#59.集いし者たち
◇◇◇団本部別棟・客間──
───コンコン。
扉板を指の骨で叩く乾いた音が、もう何度目か数えられないくらい、部屋に染み込んでくる。
「フィン、聞こえてないのかしら? 私、もう怒ってませんでしてよ。もう誤解は解けたのですから、早く支度をして出てくるんですの」
扉の向こうからセリエの声。声音は努めて穏やかだが、語尾の張りで“本気度”がわかる。
───コンコンコンコン。
間髪入れず、もう一度。
「フィーン、ミルダさんが待ってましてよ〜。もう、入りますわよ? ……あら、部屋に鍵が……?」
ノブがガチャガチャ揺れる。鍵は、かけてある。俺が、かけた。
「セリエ殿。どうされたのだ?」
廊下からミルダの低い声。待ち合わせ時刻をとうに過ぎ、さすがに様子を見に来たらしい。
「あら、ミルダさん。お待たせして申し訳ありませんわ。実は、何度呼びかけてもフィンが部屋から出てこないのです」
「ふむ。フィン殿に万が一のことがあってはいけない。私が鍵を取ってくるよ」
「よろしくお願いいたしますわ」
(……まずい)
胸の奥が、氷と火の真ん中でじゅうじゅう鳴る。どう説明する? いや、説明以前に、俺自身が今の状況をまだ理解し切れていない。
ため息が、勝手に喉から零れた。頭の中は、絶賛混乱中。理由は——目の前、いや、俺の腰の上で、気持ち良さそうに目を閉じて眠っている“それ”にある。
黒い布地に金の刺繍。布の下から拾い上げる身体の線は、隠す気のないローブゆえに余計に鮮明で、斜光の下で金糸が星座のように瞬く。肌に沿う香は乾いたハーブと少しの鉄。若々しい美貌は“千年”の重みを想像すらさせず、同時にそれが彼女の全魔力を常時じわじわ喰い続ける“呪い”の徴であることを俺は知っている。昔——前周回、俺はこの人に“消されて”いる。だから手のひらの内側には、いつでも“走れる”ように⦅韋駄天⦆の回路、⦅硬化⦆の起動、⦅結界⦆の展開点……全部、触れれば点火できるよう、静かに並べてある。
(……やるなら、瞬き一つでいい)
俺の吐息の気配に、胸の上の重みがわずかに動いた。長い睫毛がぱちぱち瞬き、薄く目が開く。氷糖みたいに透いた色の瞳が、気怠く笑って俺を映した。
「あらあら……、なんだか外がとっても騒がしいわねぇ。おはよう、あ・な・た?」
——ミレッタだ。
「ミレッタ……。どうしてお前がここに……。いや、それよりも、ここで何をしてる?」
恐ろしさを噛み殺したまま、俺は口を開く。
「あら、やっぱり今度も“わたし”を知っているのね。前は分からなかったけれど、これで少しだけ見えてきたわ。いま私たちの置かれている“状況”が」
ミレッタはふふと笑い、俺は自分の失策を悟る。だが、もう遅い。
「あ……あの、ミレッタ? お前もうすうす気がついているとは思うが俺は……」
言葉を続けようとした瞬間、両腕がするりと俺の首の後ろに回り、体重が近づく。額と額の距離、息の温度。
「もう、やっと再会できたっていうのに……、そんなつれないコトは言わなくてもいいわ」
「え、ちょ……むぐっ——!?」
柔らかいもので、口を塞がれた。頭が真っ白になる種類の圧迫。視界の端で、黒金の刺繍がゆっくり揺れ——
────ガチャ。
「ちょっとフィ…………ン?」
扉が開く音。セリエの声が、そこで千切れた。
見知らぬ女に抱きしめられ、ベッドに沈む俺——という絵面。沈黙が、部屋中の空気を一瞬にして凍らせる。
「……え?」
セリエの目が丸くなり、焦点が合わないまま固まる。その静止を破ったのは、胸元からくぐもった声で言葉を落としたミレッタだ。
「あら、また別の娘を連れているの? ダーリンったら、いつの間にか随分とモテる様になっちゃったのねぇ。そんな風にされたら私だって、少しは嫉妬しちゃうわよ?」
その軽さで、セリエの正気が逆に戻った。
「ちょっとフィン!? これはッ……、いったいどういう事なんですの!?」
怒声と同時に、廊下の足音が加速する。
「どうされましたかセリエ殿!! ……っひゃ!?」
飛び込んできたミルダが、俺にしがみついている女性を見て、普段の凛々しさからは想像もつかない可愛い悲鳴を上げた。
「はぁい、ミルダじゃない。お久しぶりね、元気にしてたかしら? 魔法の練習は上手くいっているの?」
親しげで、どこか含み笑いを添えた声。ミルダが目を見開き、直立不動——からの、弓のように折れるお辞儀。
「お……お師匠様!? ご、ごご無沙汰しております!!」
「……ッえ!? お、──お師匠様!?」
セリエが今度はミルダの方に向き直って目を丸くする。状況はさらにカオスへ。
(そうなんだ、あのね。ミレッタはミルダの魔法のお師匠様で、俺達は何にも怪しい関係じゃ——)
言い訳は胸の柔らかさに埋没して、フガフガという情けない音しか出ない。
「ちょっと、とにかく貴女! 私のフィンをお離しなさい!! 苦しそうじゃありませんか!!」
「あら、彼。喜んでるわよ?」
「そうなのフィン!? 許しませんわ!!」
(……あかん。修羅場だ)
このまま口が胸で塞がっている限り、反論の余地はない。俺は観念し——いや、状況の主導権を取り戻すべく、ずっと“避けてきた”項目に意識をスライドさせた。ステータスの片隅にある“サポート”。指先ではなく、意識のカーソルで触れる。
世界の音が、遠のく。滴る蝋の時間が糸を引き、舞っていた埃が宙で止まり、窓辺のカーテンの一番端だけが波の形を保ったまま固まる。何倍にも引き伸ばされた時の中で、俺の思考だけが、普通に歩ける速度で進む。胸の圧迫感も、熱も、重みも、そのまま——ただ、遅い。
(ふーん。こっちではこんな風になるのか)
“生きたまま”でここに来るのは初めてだ。耳の奥で、薄い鐘の音みたいなシステムの呼吸がする。遠く、微笑う“彼”の気配。観測者。天使か、悪魔か、その両方か。
(……話そう。今回は、ちゃんと)
徐々に、意識の糸が“彼”へと繋がっていくのを感じながら、俺はゆっくりと息を吐いた——。
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【次回】#60『異なる世界、異なる始まり』
この世界に来て初めて、俺はルシフェルと言葉を交わす——災厄のシステムがまた一つ、明らかになる
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