#62.肩慣らし
◇◇◇ 黒門内側大広場・練兵場——
黒門の影が石畳に長く落ちている。数日前まで出店と屋台で溢れていた大広場は、いまや戦に備えて大きく様変わりした。その一角に陣取る練兵場は、朝靄の湿りを吸った鉄と油の匂いで満ち、木柵の向こうでは治療天幕が白く張りつめ、魔力計測の水晶柱が淡く呼吸していた。見物に集まった兵や市民は——明日を怖れる目と、今を見届ける目を同じ顔に同居させている。
「……本当に、やるんだな」
俺は掌に貼った付与術の呪符を弾き、指を握っては開く。前周回でマカライトから贈られた“爆裂鉄甲”を参考に試作した簡易の手甲だ。付与術は魔法紋を事前に対象へ刻むことで、いざというとき詠唱をキャンセルできる。練習では何度か回したが、実戦運用は今日が初めて。
ふと横目に、セリエの握る斧槍の柄。親指が白い。緊張か、恐れか。力が乗りすぎている合図だ。——なのに、口から出る返事は軽い。
「ええ。何だか大変なことになりましたが、仕方ありませんわ。“祝福”の試運転、それに——貴方の隠した実力を見定める良い機会。わたくし、けっこうノリノリですの」
笑う横顔は、貴族社会で鍛えられた鉄面皮。
(……まあ、嫌いじゃないけどさ。今にも蟲が押し寄せるってのに、この世界の連中は本当に肝が据わってる)
視線の先、観覧台の端で黒いローブに金糸の女が扇子を仰いでいる。千年を生きた大魔女——ミレッタ。何も言わず、ただ時が満ちるのを待つように。
◇◇◇
——時は、昨日へ遡る。
大広場に設けられた練兵場。まだ朝日が昇りはじめたばかりなのに、既に兵士達で溢れかえっている。ここでは現在、昆蟲大戦に向けた最終調整が行われていた。表情は皆重い。緊張と恐れに朝食を吐き出す者もいる。だが、時は待ってはくれない。偵察隊から、蟲の群れはあと3日で都市から目視できる位置まで迫るとの報告。決戦は直近だった。
俺とセリエは、対蟲戦を想定した二人組の立ち回りを詰めていた。蟲型は巨躯でも群れ——数の圧で獲物を潰す。死角を潰す、声で拍を合わせる、切り返しで間合いを盗る。ここ数日のルーティンだ。動きとイメージがやっと重なり始め、セリエとの連携も形になってきた——気がする。
(くそ……こんなことならセリエルート、もう少しやり込んでおくんだった)
学園で彼女をパートナーにする条件は「成績で上回る」——要は、他候補みたいに共同課題や雑務で積極的に絡む必要が薄い。だから俺は、会話の癖や細かいリズムを他より拾えていない。
「フィン、息が上がってますわ。今朝はここまで。——それにしても、後衛にしておくには惜しい動き。やっぱり何か隠していますわね?」
セリエが柄を立て、目を細めて俺を見る。
(落ち着け。ハッタリで押せる。いま見せてるのは“違和感のない範囲”のスキルだけ。継承したやつも、卒業時のままスライドが大半。器用な凡人に見えるはずだ)
「あー、これはさ、故郷の——」
「フィン」
俺の言葉に、彼女が重ねて声を置いた。真面目な顔だ。
「さっきの立ち回り。それに、何日か前からつけ始めたその手甲……夢に出てくる動きそっくり」
一拍の沈黙。逡巡のあと、彼女は意を決したように続ける。
「ねぇ、本当に“夢”なの? フィン。何か知っているなら教えて。わたくし、ここ数日同じ夢を繰り返し見るの。——そして、その夢はいつもあなたを失って……終わる」
瞳が潤んで、溢れそうだった。
「……わたくし、怖いの。何か“大きな流れ”に迷い込んでしまったみたいで」
戦の空気に当てられたのだろう。漠然とした恐れがこの練兵場を包み込んでいるせいもある。冷たい指先がわずかに震えているのを、俺は指先で包む。
「セリエ……俺は——」
