ってるのに届いてこない。


(お願い……出てきて……)


もう一度、ゆっくり、床を見つめる。

明かりの届く隅々まで視線を這わせる。


でも――


サーヤの呼吸が、小さく崩れる。

静かに言葉が漏れた。

「……最悪……」


そして――

心の奥の、もっと深いところで。


(…もしかして…盗られた?)

脳裏に、昼間の光景が浮かぶ。


――派手なマントの男

――静かな目をした青年

――人を笑わせ

――近づき

――人の注意を奪う芸


そして、人混みができた。

サーヤの眉が、ぐっと寄る。


(……あの時)

ほんの一瞬、男たちが近づいた。

触れた気もする。ゾワっとした。


そして今、

彼らは――


ほんの少し前に、街を出た。

身体の内側でスイッチが入る。


迷いのない顔になる。


(まだ追いつける)

(取り返す)

(取り返さなきゃ)


拳を握りしめる。


(絶対に)

――その瞬間、背中から声がした。


「サーヤ!!」

ルカの声。


サーヤは振り返る。

「……大事なもの、なくした」


その言い方は、“ただの落とし物”じゃないって一瞬で伝わる声だった。


ルカが息を切らして近づいてくる。

「どうしたの? 顔、真っ青だよ……」


サーヤは言葉を選ぶ余裕がなかった。

「……盗られたかもしれない」


その一言で、空気が変わった。


冗談じゃない。

軽口じゃない。

笑って済ませられない。


ルカの表情から一瞬で血の気が引く。

「……何、盗られたの?」


サーヤは、胸に手を置いた。

「――時計」

声が少しだけ震えた。


「ボルトさんから、預かったやつ。

 絶対に、絶対に失くしちゃいけないやつ」


一瞬の沈黙。

それだけで状況は理解できた。


ルカは歯を食いしばる。

「……それは、ダメだ」


次の瞬間、ルカはサーヤの腕をつかんだ。

「よし。走ろう」


サーヤ

「え?」


ルカ

「迷ってる時間ないでしょ!

 盗られたって思ってるんでしょ!?」


「だったら追いかける!!

 盗まれたなら取り返す!!」


ルカの声は強い。

でも、優しかった。


サーヤの胸に、ぎゅっと何かが灯る。


ルカ

「とりあえず――女将のところ!」


2人は並んで走る。


廊下。

角。

階段。


湯宿の夜の空気が揺れる。

女将の前に飛び込む。


サーヤ

「女将!!」


女将は驚きながらも、

サーヤの顔を見た瞬間、真剣になる。


「何があったの」


サーヤは一度だけ息を吸って――


「盗られました。ボルトさんの時計。

 ――あの旅芸人の人たちに、だと思います」


強く、でも震える声。


女将は目を閉じ、一瞬だけ考えて――

次の瞬間、迷いのない声になる。


「行きなさい!すぐに」


女将に背を押されたあと。


ルカは、まだサーヤの手を握っていた。

「一緒に行くよ。あたしも――」


その瞬間。

サーヤは、ぎゅっと強く頭を振る。

「……ダメだよ、ルカ」


ルカ

「は? なんで!」


サーヤは微笑う。でも、その笑顔は強い。

「これは……

 “わたしが預かったもの”だから、

途中で人任せにしたくない」


ルカが言葉を失う。


サーヤ

「それに……」


少し息を吸って。

「ここまで支えてもらった分、

 “自分で取り返すサーヤ”にもなりたいんだ」


胸を張って、笑いたいんだ。


ボルトさんに。

女将に。

料理長に。

ルカに。


そして――自分に。


ルカは、ぎゅっと唇を噛んだ。

それでも、笑う。


「……あっっっさり置いてくじゃん。

 かっこよすぎるんだけど」


ほんの一瞬、二人の手が強く握られる。


ルカ

「……絶対帰ってきなよ。

 帰ってこなきゃ、怒るからね」


サーヤ

「うん。」


ふたり、笑う。

女将が短く言う。


「――行ってらっしゃい」


料理長がぶっきらぼうに言う。


「ほら、もういけ!走れ!根性、見せてこい」


サーヤは、勢いよく振り返る。

夜の石畳へ、飛び出す。




温泉街の夜は、

昼より静かで、でも確かにまだ、息づいていた。


屋台を片づける青年。

閉店作業をしている店主。

湯上がりで外を歩く客。


サーヤは走りながら叫ぶ。


「旅芸人!派手なマントの男と、黒髪の青年!

 どっちへ行ったか知りませんか!?」


青年が振り返る。

「あぁ、噴水の橋の方!」


別の老婆が声を上げる。

「その先の坂道を下ったよ!荷物が多かった!」


さらに別の男が手を振る。

「街道に出る前に、広場を抜けただろう!」


サーヤは胸の奥で叫ぶ。

(みんな……ありがとう)


足は痛い。

喉は焼ける。

心臓は暴れる。


でも止まらない。

ランプの灯りが伸びたり縮んだりする。

夜風が頬を打つ。


胸にあるはずだった重みは――今はない。


だからこそ、今、走れる。

サーヤは街道へ出る。


遠く――

旅芸人の影が、月明かりの先に揺れる。


サーヤは歯を食いしばる。

「こらぁぁぁ――待て!!!!」


声が、夜を裂いた。


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