#37.閑話──ある魔女の記録
◇◇◇
今は遠い昔の話──
とある国の辺境で、父と二人きりで暮らす少女がいた。
少女には幼くして魔法の才があった。三歳で初級魔法を初めて起こし、五歳になるころには全属性の初級魔法を操った。父は、そのたび大きな掌で頭を撫で、皺の寄った目尻で笑った。
父は若いころ国じゅうに名を知られた冒険者だった。けれど母が亡くなったのち惜しまれつつ引退し、いまは辺境の小さな村の管理を任されている。
少女から見た父は、ただ優しく微笑む体の大きな人──かつての勇ましさは想像できない。父の武勲を教えてくれるのは、家の壁に掲げられた一本の⦅宝剣⦆と、夜の灯火にきらりと反射するその刃だけだった。
冒険者組合からの依頼は、ときに父の名指しで届いた。父は「もう引退した身だ」と固辞する。けれどどうしても断れない案件もあり、渋面のまま首を縦に振る夜が、ときどきあった。だから少女にとって、父が長い旅に出るのは珍しいことではない。
その代わり、父は帰るたび「ただいまのご褒美」をくれた。
仕立てのよい服、人形、飴玉。少女はそれを楽しみに待った。帰還ののち父は必ず長い休みを取り、山へ、川へ、街へ──いっぱい遊んでくれた。
だから少女は信じていた。どれほど時がかかっても、父は必ず“帰る”。帰れば必ず“素晴らしいこと”が起きる、と。
「待っててくれて、ありがとう。偉いね、ミレッタは」
高く高く抱え上げられる。天井の梁が近い。少女は父が大好きだった。
やがて、王からの召しだしが来る。謁見の場で名を呼ばれ、王自らの口で告げられたのは──“東の森”に棲む凶悪な魔獣の討伐。
その“依頼”が長く掲示板に貼られ、挑んだ者が一人として戻らぬことを父は知っていた。それでも公に触れが出され、王から直々に頼まれれば、首を縦に振らぬわけにいかない。父は衰える前に、望みがあるうちにと暇も取らず、ただちに旅立ちを決めた。
◇◇◇
出立の前夜。少女は初めて“行ってきますのご褒美”を受け取る。
いつもの高い高いではなく、強く強く抱きしめられてから、分厚い一冊の本を手渡された。
胸に、ざわりと冷たい風が吹く。帰ってから貰うはずの“ご褒美”が、先に渡されたのだから。
「今度の旅はこれまでよりずっとずっと長い。いいかい、ミレッタ。父さんはきっと、お前が大人の女性になるまでには、必ず帰ってくるからね。だからそれまでは、その“ご褒美”を何度も何度も読んで、父さんを待っていなさい」
「父さんが帰ってきたときには、“ただいまのご褒美”はないの?」
「父さんが帰ってきたときには、次の冒険に必ずミレッタを連れて行くって約束するよ。それが、父さんからの“ご褒美”だ」
それは魔法書だった。
いざという時、自分の身を守れるように──そして“必ず帰る”と信じ続けられるように。
けれどその約束は、少女にとって“呪い”となる。
少女の体が大人へ近づくにつれ、その成長はだんだんと緩やかになる。まるで、父が約束を果たせるように、自分がいつまでも「大人になる前」でいられるように。
別れてから二百余年──少女は、正確には“大人になる直前”で、ついに“不老不死”の存在へ至った。
代償は苛烈だった。不死を維持するため、彼女の体は常に、そして無尽蔵に、自身の魔力を喰らい続ける。学びに学び、理論は極みに達していたのに、皮肉にも体は万年の魔力枯渇状態。初級魔法すら発動できない。
この日から少女は、“死ねない呪い”だけを抱えた、ただの“女”として生きることになる。
◇◇◇
さらに時は流れる。国王が何代も代わり、国の名すら別のものになり、辺境は森に呑み込まれた。少女は一人、その場所で父の帰りを待ち続けた。
森に隠されるようにして五百年──そこは、いつからか“東の森”と呼ばれるようになる。
その日、魔獣は唐突に現れた。幾代にもわたり勇者を喰らい、倒れず、年月を養分に途方もなく巨大化した“東の森”の化け物。
少女が一目で“それ”と悟ったのは──魔獣の背に、かつて壁に掲げられていた父の“宝剣”が、記憶のとおりの輝きで刺さっていたからだ。
愛した人、愛してくれた人を、ただひとり待ち続けた少女は、そのとき、胸が張り裂けるほど嬉しかった。
──父が、“剣”となって帰ってきたのだから。
「ああ、愛しているわ。父さん──」
『私もだミレッタ、お前を──“愛している”』
確かに、声を聞いた。その瞬間、少女を縛っていた不死の呪いが解ける。枯れていた泉に、一気に水が戻るように、彼女本来の魔力が全身へ駆け巡った。
少女はためらわず、その超大な魔力を魔獣へ解き放つ。
◇◇◇
轟音。光。沈黙。
音が止むころ、魔獣の巨体は半ば欠け、崩れ落ちていた。父の剣は、役目を終えたように輝きを失い、静かに折れている。
「お帰り、父さん。約束よ。今度は私と一緒に旅に出ましょう」
少女は折れた柄から小さな宝石をひとつ抜き取り、胸に押し当てる。頬を伝う涙は温かく、指先は微かに震えていた。
再び魔力は尽き、息も細い。それでも、顔は晴れやかだった。
──自己が愛する者からの“愛”の囁きを聞いた時にだけ、“不死の呪い”と“万年魔力枯渇”から解放される。
そんな特異な体質を持つ大魔女が、この時誕生した。
◇◇◇
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【次回】#38『閑話——観測者ルシフェル』
狭間の空間で、彼はただ観測する——何のために? それはまだ、誰も知らない。
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