#28.霧と魔女
◇◇ エルフの古街道・霧の帯──
古街道は、川筋から離れるほどに白くなった。霧は糸を撚るみたいに木々の間でより合わさり、足音はすぐ足元で丸まって消える。マリエラが道の“結び目”に触れるたび、苔の下の敷石がひと呼吸だけ輪郭を返す。
「ここから先は、結び目が密です。寄り道は危険」
「了解。直進優先、音は最小。尻尾も最小な」
「尻尾は縮まらないよ?」
ラミーが小声で返し、ぴこん、と抗議程度に振る。俺は苦笑しつつ、ワールドクロックと座標を一瞥。鐘の範囲はもう切れている。追っ手がいても、この霧の中じゃ足も鼻も鈍るはずだ。
少し先、古い指導標の陰に、崩れた巨岩が背を向けていた。街道はその岩を回り込むように狭くなり、霧はそこで渦をつくる。
「いったん整列」
俺は岩を背に三角の陣をとる。前衛ラミー、中央マリエラ、後衛俺。念話は薄く繋ぎっぱなし。
『匂いは清潔。血や獣脂はない……けど、霧の層が増えた。耳が詰まる感じ』
「風も“押し返されてる”。道が守りの態勢だな」
「古街道は“隠す道”でもありますから」マリエラが囁く。「騒ぎ立てると、道そのものに嫌われます」
了解。俺は“爆裂鉄甲”の留め金を指で確かめ、呼吸の深さを一段落とす。こういう場所は、ゆっくりのほうが速い。
霧が、音を返す。遠いはずの滴りが近く聞こえ、近いはずの足音が布の中へ吸い込まれる。耳が“合っていく”のに少し時間が要った。
「……少し、休もうか?」
マリエラが声を落とす。
「ここなら岩陰で風を背にできます。灯りは使わずに、念話だけで」
「賛成。尻尾も休ませたいし」
「だから尻尾は──」
言い合いながらも、視線は各方向に散っている。俺は背の岩にそっと肩を当て、霧の“目”を探る。白の密度がわずかに違う場所──流れの継ぎ目。そこに、何かが立てば、霧は形を与える。
……風がひと段、冷えた。
霧が深く息を吸い、吐き返すみたいに寄せてくる。ラミーの耳がぴくりと揺れ、マリエラが杖をほんの少し持ち直した。
(──来る)
俺は合図をせず、ただ足裏の重心だけを下げる。背中には大きな岩。退路はない。なら、受けてから返すだけだ──そう思った矢先。
──…… ゾクリ!!
——首筋が、氷でなぞられたみたいに冷えた。
「フィンさん?」
マリエラが即座に気づいて囁く。
「……悪寒。風向きが急に変わった」
言い終えるより早く、背中の大岩の陰から、ねっとり甘い声が流れ出た。
「はぁ〜〜ん、やっと……見つけた」
飴色の台詞が霧を押し分ける。
「もう、随分探したのよ? 急に居なくなるなんて、少し意地悪が過ぎるんじゃないかしら? ねぇ、あなた?」
反射で振り向く。まず現れたのは、すっと伸びた脚。続いて、岩陰から長身の女が滑り出る。
漆黒のローブは深いスリット、正面は危ういほど開いていて、襟と袖口には金の蔦。胸元のブレスレットに埋め込まれた宝石が、脈のように淡く明滅する。女は俺だけを視界に入れて、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
ラミーが一歩、無言で俺の前に出る。マリエラは杖を下げたまま、風の層を読むように瞳を細める。俺は重心を落とし、拳の内側で“爆裂鉄甲”の起爆紋をそっと撫でた。
そして──彼女の背後では、
あの、黒い霞が、蠢いていた。
◇◇◇
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【次回】#29『大魔女のミレッタ』
突然現れた魔女——ミレッタは俺を知っている。そして、災厄の前触れ——黒い霞。身構え、誓う。今度こそ——
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