#58.紅葉は舞う
◇◇◇ “黒獅子の咆哮” 第三大隊長執務室──
「よく来てくれたな。……まあ、掛けてくれ」
作戦室を出てすぐ、俺とセリエはミルダの私室に通された。分厚い石壁に小振りの暖炉。窓は弓形の明り取りで、外の城壁上を渡る風の気配が紙束をわずかに鳴らす。机上には地図と命令書に混じって、金属の匂いがする黒革の手袋と、接触面に銀の細線が埋め込まれた掌当て。壁の武具掛けには、鈍い青光を帯びる“魔導鎧”の胸甲と、柄に古式の符が刻まれた戦鎚——魔導戦鎚。柄尻の導子と鎚頭の接触板が、灯りの揺れに合わせてかすかに脈動しているように見えた。
彼女が椅子を勧める仕草は軍人らしく端的だが、袖口の留め具を親指で一度確かめる癖がある。金属の「カチリ」という乾いた音。触れて確かめる、という動きに、妙に“実用”の匂いがした。
「ありがとう、ミルダさん。早速だけど、“囮”って具体的には俺たちに何をさせたい?」
単刀直入に切り込むと、ミルダは椅子の背にもたれ、核心だけを落とす。
「端的に言えば、君たちには第三大隊と共に城壁上の櫓に陣取り、黒門の発動準備が整うまで“耐え”、そして“引きつける”。それだけだ。守りは第三が請け負う。安心しろ」
安心しろ、と言う時の声は不思議と落ち着く。胸甲越しでも伝わる芯の強さ。セリエが言いづらそうに眉尻を下げた。
「あの……わたくし達も少しは戦えましてよ? 本当に“黒門”頼みの戦い方で大丈夫かしら」
「無理もない」ミルダは素直に頷いた。「黒門に秘められた力は長らく秘匿され、振るうべき機会もまた失われてきたからな。だが伝説は生きている。時が来れば、力の一端を目の当たりにする。——蟲は、一匹残らず“殲滅”される」
言い切る声に揺らぎはない。セリエは小さく息を吐いて「そう……ですのね」とだけ返し、膝の上で指を組んだ。
ミルダの視線が俺に移る。「フィン殿はどうだ? 気になる点は」
「んー……。ミルダさんの戦い方は“完全に前衛寄り”だよね? なのに何で“城門の上”に?」
言った瞬間、彼女の睫毛がほんの僅か止まる。すぐに表情を整え、理路整然と答えた。
「第三は“登攀”に対する掃討を担う。黒門が破られることはない。だが、壁を“上から”抜かれれば意味がない。ゆえに壁上に最適戦力を置く。——触れている限り……いや、近接して受け止める局面ほど、第三の持ち味が出る」
“触れている限り”。言い直した言葉の端に、彼女自身も気付いていそうな隙間がある。ミルダは何気なく右手の手袋をはめ直し、机の縁を軽く叩く。銀細線の走る掌当てが、石の天板に触れた瞬間、微かな火花のような青い揺らぎが走った。鎧越しに、触れることで閉じる“回路”。——なるほど、“当てて通す”のか。
「なるほど。迂回より“上”を注意、ってわけだ」
「ああ。この数日の偵察で生態は見えてきた。飛行型は脅威が低い。第四・第五の対空で落とせる。川沿いの薄い区画は第二が誘導に回る。“水を嫌う”性質もある。結果、もっとも戦闘力の高い近接型を壁で受け、よじ登る個体を上から潰す。そこが要だ」
言葉と同時に、彼女は壁の模型を指先でなぞる。指が石面に触れた瞬間、机の上の小さな導子札がチリと鳴った。接触するたびに、どこかで“通る”。——やはりそういう仕組みの戦い方だ。
「じゃあ、俺たちは一番の“激戦地”に置かれるわけだ。さっきの会議じゃそこまで言ってなかった気がするけど……期待されてるのは伝わったよ」
「隠しても仕方がないからな。正直に言えば、その通りだ」
俺がニヤつくと、セリエの目がきらりと光る。
「あら、そうでしたのね? では、わたくしも遠慮なく。“聖女”としての任を果たせますわ!」
数日前まで「聖女なんて」と戸惑っていた本人が、一番乗り気だ。称号とスキルを得て自覚が芽生えたのもあるだろうが……。群衆を鼓舞してしまった手前、安全圏に引っ込む気はない、という顔。
俺が苦笑していると、今度はミルダが逆に問いを寄越した。
「それにしても……君はなぜ、私が“前衛向き”だと? まだこちらに来たばかりだろうに、私の戦い方を誰から聞いた?」
