#60.異なる世界、異なる始まり
◇◇◇
俺がステータス画面の “サポート” に意識を触れた瞬間、世界がきしんだ。音が布で包まれ、灯りはガラスの中の水滴みたいに鈍く膨らむ。時の流れが糸飴になって、引けばいくらでも伸びる——そんな手触りに変わっていく。
(……よし)
⦅念話⦆と同じ要領で、俺は“繋がっているはずの相手”に声を投げた。
「おーい、ルシフェル? ちょっとだけ現実逃避したいんだが……」
『……くすくす。あれ? 色男さんじゃない。大丈夫かい? モテる男は辛いねぇ』
即応。つまり、今の騒ぎは最初から“観測下”ってことだ。
「はぁ、ルシフェル……お前、黙ってたな?」
『おや? いったい何のことだい?』
姿は見えないのに、肩をすくめて笑っている顔が脳裏に勝手に浮かぶ。こういう時のあいつは、だいたい悪戯が成功した子どもの顔をしている。
「なに笑ってんだよ、“災厄” のことだ」
『あ、そっち? てっきり “転移先” のことかと思ったよ』
「それもあるけどさ。どっちかと言えば “災厄” の方が重要だろ? 何で黙ってた?」
『ん〜。ちょっとだけ驚かせたかったからかなぁ。どう? ミレッタの寝顔見た時、驚いたでしょ?』
「ああ、2つの意味でな」
『ははは、なら。成功だ』
のんきな声に、胸の奥で小さく舌打ちが転がる。俺は“黒い霞”が部屋の隅から湧く絵面をずっと警戒してたってのに。
「“災厄” の発生条件は揃ったはずだ。なのに、どうして “黒い霞” が出てこない?」
問いを投げると、ルシフェルの声色が少しだけ説明口調になる。
『そうだねぇ。全ての “シミュラクル” はいま、基本的な世界の法則は共有されたままに、一部の人間たちの記憶や僅かな歴史が異なる “パラレルワールド” になっていることを既に君は知っているね?』
「ああ、知っている。クラスメイトの組み合わせの数だけ存在するパラレルワールドだ。かなり似通ったものはあるだろうが、一つとして “同じ” 組み合わせはない」
『その通り。そして “始まりの災厄” は、君のこれまでの2回の転生では同じものだった。だけど今回はその発生条件も、もっと言えばその内容さえ違うものだ。もしこれが仮に、“ゲーム”だとして……よく考えてみて? この意味するところが、君なら検討がつくんじゃないかな?』
喉の奥に引っかかっていた違和感——作戦会議で感じた微妙なズレ、そしてミレッタの出現で濃くなった予感——が、ここで形になる。
「なるほど分かったぞ……。災厄の正体、それは── “パートナー” となったキャラクター毎に設定された固有クエストだな?」
自分でも驚くほど、確信に満ちた声が出た。
『おお、その通り。フィン、正解だよ。災厄の発生条件とその内容は “シミュラクル” が変われば……。いや、君の “パートナー” が変われば大きく異なるんだ。つまり、セリエちゃんにとっての “始まりの災厄” は、ラミーちゃんと同じではない』
「なるほどな……。道理で最初の世界で “始まりの災厄” を倒したラミーが、次の災厄の“最初”の犠牲者になるわけだ」
口にして、胃の奥が冷たくなる。誰かの“固有クエスト”は、別の誰かにとっては死神の歩幅になり得る、ということ。
『そりゃ彼女自身が災厄のターゲットになっているんだもの。簡単には避けられるはずないさ。そしてセリエちゃんに降りかかる “災厄” も、現在既に動き始めている。それがどんなものなのかは、私が言わなくてもわかっているよね?』
「ああ。作戦会議で騎士団から聞いた情報から、実は大体の当たりはつけていた。蟲型で、旺盛な食欲を持ち、短期間にここまでの勢力へと成長する魔物は、 “シミュラクル” ではそう多くはない。おそらく、それがセリエに降りかかる最初の “災厄” の正体だ」
『ふふふ、相変わらず察しがいいね』
