#45.主人と従者
◇◇◇
「じゃ……、なかった。セリエ……様?」
セリエが瞬きもせず俺を見つめてくるものだから、てっきり敬語を使わなかったのが気に障ったのかと思い、俺は慌てて口を開いた。
「すみません。敬語、忘れてました。馴れ馴れしかったですかね?」
「違いますわ! いま、私が言いたいのはそういうことではありません!」
瞳に涙の膜を張ったまま、即座の否定。雫は今にも縁を越えそうで、そこで俺はようやく悟る。
「あ……そうか。そうでした」
胸の前で片手を添えて軽く頭を下げる。血で汚れた掌が視界の端で黒く光り、鉄の匂いが喉奥に張りつく。
「先程はすみませんでした、セリエ様。さっき俺が言ったことは全部、俺の思い違いです。ふと思い出してしまったんです。昔見た──“夢”のことを。あれは俺の夢の中の出来事で、実際には誰かと……女性とお祭りに行ったことはありません」
前回の転生は“夢”だと包み直す。言葉にしながら、川面を渡る風が血の匂いを薄めていくのを感じた。
「………」
セリエは静かに瞬きし、長い睫毛の先から、溜めていた涙がついに一筋頬を伝った。
「………だからもう、それも違いますわ! わたくしがいま心配していることは、そうじゃない……。もうそのことではなくて!」
「えっ!? これも違うんですか!? 正直、何で泣いてるのか全くわからないんですけど!? はっきり言ってくださいよ!」
思いつく限りを謝り倒した俺は、両手のひらを上にして降参のポーズを取る。
セリエは涙を見せたくないのか、顔を伏せる。濡れた頬に紅がさし、再び雫が溜まる。
「貴方のことよ。フィン、あんなに血が流れていたのに……」
「謝って欲しいんじゃないの、だって無事だったんですもの……よかった。わたくし、貴方がもう……助からな……ぃかと……。ぐす……」
掠れた声が、胸に刺さる。俺はどう振る舞えば良いのかわからず、つい地面に伸びた影へ目をやる。そこには舌をだらりと垂らして伸びている蜥蜴男。……近くで見ると本当にグロい。腕を突っ込んだ自分の手もまだぬるついているし、早く洗いたい。場違いな願望が頭をよぎる。
やがてセリエが顔を上げた。落ち着いたか、と笑みを向けた俺の眼前で──
「……え?」
今度は真っ赤にして怒っていた。
「え? じゃないですわ! あなた、なんでそんなに元気なんですの!? 謝りなさい、謝罪よ! 貴方に謝罪を要求いたします!」
ガシャガシャと鎧を鳴らし、距離を一気に詰めて襟を掴んでくる。
「うええ!? さっきは要らないって言ってたのに!?」
「さっきはさっき、いまはいまですわ!」
盾職の圧か、貴族特有のオーラか。真正面から浴びる威圧感がすごい。俺は即座に決断する。謝る。何に対してかは、わからないが。
「……すみませんでした。あの、こんなに元気で……?」
(理不尽だ……!!)
数秒、互いに至近距離で見つめ合う。やがらセリエが何かに気づいたようにさらに顔を赤くし、俺の襟からそっと手を放して半歩後ろへ。
耳まで赤い。まだ怒っている気配は濃厚だ。
「……! ……ふん、わ、わかれば良いのですわ!」
ぷいと横を向く。
「いや、顔が赤いぞ? ……です。まだ、怒ってますよね?」
その場の火種はその場で消しておきたい性分だ。特にセリエみたいな面倒なタイプは、後から蒸し返してとんでもない仕返しをしてくる。俺はついさっき身をもって学んだところだ。
「べ、別に怒ってなんかいませんわ! そ、それにさっきのお祭りの事も、別にもう怒ってないですの!」
「そうですか? ……なら、いいんですけど」
じっと見つめると、セリエは視線を逸らしたまま数拍。そして、はっとしたように両手をぽんと打ち合わせた。
「そうよ、フィン! では、これからは私に敬語を使うのをやめて、元の話し方に戻しなさい。いつだったか“従者”にしてあげるだなんて言ったけれど、貴方から“様”付けや敬語で話しかけられるのは、やっぱりなんだかしっくりこないわ!」
「ええ、俺はいいけど……それだと周りから“主人”とその“従者”だとは見てもらえなくなると思うけど?」
「……っ! い、いいのよ! 私は気になりませんわ!」
風に紛れるほど小さな声で、セリエはさらに何かを呟いた。俺の耳には届かない。
(むしろそれが狙いですわ……)
◇◇
──セリエの胸中はこうだ。
周囲にフィンを恋人だと思わせて、鈍い彼に意識させる援護射撃を外部委託する。
きっと収穫祭では行く先々で「お嬢ちゃん可愛いねぇ……お! そっちのひょろっちいのは彼氏かい? こんな美人がもったいねぇなぁ!」みたいな台詞が飛ぶ、と計算している。恋は、妄想に甘い油を注ぐ。
「ふん、次席は“伊達”じゃないのよ!」
もしこれがゲームなら、今そんなテロップが出ていることだろう。けれど、ここはもうゲームじゃない。もちろん、フィンにその真意が届くはずもなかった。
◇◇
「ふぅ、よしわかった。じゃあこれからまたセリエって呼ぶし、敬語もなしだ。これでいいか?」
俺にとっても、その方が話しやすい。忠実な従者になる気もない。──どういう風の吹き回しかはわからないが、セリエにそれをわざわざ聞く気もない。
「これからもよろしく、セリエ」
「ええ、フィン。勿論ですわ」
俺は川辺にしゃがみ、血のぬめりを水でざぶざぶと洗い落とす。セリエは落ち葉に埋もれた大楯を拾い上げ、土を払って肩に背負い直した。風が霧の残滓をさらい、蜥蜴男の死骸の匂いを薄めていく。
互いにまだすれ違いの種は胸ポケットに残したまま──それでも、俺たちは手短に今後の段取りを確認して、同じ方向へ歩き出した。
◇◇◇
【更新予定】
毎日20:00更新!
【次回】#46『明かせない秘密』
何とかセリエを宥めることに成功し、飛空港を目指す俺たち。でも、付与術師の俺があんなに戦えるのは——やっぱりダメだった?
面白かったらブクマ&★評価、明日からの20:00更新の励みになります!