「ぐぁーっはっは! 今日もやっとるな、小僧!」
練兵場に響いた大笑いが、言葉を叩き落とす。第一大隊長、ゴルドー・ビッケンバック。その背に影のように付き従う、第四大隊長ギュスタヴ・ロマネンコ。
ゴルドーは最古参。老いを笑い飛ばす体躯と魔力で、忙しい準備の合間にもここ数日、俺たちの訓練に顔を出す。
「で、どうじゃ? 手合わせなんぞするか?」
「いや……あはは、今朝はもう十分——」
「なんじゃ若いもんが嘆かわしい! ……じゃが腕は上々よ。入団試験の日のミルダを思い出すのう。どうじゃ、“黒獅子”に入らぬか? 帝国出身でのうても、強者は大歓迎じゃ」
嬉々として勧誘する老獅子の背後で、ギュスタヴは眉をひそめる。
「ゴルドー老。買い被りが過ぎる。所詮こやつらは“金払い”で善悪を決める冒険者。誇りある騎士団に入る気概はない。……力とは覚悟に宿る。意志なき力は、我らには不要」
「ギュスタヴ!」老獅子が被せる。「この皮肉屋め! フィン、気にするでない。騎士の覚悟など生まれつきばかりではない。精神は肉体に宿る。“型”を通して育つものじゃ。で、どうじゃ、考えてみ——」
ぴたり、と言葉が切れた。俺たちの背後に、圧。
階段の上、見下ろす二つの影。ギルドマスター・コーダ・レイ、そして騎士団長ガレフ。ギュスタヴの額を汗が伝う。
「……ほう。“所詮”・冒険者、か」
コーダの声は低く、刃のように冷たい。
「申し訳ない、マスター・コーダ。ギュスタヴは少々口が悪い。私から——」とガレフ。
「構わんさ」コーダは大剣の柄に手を置き、視線だけでギュスタヴを縫い止める。「井の中の蛙という言葉がある。盲目は便利だ。理想と現実を擦り合わせる時などは、特にな」
皮肉屋の口が、初めて閉じた。
「とはいえ——儂らも舐められたままでは目覚めが悪い。そうだろう、ニーナ」
「むかつく」
その一言が、屋根から影を落とす。練兵場の壁を駆け、砂を散らして舞い降りた赤髪。獣の耳がわずかに揺れ、三日月刀が月の欠け目みたいに腰で光る。
「あんたいま、虎の尾を踏んだよ」
“茜月のニーナ・ノヴァ”。この街でいちばん勢いのある“超新星” ——魔法銀級の冒険者だ。背後で鉄板のダンが苦笑いしつつ盾を肩に上げる。
その時、場の空気を読むようにキースが走ってきた。副官の腕章が朝日にきらりと光る。
「待ってください皆さん、いまは対外準備が——」
しかしガレフが手を上げて、静かに制した。
「キース、少しだがまだ時はある。剣は錆を嫌い、群衆は沈黙を怖れる。——緊張は、拍子で割れ」
団長は黒門を一瞥し、口角をわずかに上げる。
「明日、この場所で、トーナメントをやる。本番前の肩慣らし——模擬戦だ。二人一組、致死は禁止、降参は即時有効。審判はコーダ殿。市民も兵も観るがいい。戦いは明日だけじゃない。今日の拍を合わせるための戦いも、ある」
コーダが頷き、付け加える。
「冒険者ギルドは本番では前線に立たん。だが今回は治療・回復支援を出す。流血は最小、拍子は最大だ」
わっと、練兵場に熱が走る。俺はセリエの袖を小突いた。
「セリエ。……やるか」
「ええ。楽しみになってきましたわ。それに——」
彼女の震えはもう止まっている。
「わたくし達はもう一人じゃない。貴方はわたくしが必ず守ります」
「——ああ。なら、お前の背中は俺が支える」
黒門の鉄が、風に鳴った。
明日へ繋ぐ拍子が、いま打たれた。
【更新予定】
毎日20:00更新!
【次回】#63『開幕——城塞都市トーナメント』
急遽開催となった城塞都市トーナメント——城塞都市の精鋭たちが互いの技を競い合う。最初の対戦相手は、誰だ。
面白かったらブクマ&★評価、明日からの20:00更新の励みになります!




