#26.双頭のホブゴブリン
◇◇ 坑道交点・大空間──
炉の赤に、ぎらりと牙。低い吠え声が一段深くなった。奥の闇から、肩幅の倍はある影がぬっと身を起こす。肩から上には、二つの首がついている。右の口角には焦げ跡、片目が青白く光る。左は鉄屑を継ぎ合わせた肩鎧で固め、骨ばった手に大鉈。
「双頭のホブ……レア物か。テイマー職が見たら涎垂らすやつだ」
冗談を言いながらも、背中の汗が冷たい。周囲を取り巻くのは小型のゴブリンと、腹の張った雌。雌は二頭の足元に固まっている。──群れの“芯”はここだ。ここを折れば、繁殖が止まる。
(右頭、雷の気配。左は純粋な前衛)
(了解。私は外周の散りを落とします)
(毒持ちが混じる。刺されたらすぐ言え)
ホブが大鉈で床を打った。合図。小鬼どもが一斉に躍り出る。前へ。俺は左へ切り込み、ラミーは床を滑るように右へ回り込む。マリエラの矢が三連、周辺の見張りと火壺持ちを正確に抜いた。
ばち、と空気が弾ける。右頭が低い咆哮とともに、指先から雷槍を紡いだ。⦅雷槍⦆──!
「下がれ!」
俺は足元の古い選鉱台に飛び込み、幕板越しに身を折る。青白い槍が台を貫き、背後の壁で火花を咲かせた。焦げた金属の匂いが強くなる。
(フィン、そっち二)
(取る)
台の陰から滑り出し、突っ込んできた二体の喉を、短剣の背で挟んで落とす。左頭の大鉈がこちらを薙いだ。重い。ぶつかるな──身を回して紙一重で通し、手首に刃を当てて軌道だけ逸らす。鉄と鉄が擦れて火が散った。
「ラミー!」
「わかってる!」
ラミーが立ち台の脚を蹴って跳躍、右頭の側頭部に踵をめり込ませた。詠唱が途切れ、雷がしゅうっと散る。着地の瞬間、脇から飛んだ毒刃が彼女の脛を掠めた。動きがわずかに鈍る。
「っく……」
「⦅解毒⦆!」
マリエラの祈りが白く走る。ラミーの足取りが復る。その横をもう一本の雷が掠めたが、マリエラが張った⦅聖障⦆が音を殺して受け流した。
「助かった!」
「無茶しないで!」
左頭が咆哮、前へ。大鉈の間合いが深い。俺も踏み込む。体術──正面では受けない。刃の内側に潜り、肘で喉、踵で膝。刃が天井を叩き、粉塵が雨のように降る。近い。左頭の息が頬にかかる。臭い。
(右、詠唱再開)
(潰す!)
ラミーが右首の顎先へ短剣を二閃。頬を浅く裂き、続けざまに手首の腱を撫でる。右頭の指から光が零れて霧散した。怒ったのか、纏めて放電──床に小さな火花が走る。湿った岩がうなった。
「⦅風壁⦆──!」
マリエラの壁が滑るように前へ出て、雷の道筋を側面へ逸らす。青白い閃光が、洞の水脈に吸われて消えた。
「ナイス」
その間にも雌ゴブリンの影から、小さな毒壺がころりと転がる。俺は拾い上げ、ホブの足元へ投げ返した。ぱしゅ、と紫煙。左頭が後ろへ一歩引く。躊躇。──裂け目。
「ラミー、右を巻く!」
「了解っ!」
俺は左頭の肩に体重を預けて押し、膝裏を刈って姿勢を崩す。ラミーは柱を蹴って背後に回り、右頭の角の付け根に短剣を斜めに差し入れた。手応え。雷が一瞬だけ暴れて、ぶつんと切れる。
左が怒って大鉈を振り上げる。下からすくう軌道。避けづらい。俺は踏み込み、鞘ごと腰の剣で柄を打って角度をずらし、空いた胸板へ拳を叩き込む。⦅体術⦆の芯。骨が嫌な音を立てた。
「⦅聖光⦆!」
白光が雌の群れを呑み、悲鳴とともに散らす。マリエラの矢が、逃げ腰になった雄どもを一匹ずつ杭打ちのように留めていく。上手い。これで雑魚は片付いた。
「3対1……いや、お前は二人分か。3対2だな」
左頭が唾を吐き、右頭が言葉にならない罵声を吐く。ラミーは息を合わせて右側の肩に踵落とし。俺は左に肩口から肩甲骨へ肘。二つの首が反対方向へ弾かれ、胴が一瞬だけ捩れる。“芯”が割れた。
「終わり」
俺は一歩退いて剣を抜き、左首の喉元へ一直線。鉄皮を裂く感触。同時にラミーの短剣が右首の目へ滑り込む。双頭ががくりと膝をつき、遅れて全体が崩れ落ちた。炉が低く鳴り、洞に静寂が戻る。
──息を吐く。肩で二度、三度。
「ふぃー……はぁ、はぁ……っ、やった、ね!」
「上出来。毒は?」
「平気。マリエラの回復、速かった」
マリエラが駆け寄り、俺たちに⦅治癒⦆を落とす。温かさが骨の芯まで沁みた。彼女の視線が双頭に向き、そして足元の雌たちに落ちる。まだ息がある個体もいるが、戦意は萎えている。
「……ここで“芯”を断てたなら、この群れはじきに消えます」
「ああ。繁殖が止まる。坑道は取り返した」
炉の赤がゆっくりと落ちていく。俺は剣を拭い、双頭の頸輪を引きちぎった。粗い銀の輪に、稲妻と斧の刻印。群れの“旗”だ。これをドワーフに見せれば、話は早い。
と、奥の物陰から小さな嗚咽。三人で顔を見合わせる。雌たちの寝床のさらに奥、古布で塞がれていた小穴の中──震える小さな肩。痩せた人間の少女が、膝を抱えてこちらを見上げていた。目はまだ生きている。
「……間に合った」
俺は剣を鞘に納め、ゆっくりと手を差し出した。少女は一瞬ためらい、次いで俺の指をぎゅっと掴んだ。温かさが返ってくる。
「帰ろう。怖いのは、もう終わった」
炉の火が、ほんの少し明るく見えた。
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【次回】#27『東へ』
鉱山を解放し、少女を救った俺たちは、マカライトに別れを告げる——次はエルフの古街道、東へ
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