#9.慟哭
◇◇◇
約1時間後——。
人虎の少女は、約束どおり戻ってきた。大勢の冒険者を連れて。
肩で息をする。駆け続けた肺は焼け、オレンジ色の髪が汗と砂で逆立って、炎の尾みたいに揺れる。頬や脛に細かな切り傷が散り、革のガントレットには爪痕が走っていた。生温い血の匂いが、自分のものか他人のものかも曖昧なまま鼻腔にこびりつく。
「はぁ……はぁ……この辺り、のはず……」
青髪の冒険者が短くうなずき、手を高く掲げて号令を飛ばす。喉の芯まで通る、訓練された声だ。
「聞け! ここが目的地だ! 災厄なる魔物が近くに潜んでいるかもしれない。これより手分けして探す!」
手旗代わりに腕を振って隊形を割り、矢継ぎ早に続ける。
「黒髪の少年が交戦中の可能性がある。災厄と同時に発見した場合は——少年の保護を最優先!」
「三人一組で行動! 合図は音と光の二重! 発見次第、すぐ合図を返せ! ——行け!」
短い返答が森に吸い込まれ、冒険者たちは獣道へと散った。革靴が湿った土を踏む鈍い音、鎧の金具が触れ合う金属音、呪文の術語を確認し合う囁き……それらが一瞬で遠のき、森は再び、鳥の警戒音と風のざわめきだけになる。
◇◇
皆を見送ると、ラミーはふらふらと覚束ない足取りで木々の間を進む。自分の耳が自分の鼓動で塞がり、周囲の音が薄い布越しになったみたいに遠い。
( ──血の匂い……)
鼻が指し示す方向は一つ。
そこだけ木々が途切れ、陽がまだらに差し込む、小さな広間のような場所。踏み荒らされた草、深く抉れた爪痕、倒木の裂け目に黒ずむ飛沫——戦いの痕が、まるで矢印みたいに一点へと収束している。
(神様……どうか、どうか────)
掌が汗で滑り、爪が手のひらに食い込む。喉が鳴る。一歩ごとに尻尾の毛が逆立ち、耳の先がぴく、ぴくと震えた。
……────ッ!
そこに——いた。
つい1時間前、彼女を災厄から逃がし、「待ってる」と笑ってくれた少年が、静かな土の上に横たわっている。
少年は既に——息をしていなかった。
「──ぁぁ……あああ!!!!」
膝が砕け、地面が跳ねるみたいに近づいた。視界の端が白く滲み、耳鳴りが甲高く伸びる。ラミーには、ここへ来る途中からもう分かっていた。彼の居場所も、結末も。人虎の勘と鼻は、人間よりずっとずっと鋭いから。
それでも——信じたくなかった。信じてはいけない、と何度も自分に言い聞かせた。
「……んで……。なんでよ……」
乾いた声がこぼれる。土に手をつき、指先で少年の肩を、頬を、何度も確かめる。冷え始めた肌の温度が、嘘だと叫んでくれないかと。
◇◇◇
彼と “パートナー” になることを提案したのは、ラミーの方だった。
生まれて初めて里を離れ、学園都市で過ごした2年間は眩しかった。朝練の汗、食堂の塩気、図書塔の埃っぽい静けさ。ケンカして、笑って、課題を徹夜で乗り切って——そのほとんどに、ファーストがいた。いつも少し眠たげで、それでも誰より早く動く、優しい匂いのする少年だった。
成績は常にビリを競い、顔を合わせれば軽口を叩き合う仲。卒業の日が近づく頃には、胸の奥に小さな芽が育っていた。彼への恋心。それが名付けのいらないものだと気づいたのは、ある夜ふいに尻尾が落ち着かなくなってからだ。
けれど、彼には他に決めた人がいるのだろう——ラミーは薄々、そう感じていた。時折見せる寂しそうな横顔。遠くを見る眼差し。人虎の勘は、そういう微かな気配を嗅ぎ取ってしまう。
それでもいい、と思った。二人でいろんな冒険を積み重ねて、時間を、景色を、危機一髪を、同じ鍋のシチューみたいに分け合っていけば——2年後でも、10年後でも、いつか彼の胸にも同じ芽が育つかもしれない。
その淡い期待は、転移門をくぐってすぐ。冒険と呼ぶには短すぎる時間で、災厄に踏みにじられた。
◇◇◇
ラミーは少年の亡骸に縋り、頬を擦り寄せる。土のざらつきが肌に移り、涙がそこに細い筋を刻む。
「──ねぇ、起きなよ。もう、蹴ったりなんて……しないからさ」
彼はもう、笑わない。叱らない。へらっとした、あの照れ隠しの笑みも見せない。
「絶対死なないって約束は……なんだったのさ」
彼はもう、約束をしない。破りも、守りも、しない。
「うああああああああ!!!! ファーストの馬鹿ぁぁぁ……」
掠れた叫びは木々を震わせ、鳥たちの羽音が一斉に散った。けれど、その声に応える者はもう、永遠に失われてしまった。
森を渡る風だけが、二人の間を何度も行き来した。
◇◇◇
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【次回】#10『狭間の空間』
無限の白。浮かぶ光球──“観測者”との出会い。
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