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シミュラクル!〜サブ垢に転生した俺は何度でも『強くてニューゲーム』する〜  作者: 雨咲 しゆみ


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86/89

#86.黒獅子

 ◇◇◇


「フィン、逃げるわよ」


 ──させぬ。


 ミレッタの声に重なるように、別の誰かの声が脳髄を叩いた。次の瞬間、世界は耳鳴りと砂を噛むようなノイズで満たされる。


 同じ衝撃が仲間たちにも走ったらしい。ミレッタはこめかみを押さえて蹲り、俺も歯を噛み締めながらどうにか瞼をこじ開ける。


「いったい……何が──」


 バキ、バキ、と骨と鉄を一緒に噛み砕く、嫌な音がした。


 音の方へ視線をずらす。黒い影が、ミルダに覆い被さっている。影は静かに咀嚼を続け、砕けた鎧片が赤い泡と混じって落ちた。彼女はもう痛みを知らない。それだけが、唯一の救いだった。


「……ひッ」


 喉の奥で小さな悲鳴が漏れる。その音に気づいたのか、影がゆっくりと立ち上がり、こちらへと顔を向けた。


 それは──黒い獅子の獣人。


 頭から尾の先まで濁りのない漆黒。獰猛に見開かれた双眸だけが血のように紅く輝く。首周りは逆立つ炎めいた(たてがみ)に覆われ、長槍で突こうと、刃はその奥までは届かないだろう。人の胴ほどもある四肢は、ひと振りで並の甲冑を紙のように圧し潰すに違いない。


 獅子は血に濡れた牙を剥き、低く唸った。


 ──貴様か? 我の獲物を奪ったのは。


 怒っている。その理由も問いの意味もわからないのに、圧だけが胸骨を叩く。言い訳の言葉は喉で潰れ、首を横に振ることしかできなかった。


「……ぁ……」


 喰われる──そう思った刹那、俺の横から一歩、足音。


「やめてください、父上!」


 キースが前へ出て、獅子を“父”と呼んだ。


 ◇◇


「……ッ!!」


(まさか、これが……ガレフさん?)


 姿も、声も、纏う気配も、俺の知る団長とは似ても似つかない。だが、キースの目は揺れていない。彼は“確信”している眼だった。


()()に……呑まれましたか」


 キースが小さく吐く。


 ◇◇◇【Side:キース】


 黒門が目覚めた瞬間から胸奥で鳴っていた悪感が、最悪の形で現実になった。


 黒門は──呪われている。


 我らが一族、マルゼンシュタイン家の長子にだけ伝わる古伝は、ずっとそう告げてきた。黒門と、一族の使命について。


 幼い頃から幾度となく聞かされた語りが、脳裏に澄んで立ち上がる。


 ◇◇


 ────古の時、この地に大いなる災いがあった。


 災いは黒い獣の姿で現れた。万魔殿の魔、嫉妬の眷属。

 獅子はあらゆる生を嫉み、憎み、喰らった。


 王は嘆き、姫を差し出す代わりに獣に去るよう懇願した。だが獣は王女を喰らい、今度は国土のすべてを呑むと吠えた。


 その跳躍に身を投げ出して王を庇ったのが、一人の若き騎士──我らが祖、ローラン。


 獣が彼の肩に喰らいついた瞬間、天より光柱が降る。水の女神レンフィアが人の勇を憐れみ、助力を与えたのだ。光に晒された獣は徐々に石と化し、やがて動かぬ像となった。ローランの傷は癒えたが、その肩には獅子の紋のアザが残った。


 レンフィアは告げた。獣は強大で、一朝には討てぬ。長い時をかけて弱らせねばならぬと。

 そしてアザは呪い。獅子の力が血に混ざった。清き血と交わり血を薄めよ。決して闇に呑まれるな──と。


 王は獣像を地の底に封じ、その上に要塞を築き見張らせた。

 若き騎士の一族は番人となり、代々、獣の力が尽きるその日まで見続けると誓った。


 黒門は獣を封じる檻。

 我らは、その番人。


 力で弱らせ、血で薄め、呪いを恐れよ──。


 ◇◇◇【Side:フィン】


「本当に……アレが、ガレフさんなのか!?」


 問いに、彼は短く頷く。


「事実です。あれは我が家に巣くう“業”──呪いの具現」


「くッ……なら、正気に戻す術は!?」


()()です。呪いに呑まれた者が戻った例は、ただの一度も……」


 言い切り、キースは獣を睨んだ。顔に浮かぶのは哀切と決意の混ざった色。


「だから──息子として、騎士として、貴方を止める!」


 騎士剣を構える。魔導鎧の推進回路が唸り、土が足裏で鳴った。

 キースは最愛の父、獣人(ガレフ)へ向かって一直線に駆ける。


 ◇◇◇

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