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第一章 プロローグ

転生前日。

朝のアラームは、戦いの号砲みたいな音だった。


「……よし、起きるか」


花井みのり、39歳。

ワーママ、管理職、そして——今日も台所司令官。


キッチンの電気をつけると、まだ夜明け前の静けさの中で、冷蔵庫の音が小さく唸る。


米を研いで、味噌汁を温め直して、卵焼き。

寝ぼけた頭でも、手だけは迷わない。

10年以上やってる「朝の戦場ルーティン」。


「修ー!弁当袋出した!?」

「出したー(出してない)」

「茜!今日は朝練あるんでしょ!起きて!」


声を張り上げながら、同時にスケジュールが頭を高速回転する。


今日は会議が2本。部下のフォロー。顧客対応。

ついでに PTAからの連絡も未読のまま10件以上。

部活の保護者のグループLINEがもはやヤバい。


夕飯は……まあ、なんとかなる。


(大丈夫大丈夫。まだいける)


最近、ちょっとだけ息苦しい日が増えた。

胸が重たい日もあった。

でも「忙しいから」で全部済ませてきた。


半年前に管理職になってから、

「頼れる人」

そんな顔を演じるようになって、いつの間にか常に貼り付けていた。


「お母さん、今日塾あるから晩ごはん遅くなる」

「俺さ、靴新しいの欲しいんだけど」

「はいはい、あとでLINEして。ちゃんと理由書きなさい。え?いくら?あんまり高いのやめてよ」


いつも通り。

少し慌ただしくて、でも幸せで。

ちょっと疲れてて、でも誇らしい。


夫・秋生が眠そうな顔でキッチンに顔を出す。


「……無理すんなよ」

「するわよ!」


笑ってみせる。

強い母親の笑い方で。


(やるしかない、

 だって私は母親で、

 妻で、

 部下を守る上司で、

 家族の背中を支える柱で——)


夜。


家族が寝静まったあと、ひとりリビングで書類を整理していた。テレビは消して、時計の音だけが響く。


(休みまであと少し、明日は大事な会議だし……)


視界が、少し霞む。

喉が乾く。

体が重い。


胸の奥で、誰かが小さく囁いた気がした。


——もう、休んでいい?

みのりは首を振って、笑った。


「なにそれ、弱音なんて似合わない」


書類を閉じる。

コップの水を飲む。

ソファに体を預けて——


(明日もいつも通り、“ちゃんとがんばろう”)

それが、最後の約束だった。


翌朝。

目を開けて、体を起こそうとした瞬間。

世界がぐらりと傾いた。


「あ——」


床が遠くなる。

光が滲む。

声が出ない。


(……やば……)


——そして、すべてが暗く沈んだ。


それが、

スプーン亭へと続く、新しい人生の始まりだった。


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