#51.フィリスの聖女
◇◇城塞都市・ “大広場” ──
屋台の油がはぜる音、果物を量る秤の皿が触れ合う金の音、黒獅子の旗が風で鳴らす布擦れ。広場の喧噪は波のように寄せては返し、俺とセリエは人の流れに合わせて屋台を冷やかしていた。そんな時だ。耳の膜を叩くような怒鳴り声が、雑踏の地鳴りから頭一つ抜けた。
「嘘じゃねぇだ! ありゃ “蟲玉” だ! オラ達ぁこの目で見ただよ!」
声に惹かれて人垣を割る。汗と土の匂いが濃い。痩せた農夫風の男が、戦士風の大柄な冒険者の脚に縋りつき、涙目で必死に訴えていた。大男の肩甲は擦り傷だらけ、刃こぼれした剣が腰で唸っている。
「はんっ! わざわざ騎士団にまで確認したが、そんな話は全く知らねえとよ。大方、今年の不作で収穫が上がらねえからデマカセを吹きにきたってところだろうが? あん?」
大男は鼻で笑い、縋る手を鬱陶しげに靴先で払う。周囲の野次馬がざわつき、誰かの落とした果実が石畳を転がった。
「ち……違うだ! オラの牛っ子も一頭丸々食われただよ! どうして騎士団は嘘をつくだ!? オラ達ん村も、この街も、もう直ぐ蟲に飲み込まれちまうってのに……!!」
男の喉が枯れ、声が掠れる。なのに大男は眉一つ動かさない。
「っち! だから、そんな話信じられねえって言ってんだよ! 第一、街の外を見ろ! 最近じゃこの辺りには魔物一匹見当たんねぇんだぞ? こんな平和としか呼べねぇ状況で、なんだってそんな大災害が起きてるってんだよ、アホが!」
大男の踵がわずかに引き、蹴りがくる──そう体が判断して俺の足が半歩前へ出た、その瞬間。
「お待ちなさい! 民衆の味方である筈の冒険者がその様な蛮行を……とても見過ごしておけませんわ!」
隣にいたはずのセリエが、一拍のうちに前へ。
白金の胸甲が陽を返し、周囲の視線が一斉に吸い寄せられる。澄んだ声は広場の天蓋に当たって反響し、喧噪を一段押し下げた。
「それに、そちらの方の言葉と表情、とても嘘を言っている者のものとは思えません。貴方は人を見る目がないのですか? それとも、その蟲とやらがよっぽど怖いのかしら?」
彼女は大男へと間合いを詰めつつ、蹲る農夫の背に片手を置く。鎧縁の装飾が震え、薄く鈴の音を立てた。
「もう大丈夫よ、貴方の訴えは私が聞き届けましょう」
「おいおい、なんだ手前は!?」
大男の目が泳ぐ。人垣の奥で、子どもが親の袖を引いた。
「父上なら迷わず名乗る。ならば、私も──」
セリエはすっと立ち上がり、二つ結いの金髪を大仰にかき上げる。視線を広場全体へ投げてから、胸を張って名乗った。
「私の名はセリエ・リステンシア。エレノア王国が大貴族──リステンシア公爵の娘ですわ!! たとえ国は違えども、苦しむ民を、今にも起ころうとしている“災い”を、見逃す事など出来る筈がありません!」
(うわあ……言ってしまった)
俺は反射的に天を仰ぐ。こっそり飛空艇に乗って抜ける算段は、今この瞬間灰になった。だが、もう後戻りはできない。ならば演出ごと押し通すだけだ。
俺は手短に詠唱し、セリエへ⦅後光⦆を付与。指先で空気を摘むと、薄金色の紋が一輪だけ咲く。音もなく砕け、光の輪がセリエの背に沿った。敵視誘導のはずの術式が、今は威光に見えるから不思議だ。
「さあ、お立ちなさい。そして、真実の声を皆に届けなさい。決して自分のためじゃない。誰かを救いたいと思う気持ちが、貴方にあるのであれば」
セリエの手が背を押す。農夫の喉仏が上下し、恐る恐る顔を上げた。
「せ……聖女様……」
(いや、中身は前線盾斧のゴリゴリ近接なんだが)とは、さすがに飲み込む。
「わ、わかっただ。み……みんな! 聞いてけろ!」
それでも声は震える。俺はもう一つ、⦅拡声⦆をセリエと農夫へ重ねた。言葉が出る直前、喉の前に微細な風が渦を巻く──⦅拡声⦆が乗る合図だ。術式が空気を掬い上げ、声帯の震えを広場中へ均一に撒く。
「オラは見ただ! 農道一面に転がったでっけえ“蟲玉”の山を! もう、この辺りの動物は魔物まで含めて全部全部……みぃんな、昆蟲型の魔物に食われちまったみてえだ! もう直ぐ“昆蟲大戦”が起きる! こりゃ間違いねぇだ!」
言い切った途端、男は糸が切れたように泣き崩れた。広場に、一瞬の真空。やがて、それは波頭を立てて崩れる。
──な、なんだって……!?