「セリエにとっての “始まりの災厄”。それはおそらく、 “蟻の女王” 。今回の昆蟲大戦は、俺とセリエがパートナーになったことが原因でこの世界に発生した──ってことだな?」
自分で言いながら、拳がゆっくり握り固まる。
『……そうだね。とは言え、君が責任を感じて思い悩む様な事ではないよ? 一度動き始めた “シミュラクル” は、君達が生きてようが死んでようがその “結末” に向けて突き進んでいくし、あらゆる “シミュラクル” が現実になった時点で、 “災厄” は辻褄合わせでもなんでもなく、その世界が歩むべき運命なのだから』
正論。だけど割り切れるほど器用じゃない。
「そうは言うが、ルシフェル。今回の “始まりの災厄” ……その相手が本当に “蟻の女王” だとすれば、とても転生直後の俺達が叶う相手じゃないぞ? ……お前、こうなる事が分かっていて俺達の “転移先” を城塞都市に設定したな?」
『おっと、バレたかい? ちょっとしたサービスのつもりだったんだけれど……正解だ。今回の転移先は、私の方で少し調整させてもらったよ。本当は、同じような条件を持った他の地域……例えばあの “カナン” なんかでも今回の災厄は発生し得たんだけどね』
やっぱり。喉の奥に引っかかっていた棘が、少しだけ位置を変える。
「ルシフェル……お前の望みはいったい何なんだ? “シミュラクル” への干渉は、お前にとっての御法度なんじゃなかったのか?」
『私は “君” への干渉は躊躇しないと言った筈だよ? まあ、あくまでも直接的に君の敵を排除するといった干渉は避けるけれどね。学園都市の “転移門” の行き先の操作くらいであれば、 “彼女たち” もそう強い抵抗はしなかったし、歴史の改変にも当たらない。それにこの転移先は、今回君達にとっても都合が良いものになっている筈だ』
「彼女たち……?」
無意識に反芻した俺の問いは、さらりと受け流される。
『私の望みは一つさ……全てはこの “世界” 全体の安定のため。だけど、フィンの事は応援しているよ? 君が一刻も早く強くなって “願い” を叶えることこそ、私の “観測者” としての役目を果たすための近道だと思っている。それだけのことさ』
「……やはり解らないなルシフェル。いったい俺に何を期待している?」
『そうだね、もう少ししたら……もっと話をしよう。次にこちらに帰ってきた時にでも、ゆっくりとね』
言葉と同時に、飴だった時間がほどけはじめる。固まっていた埃がひと片ずつ落ち、凍ったカーテンの端が波の続きを取り戻す。
「わかった。ルシフェル、もう少しだけ待っててくれ。まずは、この “災厄” を止めてみせるさ。それと……」
俺は、最後に名前を呼ぶみたいに“観測者”を呼び止めた。
「俺の “願い” は彼女と、──メアリと結ばれることだ。世界の安定とやらが何かはわからないが、俺は俺の “願い” を叶えるために動くぞルシフェル。そのことを忘れるなよ」
『ふふ、安心して。君の “願い” を邪魔するつもりは、私には全くないよ』
声が遠ざかる。耳鳴りが薄れ、代わりに現実の気配が濃くなる。胸にのしかかる重み、肌を押す温度、近すぎる甘い匂い、廊下の向こうから駆けてくる足音の反響——すべてが“速さ”を取り戻していく。
しかし時間の流れが急速に元の速さに戻っていくなかで、俺の視界はまるで眠りに落ちる時の様にゆっくりとぼやけていく。
(あれ……? これ、息が……)
——吸えない。だが苦しさはなく、むしろ心地よさすら覚える。混濁する視界の中、いつの間にか俺は意識を手放していた。
◇◇◇
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【次回】#61『この戦いが終わったら』
ミレッタの胸で眠りについていた俺。目覚めた先で見たのは——セリエの涙。また紡がれる“約束”。
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