「ああ、それはね。キースが言ってたよ。君の——パートナーの、キースさんが」
実際は“卒業時にペアだった”と“魔導鎧の名手”という程度しか聞いていないが、概ね嘘ではない。ミルダはぴくりと肩を揺らし、頬を染めた。
「……っ、あの、おしゃべりめ」
「まあ! ミルダさんも学園の先輩でいらしたの!? 何期生で、ジョブは?」
「第九十八期。ジョブは——魔導戦士、だ。……“完全に前衛”と言うからには、その辺もキースから聞き及んでいるのだろう?」
言いながら、視線が武具掛けの“鎧”と“鎚”へ、一瞬だけ滑る。鎧の胸部には接触板。ミョルニルの鎚面には刻線が幾重にも走り、柄には差し替え式の導子カートリッジ。叩く、触れる、踏む——その瞬間に“魔導”が走る設計だ。
「いえ、わたくしは何も?」セリエが首を傾げる。
「あー、ミルダさんはねえ——」
「こら、フィン殿! それ以上は言わなくていい!」
食い気味に遮られた。真っ赤だ。——やっぱり、この“周回”でも彼女は“遠隔に魔導を飛ばす”経路に制約がある。触れて閉じる回路だからこそ、鎧と鎚で距離の欠点を潰す。俺がうっかり核心に触れないよう、言い方を換える。
「ミルダさんは、すごく“魔法が上手”なんだよ」
「——まあ!」セリエの瞳に星が宿る。「でしたら、あとで簡単な魔法を見せていただけます?」
セリエは魔法適性が高くない分、こういう話題に弱い。ミルダは一瞬逡巡してから、掌当ての縁を軽く指で撫で、「機会があれば」とだけ答えた。掌の銀の細線が、指の腹に触れたところで淡く光る。触れて通す。やはりそれが鍵だ。
「……キース。許さない」
ミルダが小さく、しかし本気の温度で呟いて拳を握る。掌当ての金具が「チッ」と鳴った。
◇◇◇ 翌日・本部通路──
「……やってくれましたね、フィンくん」
朝、通路の角でキースに呼び止められた。頬に見事な“紅葉”の手形。一昨日の夜に俺がもらったのと、左右対称。
「ああ、キースさん。その頬、どうしたの?」
わざとらしく自分の頬を指差すと、彼は細く笑って肩をすくめた。
「分かっているでしょう。ミルダにこっ酷く絞られました。貴方に渡した彼女の事前情報は最小限に留めたつもりでしたが……。なぜああも核心に迫る言い方になるのか。不思議ですね」
「キースさんは“言葉足らず”だからね。俺が勝手に勘違いして、たまたま“彼女が隠したい何か”に重なったんじゃない?」
曖昧に煙に巻く。——あの時、ミルダの“触れて通す”所作が、答えの半分を教えてくれた。けれど、それを俺が言う筋合いはない。
「ふぅ……。では今後、貴方への情報提供は“念入り”に考えますとも」
キースはにこりと目尻を下げ、それから表情を少しだけ意地悪に変えた。
「それと、覚えておいて下さい。——私も、貴方と同じくらい“負けず嫌い”です」
嫌な予感が背中をなでた。彼が去ってすぐ、部屋の扉を開ける。待ち構えていたセリエが、にこりともしていない。
「キースから聞いたわよ? あの“真贋符”……“偽物”なんですって?」
「え、いや、その、これは作戦上の柔軟な運用で——」
「言い訳無用ですわ。一昨夜の“潔白証明”の件、あとでゆっくりお話ししましょうね?」
ほどなくして、俺の頬には再び鮮やかな“紅葉”が舞い戻った。秋の風が沁みる。——やったら、やり返される。ここフィリスでは、それが世の理らしい。
暖炉の火がぱち、と弾ける音。触れれば通る火。触れなければ、ただの影。ミルダの鎧と戦鎚が、石壁の向こうで微かに鳴った気がした。次に触れるのは、城壁か、蟲の殻か、黒門の扉か。いずれにせよ——俺たちの“手”が届く距離だ。
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【次回】#59『集いし者たち』
迫る昆蟲大戦に備え、訓練に励む俺たち。しっかりスキルを磨かねば。そう思っていた矢先、ついに来た——あの女が。
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