#74.昆蟲大戦・弐──衝突
◇◇ 城塞都市壁上・第三大隊陣地 ──
「……うわぁ。こいつは凄い、想像以上にゾッとする眺めだな」
思わず漏れた声は、自分でも軽すぎるとわかっていた。けれど、目の前の“土色の海”にもっと相応しい言葉を、いまの俺は持ち合わせていない。視界の端から端まで、泥と殻と脚でできた波がうねり、耕作地を削り、畝を呑み込み、低い濁音を立てながら城へ迫ってくる。風が一度だけ向きを変え、鼻腔に乾いた甲殻の匂いと酸っぱい腐臭を押し込んだ。胃袋が小さく跳ねる。
「なんという大群……。それに、見た目もすごく気持ち悪いわね。……うう、あれの返り血を浴びるかもしれないと考えただけで吐き気がしますわ」
隣でセリエが顔を顰める。風に乗って、湿った土と甲殻が擦れる酸い匂いが鼻を刺した。彼女は斧槍の石突をきゅっと握り直し、背の大楯を少し上にずらす。
「そうならない事を祈る他ないな。でも“黒獅子”は流石だ。説明通りの誘導、障壁展張、対空の布陣……今のところは絵に描いた通りだ。──ほら、先頭が魔法障壁にぶち当たる」
俺の言葉に合わせて、城外の空気が一段と重くなる。見えない壁に群れがのしかかり、地表が沈んだように見えた次の瞬間──
──ドゴゴゴゴゴゴゴォォォオン……ッ!
雷鳴と地震が同時に来たような衝撃。胸板を拳で殴られたみたいに響きが突き抜け、胸壁の石が低く唸る。障壁の膜が白く火花を散らし、幾重にも重なる魔法陣が一枚、二枚と鈍い光を帯びた。
同時に、聖鐘──頭の内側へ声が落ちてきた。
◇◇◇
────ワールドクエスト、“始まりの災厄”が発動されました。“シミュラクル”に生きる全ての生命は、全力でこれに抗いなさい。
勝利条件:個体名『蟻の女王』の討伐。
敗北条件:全ての生命の“死”。
達成報酬:上位10名の生存者に通知・授与。
以上です。────
◇◇◇
「……ッ!? ワールドクエスト……? いまの声は何ですの!? フィン、貴方にも聞こえまして!?」
「ああ、聞こえた。まさに天の声ってやつだな。神の通達か“世界の仕様”かは知らないけど、内容は単純明快だ。──勝って生き残れ。報酬はその先、ってことだ」
俺が淡々と返すと、セリエは何ともいえない顔で俺を見上げる。
「だっ……え、ええ? 何だかあまり驚いた風には見えないのだけれど、フィンってやっぱり奥が知れないですわよね……」
驚かない理由は簡単。俺は既に幾度かこの呼び声を知っている。それだけ。でも問題は、終わり方だ。
(今回の敗北条件も“全生命の死”。──つまり“時間切れで自然解散”なんて優しい落とし所は無い。終わらせる気がない限り、終わらない)
ルシフェルの、あの飄々とした声が脳裏を掠める。俺たちがいなくなっても、災厄は止まらない。世界は、誰か一人のドラマのために止まってはくれない。なら、やるべきは……。
「セリエ、⦅支援魔法⦆いく。立ったまま、いつもの呼吸で」
「ええ。お願いしますわ」
俺は掌を前に出し、足裏から頭頂まで一本の芯を通す。息を吐くたび、指先に微かな痺れが集まり、淡い緑の光となってセリエの鎧へ吸い込まれた。脚力、反応速度、持久。胸甲の合わせ目に符が浮き、砕けるように散っては皮膚の内側に沈む。
続けて、彼女の背へ──⦅後光⦆。柔らかな光輪が、彼女の金髪の輪郭を一回りだけ太らせる。声に力を載せる⦅拡声⦆も重ねた。喉の奥が少し温かい。
「ありがと。……そうね、あの声が何であっても、わたくしたちのやることに変わりはありませんもの」
セリエの横顔が、ほんのわずかに和らぐ。光に縁取られた瞳は、確かに強い。
◇◇◇
『全軍、こちらキース。先程の声の正体・真偽は不明だが、作戦に変更はない。目の前の敵だけを見ろ。状況と行動を伝える』
脳髄の真ん中に、冷静な声が流れ込んでくる。⦅統率⦆で⦅拡声⦆と⦅念話⦆を束ねた混合スキル⦅指揮通信⦆。大規模戦では文字通り命綱だ。
『第一線は城壁外側の多重障壁に衝突。地上型障壁の“四”枚が貫通、残り“二”。前進はほぼ停止。同時に敵性反応一割消失を確認。ここで更に数を減らす。
第一大隊は壁上の第三大隊と連携、壁外で攻撃を継続。魔力の温存は不要。障壁がもう一枚破られた瞬間に退避命令を出す。絶対に馬から降りるな。
第ニ大隊は現前線を維持。迂回を見たら側面から叩き、東西の壁に寄らせるな。第四・第五は防空続行。飛行部隊の出現は近い。障壁強化を緩めるな。以上』
◇◇
「おおっしゃああ!! 聞こえたか、第三大隊!! 投石機、後方を叩く!! 下で第一大隊が走ってる! 絶対に自軍に岩を落とすんじゃないよ! ここでやらかしたら、私の拳骨じゃ済まないからね!!」
「「「おおう!!!」」」
ミルダの号令に、投石機のレバーが降ろされる。帆布を剥がすと、中から出てきたのは燃料を練り込んだ特殊な糊を塗られた大岩だ。点火の合図で小さな火花が散ると、炎は瞬きのうちに大きくなり、風を掴んでうなる。解放。
燃える弧がいくつも空を渡り、群れの腹の奥へ続けざまに落ちた。
──ギシャァァアアアア!!
