#75.昆蟲大戦・参──同族喰い
◇◇城塞都市壁上・第三大隊陣地──
「……決死隊? “黒門”でも倒し切れないかもしれないってことですか?」
俺はキースの鎧の胸飾りに映る自分の顔を見ないようにして、低く問い返した。壁上は風が強い。甲冑同士が触れ合う澄んだ金属音、投石機の軸が鳴く乾いた唸り、遠くでは甲殻が擦れる砂音──すべてが耳に刺さって、やけに言葉が重くなる。
「空振り、です」キースは短く息を吐いた。
「群れを観察していてわかったのですが、“彼女”は思っていた以上に賢く、用心深い。ある程度削られた時点で、群れを置いて離脱する可能性がある」
風に揺れた彼の外套が、青い術式光路を一瞬さらす。俺は唇の内側を噛んだ。確かに、今のところは計画通りすぎるくらい計画通りだ。突撃の勢いは殺せているし、数も削れている。それでも──最奥に座る“女王”だけは、別だ。
「まさか、黒門が起動不能……とかはないですよね?」
「それはありません。」即答だ。迷いのない声。
「ただし、確実に射程内で捉えられる保証が薄い。文献ごとに有効距離がブレる上、第三大隊は近接戦闘では無類ですが、あの数が一斉に壁へ登攀した場合、市街地侵入を“完全に”阻止できるとは言い切れない。……当初の計画通り、魔法障壁が消滅した瞬間に“黒門”を発動します」
(不確実な大砲を“初手の切り札”に据える時点で、博打ではある。だが──他に、あの数へ真正面から触れる術なんて、ない)
俺は喉に溜まった言葉を一度飲み込む。キースは一歩、俺へ近づいてほんの少しだけ頭を下げた。
「帝国のために命を賭けてくれとは言いません。ですが、ここ数日で見せてもらった君たちの力は、信頼に値する。……この状況で遊ばせておくには惜しいのです。別動の“決死隊”、引き受けてもらえませんか」
顔を上げた彼の瞳に、俺自身がどんな表情をしているか、はっきり映った。──満面の笑み、だ。自覚しながら、止めない。
「いいですよ。乗り掛かった……いや、もう『乗ってしまった』船ですからね。」
キースが目を瞬く。
「断られる覚悟で頼みましたが……何故そんなに嬉しそうなのです? 飛空艇で真っ先に離脱しようとしていたのは演技だった、と?」
「ギクッ」思わず変な声が漏れる。
……まあ、あの時は“災厄”だと確信がなかった。ただの箱庭クエストの一つかも──そんな気分だったのは事実だ。
だが今は違う。聖鐘が鳴り、“天の声”が降りた。
“貢献度上位10名”に報酬。俺の指先が自然と熱を帯びる。
(この周回で、少しでもスキルを増やす。より強い手札を、より深い術式を。単独で災厄と殴り合うより、今は“最良の舞台”が整っている)
「こっちにも色々“計画”があってね。せっかくだし、競争しません? 女王を落として、どっちが上位に食い込めるか」
俺が肩をすくめると、キースは珍しく口角を上げた。
「ああ、あの声のことですか……いいでしょう。先輩の意地というものがありますからね。……それと、もう一つ追加情報です」
「へえ、なに?」
キースは表情を引き締める。風が一段、冷えた。
「女王と、その周囲の数十体は“赤褐色”。異様な気配を纏っています。中でも女王は、遠目にも濃い。特徴を掴めば識別は容易です」
「赤褐色……」
顎に指を添え、群れの奥へと目を細める。普通、レジーナアントは他の兵蟻と同じ灰土色だ。赤褐色の個体群──それはほとんど、あれを想起させる。
「なるほど。女王を含めた一群が“上位種”ってわけだ。……もしかすると、俺は似た奴らとやり合ったことがある。キースさん、全軍に回してください。蟲の死骸は可能な限り“灰”になるまで焼き切る」
「直ちに」
キースが頷いた、その時だ。鎧の胸甲が震え、伝令の声が割り込む。
『──副官殿! 五枚目の障壁に“亀裂”を確認!』
「了解。第一大隊を後退させる。馬から降りている者は?」
『いません! 全員、乗馬のまま戦闘継続中!』
「よし。……フィン君」
キースは俺に向き直り、右手を胸に当てて軽く礼をした。
「そろそろ戦線が動く。ここにどれほど押し寄せるか読めません。武運を」
踵を返す背中を、俺は目で見送った。
残った熱気の中、壁外へ視線を戻す。障壁の面は、陽光を受けて水面のように瞬き、そこかしこに細い皹が走り始めている。重なった層が不快な和音を立て、足元の石がかすかに震えた。
(“赤褐色”──“同族喰い”か?)
無意識に呟く。万魔殿の深層にいた連中。彼らは基本的に“魔物以外”を口にしない。その結果、取り込む魔素が純化し、殻の外ではなく内から赤黒いオーラを滲ませる。遠目には体表の色が赤く見える。──ゲーム時代、散々起きた誤認だ。
けれど、いまはゲームじゃない。判断材料が足りないなら、仮説は仮説──だが、備えておくに越したことはない。
俺は腰の鞄に指を滑り込ませる。爆烈符、煙幕符、拘束符、油封。紙肌の乾き、墨の匂い、角の欠け──一枚ずつ触感で在庫を確かめ、胸甲の内ポケットに“切り札”を移す。指先に魔力を通して、符の術式が生きていることを確認。呼吸は二拍吸って四拍吐く。心拍を“戦うリズム”へ落とし込む。セリエの背には、持続強化の糸をもう一縫い。ミルダ隊の投石機は、次弾装填済み。
──ピシ……ッ。
石とガラスを同時に爪でひっかいたような、薄い音が空気を裂いた。俺は顔を上げる。五層目の障壁、その中央に白い線が走り、蜘蛛の巣が広がるみたいに枝分かれしていく。線は瞬く間に太り、ひゅう、と風が逆流した。
次の瞬間、砕けた。
光の破片が雨のように降り、甲殻の黒い波頭が、割れ目へ向かって一斉に身を乗り出す。
喉の奥で乾いた音が鳴った。俺は斧槍を握り直すセリエの顔を横目に、足幅を半身に落とす。
──残る障壁は、あと一層。
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【次回】#76『昆蟲大戦・肆——矜持』
城壁外——蟲の減殺任務に就いていたゴルドーは大隊の撤収を急ぐ。その時——
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