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シミュラクル!〜サブ垢に転生した俺は何度でも『強くてニューゲーム』する〜  作者: 雨咲 しゆみ


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#87.危機か好機か

◇◇◇


「はぁああああっ!!」


 キースが雄叫びとともに躍り出る。砕けた石畳が爪先で弾け、剣閃が夜気を裂いて走った。縦横無尽に刻まれる斬線は、もはや俺の目では追い切れない。ベルゼビュート戦で付与した⦅加速(ヘイスト)⦆の残滓が、まだ彼の四肢に火を灯している。


 だが、その猛速をもってしても、ガレフには一太刀の有効打すら届かない。人の理を外れた柔軟と爆発力──獣化したガレフは、紙一重で剣を捌き、首の鬣を揺らしながら影のように身を抜く。


 剣を振り続けるキースの呼吸は荒れ、喉の底に鉄の匂いが上がった。


(ぐっ、届かない……!)


 限界はとうに越えている。それでも埋まらない差があると、帝国屈指の剣を自負する彼自身がいちばん分かってしまう。


『ふッ、速さは悪くない。だが剣筋が正直すぎる。お前の父も“悪癖を直せ”と言っていたはずだが?』


 ガレフが余裕の笑みで顔を寄せ、低くささやく。記憶を抉るような声音に、キースの胸が爆ぜた。


「……ぅッ! がぁああ!!」


 怒声とともに薙いだ横一文字──その刃を、獅子は軽やかな宙返りひとつで躱す。落下の爪先が石を抉り、青黒い火の粉がぱらりと散った。黒門から吹き寄せる嫉焔の残光だ。


「⦅爆裂符⦆──ッ! ⦅煙幕符⦆ッ!!」


 二人の間にできた刹那、俺は符を投げた。炸裂音が重なり地が抉れる。白濁した煙が戦場を覆い、瓦礫の影がゆらぐ。俺は駆け寄ってキースの脇を抱え、反発の風を読むように後方へ跳んだ。


「貴様ぁッ!!」


 煙を縫ってガレフが踏み込む──が、そこに俺たちの影はない。


 ブチッ──


「どこへ行ったぁ!!」


 こめかみの血管が千切れるような音を自ら放ち、獣は紅い眼を見開く。返事はない。漂うのはうめきと風の唸りだけ。


「……チッ、術師の小僧め」


 忌々しげに吐き捨てると、足元の騎士を踏み砕いた。蛙が潰れるみたいな、湿った音。飛沫が夜気に散り、鉄臭が濃くなる。周囲には倒れた兵が点々と横たわり、まだ息のある者も多い。


「出てこぬなら──出てこざるを得なくしてやる」


 血に濡れた牙を見せ、獣は笑った。


 ◇◇◇


 いくつも路地を曲がり、崩れた外壁の陰に身を滑り込ませる。城壁の割れ目から、青黒い焔が遠く天へ滲むのが見えた。風は焦げた藁と薬剤の匂いを運ぶ。キースを壁に凭れさせると、彼の胸が大きく上下した。


「キース、これ以上は無理だ。一度退く。ミレッタを叩き起こして“転移”で逃げる」


「…………き……せん」


 唇だけが動き、掠れた声はうまく出ない。それでも首を横に振って拒む。俺は食い下がる。


「実力が違いすぎる。ベルゼビュートに勝てただけでも奇跡だ。あの直後にミルダを一瞬で殺せる相手だぞ。無謀だ」


 キースは目を閉じ、数拍ののち、ふらりと手を伸ばして俺の額に触れた。


『……フィン君。聞いてください』


 念話が直接、脳に落ちる。触れていなければ保てないほど、彼は消耗している。


『あれは古代から黒門に封じられた“嫉妬の獣”。代々、黒門の出力で少しずつ力を削いできたはずが……父では抗えなかった。あるいは極限の飢えが呼び水になったのかもしれない』


 俺の知るゲーム版でも未実装のイベントだ。資料を漁っても、こんな記述は一行もなかった。


「“嫉妬の獣”……」


 神話の断片が頭をよぎるが、どれも決定打に欠ける。キースは続けた。


『いま奴は父の身体を依り代に精神の一部だけ現界させている。本体はまだ地下に封じられているはず。ゆえに完全復活までは、この都市を離れられない。倒すなら今──少なくとも、フィリスに生きる者にとっては』


 彼は薄く目を開き、俺を見据える。


「お願いです……どうか、力を貸してください」


 声は掠れても、覚悟は揺らいでいない。


 理は分かる。フィリスに留まる限り、被害は雪だるま式に増える。だが──それは俺の旅の目的とは関係がない。メアリを救う手がかりは、この周回ではまだ何も掴めていない。それどころか、怒涛の強敵連戦。スキルは伸びたが、これ以上は危険域だ。


「……いまが好機だって? 見事だったよ、キース。だけど、お前の剣は触れさえしていない。俺の不意打ちだって、命懸けの目眩ましが精一杯だった」


 口に出せば、かえって頭が冷える。──天の声は鳴っていない。これは“ワールドクエスト”ではない。世界の崩壊に直結しないなら、撤退は理性的な選択だ。セリエを連れて距離を取り、次のワールドクエストに備える──それでいい。


「すまないが、俺は──」


「「「ぎゃあああッ!!」」」


 戦場のほうから、幾つもの悲鳴。


「皆様、早くッ! わたくしの後ろへ!!」


 聞き慣れた、張りのある声が風に乗った。反射で心臓が強く跳ねる。大楯の澄んだ金属音が、瓦礫の街路に高く鳴り渡った。

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