#80.美食の女王
◇◇【Side:ラッシュ】城壁外・第二大隊陣地後方──
「ちょっと! “嫉妬”の眷属が出てくるなんて聞いてないわよ。“順番飛ばし”はルール違反でしょ! まあお陰で出られ……」
声と同時──霧の膜を裂いて現れたのは、赤褐色に鈍く光る全身鎧──血の薄膜をまとったかのように生臭い反射を返すフルプレートを着込んだ、短髪の女だった。右手には濡れた大鎌。刃の縁からぽたり、ぽたりと紅い滴が落ち、地面の砂に暗い花を咲かせる。刃の滴が砂に触れるたび、温い金属臭が霧を温めた。
左の篭手も肘まで朱に濡れているが、それが彼女の血でないことは匂いで分かる。腰の環金からは、黒い塊が三つ、鈍い鐘のようにぶら下がっていた。
私は無意識に視線を逸らした。だが、形は目が覚えている。額に癖の飛び出した前髪──パース。頬の古傷──ヴィム。小柄で鼻梁の高い──ロイ。
ラッシュを見るなり、女は舌で唇を猫のように一撫でした。口端が歪み、目尻が楽しげに弧を描く。
「あらあらあら? ごめんなさ〜〜い。あんただったのね。てっきり“嫉妬”のお仲間かと思ったわ。ぶち殺すつもりで振ったんだけどお? なかなか楽しませてくれるじゃない」
(“嫉妬”?)
瞬時に頭を回転させるが、彼女の言葉の意味は不明だ。
くすくす、と胸の奥で砂を揉むみたいな笑い。ラッシュは一分の隙もなく構え直し、短く問う。
「……貴様、何者だ」
「何者だ、ですって?」
女は小首を傾げ、数拍だけラッシュを見つめ、意味が落ちると弾けるように笑い出した。
「あっはは!! そっかそっか〜〜。“こっち”じゃ分からないよねぇ、初めて会ったんだもんね、“あたし達”は! あーおっかしい!」
霧に響く笑声が、腹の底を冷やす。
笑い疲れたのか、女は腰の土産をこちらへ放った。ごろり、ごろり。三つの塊は泥を転がり、ラッシュの靴先に正面を向けて止まった。
「ありがとう、知らないおじさん。つまらないものだけど、お礼。喜んでくれたら嬉しいわ」
顎の付け根で皮が裂けた跡。焦点の合わない目。どれも、さっきまでラッシュの手足として、声を交わし、命令を預けた者たちの顔だ。
「……っ、パース、ヴィム、ロイ……」
喉が焼ける。怒りは熱ではなく、音だ。鎧の中で鼓動が甲冑を叩く。
「貴様が──“蟻の女王”か」
ラッシュは名を叩きつけた。女は眉を寄せ、すぐに鼻で笑う。
「蟻の女王ぉ? あはッ、あの使えない愚図? そんなのと一緒にしないで? 嫉妬なんかにくれてやるのが癪だったから、あれはもう“食べちゃった”。私はね──」
ブォォォーーーーン。
角笛が平原を貫いた。瞬時に風が起こり、厚い霧が布みたいに剥ぎ取られていく。念話のざらつきが消え、⦅指揮通信⦆が復旧する。
『ラッシュさん、応答を!』──キースの声。
『ラッシュ! 今向かってる、踏ん張りな!』──ミルダ。
だが耳は空いたまま、目は塞がる。女の背後から、ザリザリと何かを引きずる音。低いうめきが幾重にも重なり、ねばつく。霧が払われ、影が正体を晒す。
それは巨大なスライム──しかし見知った、透明な魔物ではない。濁った黒褐色の粘塊の中に、鎧、布、腕、脚、人。第二大隊の兵らが多数取り込まれ、気泡のように浮いている。目と目が合う。泡の中から、泡より弱い声。
……ぅ……ぁ…………
たす……け……
……たいちょ……にげ……
ラッシュは怒りを爆ぜさせた。
「外道がぁあ!」
両腕の給弾筒が唸り、⦅土石弾⦆の連装機構が回る。回路を開放し、魔力を砕き、石英の弾体を雨にする。ガン、ガン、ガン──岩弾は女の胸へ、喉へ、膝へ。
女は軽く踵をひねった。舞う。大鎌を扇のように振り上げる。刃が空気をひゅんと裂き、弾は滑らかに逸らされ、背後の粘塊に呑まれた。ぐぎゃ、あう──泡が、一つ、また一つ潰れる。