──魔物は“黒獅子”が巡回で掃滅していたんじゃなかったのか?
──ば、“昆蟲大戦”なんて数百年ぶりだぞ……?
──ひ、飛空艇! 飛空艇の便はまだあるのか!?
──そうだ! 早く逃げねぇと!
──おいどけ! どけよ!
叫びが走り、屋台の布が乱れ、赤子が泣く。
誰かが樽を倒し、果実が石畳を転がる。油の匂いの中へ、恐慌の酸っぱい匂いが混じる押し合う肩と肩の間に、微かな悲鳴が混じった。
(やばい。このままだと暴動になる)
俺がセリエへ駆け寄ろうと踏み込んだ、その刹那──
「鎮まりなさい!!」
白金の鎧に身を包んだ少女の声が、広場の天井を撃ち抜いた。⦅拡声⦆と彼女の腹から出た音が重なり、石造の楼台がびりと鳴る。
「この街も、貴方達も、誰一人として失われません! 通れるはずがありません──言葉通り、“虫一匹”。ここは伝説の“城塞都市フィリス”、今も昔もその“黒門”を、抜ける敵などいるものですか!!」
その言葉は、ここに住む者たちの背骨をまっすぐ叩いた。黒門は彼らの誇りであり拠り所だ。
石畳の下まで刻み込まれた確信が、セリエの宣言に呼応して膨らむのがわかる。
セリエは一歩、前へ。
俺の横顔を一瞬見て──続けた。
「私も共に戦います!! 皆さん、どうかお力を貸してください!!」
(……え?)
間髪入れず、農夫が続く。さっきまで震えていた男が、今度は腹から声を出していた。
「もうきっと、逃げる時間もそう沢山残されちゃあねぇ……。こうなったら腹を括って、この……“聖女様”と一緒に戦おう!!」
(……ええ??)
静寂が一点で弾け、広場全体が低く唸る。
──…………ゥ……ゥゥ。
──ウゥオオオオオオオオオオオオオ!!!!!
轟音。拳が上がり、鍛冶屋の青年がハンマーを振って応じ、老女が胸前で祈りの印を切る。
──聖女様ぁ!! 聖女セリエ様ぁあ!!!!
──そうだ! フィリスを舐めるな!!
──黒門を舐めるな!! 黒獅子を舐めるなぁ!!!!
──蟲がなんだ!! 昆蟲大戦がなんだあ!!!!
──やるぞ!! 俺たちも闘うぞぉおおおお!!!!
黒獅子の旗が裂帛の風を孕み、群衆の声が城壁にぶつかって返し波になる。広場は一瞬で鬨の場に姿を変えた。
……俺だけが、ぽつんと取り残されたみたいに小声で呟く。
「うわあ、ここまで大事になるなんてマジで予想できんかったわ」
⦅後光⦆と⦅拡声⦆、演出過多だったかもしれない。いや、ここまで刺さるなら正解か? 胸のどこかで、そんな半笑いが渦を巻く。とにかく火は点いた。なら、責任を持って燃やし切るしかない。俺は指先で術式の残光を払い、セリエの横へ並んだ。
◇◇◇
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【次回】#52『要請——騎士団本部にて』
騒動の後、騎士団本部に呼び出された俺たち——見たことのある王子顔が、悩ましげに俺たちを睨む。
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