#27.東へ
◇◇ 坑道交点・大空間──
少女を抱き上げると、骨の軽さが腕に伝わった。泥と血の匂い。目は生きている。俺は肩掛けを外して包み、マリエラに顎で合図する。
「⦅小治癒⦆……よし、熱は下がります。水を少しずつ」
「任せて」
ラミーが革水筒を受け取り、匙でほんの一口ずつ口元へ。少女の喉が、こくり、と動いた。
「間に合ったな」
安堵は後回しだ。俺たちは手分けして坑道の“掃除”にかかる。雌の寝床は火を通して疫を断ち、毒壺は割って灰に。側坑の入り口には支柱を落として通行止め。双頭の頸輪と、耳と、毒刃を一揃え──証拠品として袋に収める。
「……全部、終わらせてから帰ろう」
炉の火に灰をくべ、最後に一礼。俺たちは少女を抱え、暗い穴を後へと抜けた。
◇◇ 鉱山口/夕──
外の風は、少し甘い草の匂いがした。日が傾き始めている。坑口脇の岩陰で待っていたマカライトが、太い髭を揺らして近づいてくる。
「おお、おお……戻ったか。顔が煤けとる。どうじゃ、中は」
「双頭のホブに率いられた群れ。芯は折った。もう増えない。捕らわれた子がひとり、生きてた」
「……そうか」
マカライトは深く頭を垂れ、次の瞬間、巨岩みたいな肩を揺らして少女をそっと受け取った。背後で他のドワーフが手早く毛布と薄粥を用意する。土魔法で組んだ即席のシェルターは温かかった。夜の冷えが来る前に、土壁に光石が灯る。
「嬢ちゃん、よう頑張ったな。村まで儂らが送る。任せい」
少女はかすかに頷き、マリエラの袖を握った指を、ためらいながら離した。
「ありがとう、マカライト。助かる」
「礼を言うのはこっちじゃ」
マカライトはごつい手で袋を受け取り、双頭の頸輪を見て満足げに唸ると、荷の奥から包みを取り出した。油紙に包まれたそれは、両拳を覆う黒鉄の篭手。指節のあたりに細かな溝と、内側の見えない位置に複雑な魔道紋。
「“爆裂鉄甲”。儂んとこの鍛冶場で仕上げた武器じゃ。殴ると中の紋が呼吸して、小さな爆ぜを生む。拳で“殴る”戦士にしか渡せんもんだが……お前さんが持つのが一番ええ」
「……いいのか?」
「恩は忘れん。それにの、道具は働く手に渡るのがいちばん幸せじゃ」
試しに右手だけ嵌め、空を一度だけ小さく切る。――ぽん、と乾いた逆鳴り。拳の前の空気が押し出され、砂塵が丸く跳ねた。重さは見た目より軽い。芯に重心が集まり、拳が“前に出る”。
「……良い」
「ほらほら! あたしも一発!」
「やめろ、荷馬車に向けるな」
「ちぇっ」
笑いがこぼれる。マリエラが微笑んで、少女の髪を撫でた。
「マリエラ、君は?」
「私は──弓があるし、祈りがある。大丈夫。……その拳、フィンに似合います」
照れ臭くて視線を逸らす。ラミーがにやにやして肘で小突いてくる。
「んふふー、拳で爆発とか、もう完全に脳筋だね。好き」
「言い方」
腹に力が入るような、温かい疲労が押し寄せてきた。焚き火の上で煮立つ薄いスープの匂い。土壁に反響するドワーフたちの低い歌。短い夜、短い休息。
◇◇翌朝──
明け方、東の空が綻ぶ。俺たちは最低限の礼を述べ、握手をして立ち上がった。
「マカライト。ここから先は、俺たちの用だ。娘を頼む」
「任せとけ。お前さんらも気ぃつけてな。……ああ、そうじゃ」
マカライトは手をひらりと振り、半歩だけ顔を近づけた。
「最近、街道より森沿いが安全じゃ。人の目は多いが、目印が多いほうが“追う目”も引っかかる。おぬしらは──風の道を使え」
俺とマリエラが頷く。エルフの古道。人間にはただの木漏れ日、彼らには“見える”道。
「世話になった。また、どこかで」
「うむ。またの」
別れは短い方がいい。俺たちは帆布の肩紐を締め直し、南へ、森の縁へ歩き出す。背後でドワーフの歌が、朝日に薄れていく。
森は静かだった。葉の裏で風が囁く。やがてマリエラが立ち止まり、フードの奥で瞳を細める。
「……見えます。樹皮の“光”が、線になっている。ここです」
木の根と根の間に、確かに“なめらかな”踏み跡がある。人の足ではなく、風と獣と、古の民が選んだ道。俺は頷き、先頭に立つ。
「東へ」
「東へ!」
「東へ、ですね」
草の匂いが濃くなる。新しい篭手が、手の内でしっくりと馴染んだ。拳に、道に、目的に。俺たちは、東へ。
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【次回】#28『霧と魔女』
エルフの古街道を進む俺たち。——霧の帯と呼ばれる場所である女と出会う。敵か、味方か。
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