「せっかく新鮮なまま生かしてるんだもの。殺さないで? あんたのお仲間でしょ〜」
「黙れ!」
ラッシュは掃射線を切り替える。だが彼女は真っ直ぐ来る。大鎌が軸を持ち、回転し始めた。赤黒い魔力が刃の周囲で渦となり、層を重ねる。回るたび、ラッシュの岩石弾は空中爆散する。籠手から肘、肩へと返す動きに隙がない。
「ほらほら、もうすぐ届くわよ? 今度はちゃんと狩り取ってあげる。首を、ちゃあんとね」
「できるものなら、やってみよ」
ラッシュは魔導鎧の表層に⦅硬化⦆を走らせ、岩甲を纏う。重く、鈍い。正面から受ける覚悟だ。
「“いつも”と変わらないのね。じゃあね、おじさん」
刹那──大鎌が落ちる。
────カッ
刃がラッシュの胸甲に触れた瞬間、鎧の内側から世界が弾けた。
◇◇【Side:フィン】城壁上──
ドゴォォォォン──
爆発。
「……よし、決まった」
俺は無意識に拳を握った。火柱が城壁の高さまで昇り、轟音が腹の臓物を撫でる。空気が波打ち、熱が頬を舐める。
「えげつない爆発じゃのう、小僧」
ゴルドーが思わず感嘆する。俺は肩をすくめて言う。
「代わりに“爆裂符”をあるだけ詰め込んだんでね。中身ごと。ラッシュさんの救出も兼ねた二段仕掛けさ。……ミレッタ、完璧なタイミングだった」
隣の大魔女が唇だけで微笑む。その腕には、気を失ったラッシュが抱かれている。
「あら……ふふ、“愛してる”って言ってくれてもいいのよ?」
「ありがとう、ミレッタ」
実際に演算と座標取得、瞬間の入れ替えをやったのは彼女だ。大鎌が接触する寸前、ラッシュ本人と鎧内部に俺が仕掛けた束の“爆烈符”を丸ごと転置。残ったのは空鎧──雷管代わりの刃が触れた瞬間、一斉起動。本人は壁上まで引き抜く。身体負荷はあるが、生きる。
「フィン、とっても卑怯ですわ……」
セリエが大楯を抱えたまま、呆れ顔で横目。俺は肩を竦めた。
「兵は詭道なり、だよ。正面から勝つ必要はない。それが集団戦だ」
──その時だ。笑い声が、火柱の中心から澄んで響いた。
あっははははぁ!
俺は額に冷汗を覚え、苦笑でごまかす。
「……それに、まだ生きてる」
「なっ……今のでも倒れませんの?」
セリエの瞳が揺れる。俺は首肯する。彼女は、ゲーム時代の覚えがある。核を壊さない限り死なないタイプの敵。
次の瞬間、声が頭蓋の内側に直接降ってきた。単音ではない。合唱が低く重なり、甘やかな声色に薄い血の鉄分を混ぜている。
『あぁ──外の世界って、なんて楽しいの。ここじゃ最初の晩餐だというのに、この初体験。当分、元には戻れそうにないわね』
爆炎が左右に割れ、炎の帷から女が歩み出る。胸元から腹にかけて肉が削げ、肋骨が覗く。人間なら即死、いや、人間ではないからこその悦楽の表情。ぬちゅ、ぬちゅと傷が盛り、繋がり、滑らかな皮膚が塗り直されていく。
女は顎を上げ、俺達を見回し、両腕を十字に広げた。
『ご褒美に教えてあげる。私の名は──“美食の女王”。万魔殿の魔王の一柱、この世界を滅ぼす者。やっと外に出られたんですもの。もっともっと、楽しませて頂戴?』
その名が刻まれるや、壁上の空気が一段冷えた。兵は喉を鳴らし、セリエは斧槍の柄を握りしめ、キースは視線を鋭く絞る。俺は背筋に一本、氷の針を通されたような感覚を覚えた。
──世界は、その瞬間、強大な悪が現世に解き放たれたと知った。
【更新予定】
明日も17:30.更新!
【次回】#81『レイドボス』
美食の女王——万魔殿のボス。俺は見たことがある。その攻略法を——
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