#73.昆蟲大戦・壱──父と子
◇◇【Side:キース】城塞都市フィリス・城壁上──
喧噪の層を突き抜けるように、キースは南西を見据えた。《遠目》を最大解像で展開する。視界は一枚、また一枚と膜を剥ぐように澄み、耕作地の畝の一本一本、刈り残された麦茎の影まで拾い始める。
眉間に寄る皺が自分でもわかる。──あれが“群れ”か。
土は食まれ、草は抉られる。個々は指ほどの大きさでも、束になれば地表そのものを波に変える。畑の用水は落とさずにおいた。足を取る“泥”は、こちらの味方だ。
先頭から二百メートル先。騎馬五十、等間隔で撒き餌のように現れては消え、耕地の隙間を縫って群れをゆるやかに曲げる。先頭の背は揺れず、火の粉の尾だけが残る。率いているのはゴルドー隊長。
「……頼みますよ、ゴルドーさん」
掌から伸びた紅の火線が、夜目のごとき群れの中に針穴を穿つ。炎は瞬きの間に蟲達を炭へ変え、すぐ後続がそれを呑み込む。狙いは“殺す”ことではない。誘うことだ。
耕地の泥に脚をとられ、群れの流速は落ちる。速度差を維持できれば、騎馬が追いつかれることはない。だが一度でも蹄を取られれば、それは終わりだ。数は、合理の暴力だから。
キースは視界を全体へ引き、群れの律動だけを追う。
一糸乱れぬ合奏に、ほんのコンマの“先走り”が交じる箇所がある。恐怖のない群れのただ中にあって、危険にだけ身構える“中心点”がある。
赤褐色の甲殻が円環を描く。“護衛”だ。そこを囲う輪が一拍早く動く──心臓が打つ位置。”蟻の女王”が、そこにいる。
「いた。……ついに見つけましたよ」
キースが《遠目》を解けば、視界は足下の世界へ戻る。彼は遠見台から石垣の内側へと躍り降りた。魔導鎧の重さは魔法で逃がす。膝に重みは落ちない。
走りながら、第二大隊の外周線を見る。外周壁の前縁には土嚢と木柵、逆茂木。川が天然の壕を作り、流れの膨らむ地点には増し杭。良い。抜かれにくい線になっている。
城内の大広場は、第四・第五大隊が対空陣を張り始めていた。結界柱の頂に氷紋が咲き、梁間を風の糸が渡る。魔法障壁は層を重ねるほど鈍く低い唸りを帯びる。今はまだ澄んだ音だ。
黒門の楔の上で、符丁と号令が交わる。全てが、描いてきた“初手”に収束していく。
「いまのところ……すべて計画のうち。準備は上々。あとは──やってのお楽しみ、ってやつですね」
油断はしない。けれど顔が緩むのは止められなかった。指先で口もとを撫で、息を吐いてからキースは表情を締め直す。
伝説に残るのは、いつも“黒門”ばかりだ。この一戦で“黒獅子”の名を刻む。完全勝利で。
キースは司令室へ足を速めた。
◇◇【Side:ガレフ】城塞都市フィリス・司令室──
鐘が三度、音を変えた。司令室に入ると、キースは既に司令卓の前にいた。瞳から青い光が退いている。覚悟を決めた戦士の眼だ。いい顔をするようになったとガレフは思う。
「状況はどうだ」
「南西より接近中。第一大隊は予定通り黒門へ誘導、つい先ほど帰還しました」
報告は明瞭かつ短節、良い。ガレフは顎で続きを促した。
「規模は、飛行型およそ五千、地上型十万。地上の速い個体も見えますが、騎馬に追いつく速力はありません。先遣の情報と一致。黒門発動体制、各大隊配置とも完了。現状、作戦変更は不要と見ます」
「よし。群れを引きつけ“てから”黒門を起こす。飛行型の対処は?」
「甲殻が薄く腹は脆い。第四・第五の火網で落とせます。ただ、高高度の垂直特攻を許せば市街地へ落ちます。落下地点の対応が必要でしょう」
「市民は複数の避難所へ分散し、群単位で移送せよ。冒険者には撃ち漏らした飛行型の処理を」
「はっ。組合へ伝令を飛ばします」
キースが指先で符号を切ると、伝令が迷いなく駆け出す。既に指示は済んでいた。ということだろう。
「他は」
「群れ後方に“女王”と見られる核を確認。フィン殿の見立て通り、“蟻の女王”が率いています。周囲を囲む護衛は通常より大型、甲殻は赤褐色で識別容易。大まかな位置追尾は可能です」
「やはり、女王か。逃せば被害は帝国どころか大陸に広がる。ここで仕留める。……列強に知られれば、初動の責を問われる。国家の手前でもある」
「はい。“嫉焔”が通らぬ場合は決死隊を。候補者には既に伝えています」
黒門が噴くのは“嫉焔”──封じられた獣が、この世を嫉んで吐き出す嫉妬の焔。
「うむ。だが──」
「私も行きます」
言葉が重なる。意図を読んで先に切るのは、昔からの癖だ。いったい誰に似たのか。
「しかしキース──」
「現在この騎士団の最大戦力は、私とミルダです。我々で敵わぬ相手なら、そもそも此処で女王を討てません。それとも、父上は帝国よりも私を大事に?」
(やれやれ。口が減らん)
ガレフは短く吐息を落とす。
心配だ。だが、父である前に団長である。
「……黒門が通らなかった時の話だ。行け。私は黒門に入る。指揮は⦅拡声⦆と⦅念話⦆で繋げ。状況は逐次報告しろ」
「はっ。私は第三大隊と壁上防備に回ります。父上は黒門の制御に専念を」
キースは背を向ける。まるで、もう言葉はいらぬ、という歩き方だ。
扉が閉じ、室内の音が戻る。ガレフは司令の椅子に腰を落とし、掌を石卓に這わせる。黒門の“脈動”が石を通して伝わってくる。
「……“嫉焔”が通じぬ場合──か」
黒門と、それに連なるフィリスの城壁は、古の時代に封じた獅子の邪神の喉に蓋をして造られた。あの黒は、見るだけでその者の体温を奪う。
“万の兵よ、黒門に挑みし愚者たちよ、
畏れ多くも帝国に仇なす勇者たちよ、
黒獅子の咆哮を聞け、
そして、その猛き牙に滴る血の一滴となれ”
街に流れる歌は、三百年も前の大戦をまるで御伽噺の英雄譚のように讃える。
だが一族が守ってきた“禁忌”には、もっと恐ろしいことが書かれている。
「あいつは、“伝説を超える”つもりなのだな。だが父として、私がそれを許さん。女王は──このガレフが仕留める」
(すぐに制御室へ入る。私の役目は、ただ一つだ)
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【次回】#74『昆蟲大戦・弍——衝突』
見渡す限りの蟲の群れ——魔法障壁との衝突を合図に、天の声が災厄の到来を告げる。
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