#25.坑道を進む
◇◇ 坑道──
分岐の陰で息を殺す。前方から──かさ、と小石。次いで鼻を刺す、樹脂の甘い匂い。
(樹脂煙、くる)
(了解。マリエラ)
「⦅風矢⦆──散らします」
弓を半分引いたまま詠唱、矢羽の先に纏った風が、曲がり角の向こうでぶわっと渦を巻いた。ぱち、と火花。煙は逆流して天井へ吸い上がる。視界が開くのと同時に、低い影が二つ飛び出した。
俺は一歩で間合いを潰す。柄で顎、踵で膝。石床に歯が散った。二体目の短槍はラミーが横から叩き折る。
「どりゃっ」
折れた穂先がくるりと宙を回り、背後の鳴子に触れ──カラカラと骨の風鈴。
(やばっ)
(任せて)
マリエラの指先から白光。⦅聖障⦆が通路に薄膜を張り、音を鈍く喰う。鳴子は鳴ったが、遠鳴りで済んだ。奥のざわめきは……小さく舌打ちのような気配。こちらの“質”は伝わったろう。
「罠、まだ続くよ」
ラミーの尻尾が水平に伸びる。床──粉。壁──新しい掘り跡。天井──網。
「三重。踏むと油袋、上から投石、正面から矢」
「芸が細かいな。こういうの、嫌いじゃないけど──」
「まさか、好きじゃないよね?」
ラミーが茶々をいれる。
俺はしゃがみ、粉の境目に指を入れた。薄い。ここから向こうが“舞台”。⦅気配探知⦆の矢印が、右上の小穴を指した。
(穴の奥に二、左の梁に一)
(梁、私が)
「⦅風刃⦆」
空気が刃になって梁の根を掠める。潜んでいた一体がすべり落ち、ラミーの短剣の柄で気絶。残り二匹は穴から毒矢をばら撒いた。膜に弾かれた矢が床で跳ね、一本、俺の頬をかすめる。じわ、と熱。ステータスに《毒(微)》が灯る。
「⦅解毒⦆」
光がさっと撫で、刺すような痛みが消える。
「助かる」
「フィン、顔は大事」
マリエラが俺の頬に手を差し伸べてそう呟く。
「胸ほどじゃないさ」
「どういう意味!?」
「落ち着け。行くぞ」
糸をくぐり、油袋をナイフで受け止めて静かに床へ。投石の罠にはこちらから小石を一つ投げ入れる。どすん、と鈍い音。ゴブリン語の罵声。すぐに背中側の横穴から回り込む足音──早い。
(来る)
(こっち三、そっち二)
狭い横穴に体を押し込み、先頭の一体の手首を掴んで引きずり出す。続く二体は影越しに短剣を突き込んできたが、ラミーの蹴りが一本の軸を撃ち抜き、俺の肘がもう一本を止める。狭所では体術が利く。関節を畳む音が、土の中にこもって小さく響いた。
ひと呼吸。通路の先は緩い上りになり、右から湿風、左から乾いた粉塵の匂い。ラミーが鼻を鳴らす。
「右、天然の穴。左、掘った道」
「合流点だな」
俺の掌にも、空気の違いが分かる。温度、音の抜け、そして──わずかな“生活臭”。脂、獣、煙。繁殖部屋が近い。
「敵の動き、さっきからまとまってる。けど……」
俺は足跡の混じり方を見て、指でなぞる。大きい靴跡が一定のルートを往復、小さいのが散る。号令で走ってはいない、各自の判断で散開し、罠に誘う。
「ロードの統率ほどの“型”はない。助かった。上にいるのは、おそらくホブ止まりだ」
マリエラが小さく息をつく。
「それでも十分怖いけれど……」
「ああ。だが“間に入れる余地”はある。俺とラミーが前でほぐす。マリエラは離れを落とし、毒と恐慌を遮断頼む」
「了解!」
上りの途中、最後の罠。通路一面に撒かれた黒いテカり──タール。斜面。先で火打石の残骸。
「滑らせて、燃やす気だ」
「靴に布巻く。私は⦅風壁⦆で火を殺せます」
「いける」
布を巻いて足裏の摩擦を増やし、身体を壁に預けて進む。ラミーが前でひょいひょいと足場を選び、尻尾で次の踏み位置を指す。彼女の⦅罠探知⦆は頼もしいほど正確だ。ゆっくりと、しかし確実に斜面を抜けた。
風が変わる。湿り気が増し、どこかで水が細く鳴っている。灯りを一段落とし、俺たちは身を寄せて角を曲がった。
──ひらけた。
岩肌が丸く削れた自然洞と、角材で固められた坑道が、十字に噛み合う大きな空間。中央には古い選鉱の台、隅には骨と布切れが積まれ、粗末な炉の残り火が赤く息をしている。低い唸りと、甲高い笑い。小鬼どもの気配が、層になって渦を巻いていた。
そして、奥の闇。そこだけ空気がざらついている。舌の奥に、金属を擦ったような匂い──“雷”の匂いが、薄く乗っていた。
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【次回】#26『双頭のホブゴブリン』
坑道の奥で遭遇したのは、レア個体——双頭のホブゴブリン。群れの“芯”を断ち、鉱山を解放する。
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