断末魔が、土の震えの上に刺繍のように重なる。燃えた殻は、後ろから押し寄せる殻に踏み潰され、また燃える。視界の“黒”が、ところどころ“赤”で穴を穿たれていく。
「あっはは。いいね、流石は私の子分たちだ! この調子でガンガンいくよ!! 連弩はしっかり狙いな! 下の連中が手の回ってないとこ。抜かせるんじゃないよ!!」
「「「おおおう!!!」」」
息を合わせて歓声が返る。第三大隊の魔導鎧は近接寄りで、遠距離魔法は不得手。しかし壁上の魔導兵器を“腕”として使うなら、欠点は欠点でなくなる。合理的だ。……そして、ミルダはノリノリだ。
(いや、わかるけどさ。優等生の仮面、完全に剥がれとるぞミル姐)
「フィン、私達は……」
「応援。まずはそれでいい。聖女様の本分は、皆の“心拍”を揃えることだ」
「そう、でしたわね……」
俺はセリエの背中を軽く押し、⦅後光⦆の光量をひと目盛りだけ上げる。
セリエは頷き、弾薬の列へ飛び込んだ。砲弾を両腕で抱え、次の班へ渡し、笑顔と一緒に短い言葉を落とす。
──(これが聖女様の⦅祝福⦆……腕が、軽い)
──(どっかのミル姐とは大違いやで……)
──(セリエたん、まじ可愛い……ハァハァ)
──(っくそ、あの付与術師さえ居なければ……)
──(お前ら!? ……俺はミルダ隊長一筋だ!)
壁上の空気が目に見えて明るくなる。約一名、ふてくされた声も混じるが──
「……解せぬ」
ミルダ、露骨に頬を膨らませるのはやめてほしい。可愛いけど。
黒門はまだ眠っているのに、こちらの“点”は着実に敵の“面”を削っていく。セリエは前へ出る必要が薄いし、俺の出番も今はない。こういう殲滅戦は、広範囲で焼ける連中の舞台だ。付与術と少しの火で殴る俺は、脇役でいい。……今のところは。
やがて足音。金具が擦れる澄んだ音が近づき、俺とセリエの前で止まった。
「おやおや、どうやらお手隙のようですね? それに、随分とリラックスしておられる」
キースだ。魔導鎧の肩から脇へ流れる青い光路が、脈を打つみたいに淡く瞬く。額に汗はない。声も、余裕を保っている。
「“特等席”を用意してもらって悪いけど、当分出番はなさそうでね。……先輩こそ、緊張してるようには見えない。指揮通信も堂々としてた。流石だよ」
「いえ、台詞は準備しておいたものですし、今のところ計画通りに進んでいるだけですよ」
計画通り──それは強さだ。だが同時に、落とし穴の前触れでもある。
「俺は外様だし、作戦に口は出さない。ただ……侮らない方がいい。想定外は必ず起きる。これは“ゲーム”じゃない、現実だ」
キースは一瞬だけ笑った。けれどその直後、笑みを消して俺を見る。瞳の青が深くなる。
「ありがとう。肝に銘じます。──そして、実はその“想定外”に備えて、お願いがありましてね。」
キースは胸壁に背を預け、視線だけで城外を示す。赤褐色の環が、群れの後方でかすかにうねった。
俺は自然に頷いていた。
ここから先が“俺の役目”だ。
キースは、最後に一度だけ真っ直ぐ俺を見た。青い光が真芯を貫く。
「では──話します」
彼は、依頼の内容を語り始めた。
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【次回】#75『昆蟲大戦・参——同族喰い』
まずは順調に進む戦い。だが、若き獅子はその先を読む。キースから語られる依頼の内容とは——
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